世の中には物語が横溢している。そして、それは何も文字や映像として現れているものばかりではない。
出会い、別れ、恋、喪失、挫折、成功、友情、思考、戦い、仕事、食事、出産、失意、最期。
人間の人生はそれだけでもひとつの物語であり、人間と人間の物語の交差から生まれるのもまた、物語である。
その物語の主人公は、もちろん自分だ。その人生という物語は、その人生の持ち主その人が語り部以外にはありえない。
誰でも主人公になれる。いい言葉だ。脇役なんていない。みんな主人公。どこぞの少年マンガのように爽やかな香りのする、いい言葉だ。
だが、世の中、誰もが主人公になりたい人ばかりではあるまい、とも思うのだ。
幼稚園の演劇の時、みんなが桃太郎をやりたがっていて、私もまた、そこに手を上げていた。
しかし、私は本当は木になりたかったのだ。脇役にすらもなりたくはなかった。ステージの端っこでただ突っ立っていたかったのだ。
スポットライトに当たりたくはなかった。望めるならば、舞台にすら上がりたくはなかった。常に眺める側の人間でいたいのだ。
人生でも、それは同じだ。私は自分の人生の主役であることが嫌だった。自分の人生であっても、舞台には立ちたくなかった。
私は物語を見るのが好きなのだ。演劇を見るのが好きなのだ。作る側に混ざるだなんて冗談じゃあない。
私はいつだって楽しむ側でいたかった。自分の人生であっても、主役である自分を眺めるだけでいたいのだ。
そのためには、どうすればいいのか。自分の人生から、自分を逃がすためにはどうすればいいのか。
私は考えて、そして思い至った。私の代替品を用意すればいいのではないか、と。
物語におけるキャラクターには役割がある。だが、その役割は、なにも、そのキャラにしかこなせないというわけではあるまい。
似たようなキャラクター性、似たような性格を持っているならば、別のキャラクターでもその代替品になり得る。
ならば、私が今後、自分の人生でやるはずだったことを、別の私に似た誰かに代替できたのならば、私自身は物語から逃れることができる。そう考えたのだ。
そして、それは上手くいった。こうして、私は物語から逃れることができたのである。
物語からはぐれた代償
とんだ喜劇だ。私は思わず笑いを零してしまった。今、自分が置かれている状況が滑稽で仕方がなかった。
運命なんてない、という人がいる。未来は自分の努力次第でいくらでも変えることができるのだと。
だが、私からすれば、どうして彼らがその未来も、そして自分の努力すらも、定められたものであることに疑わないのが奇妙に思えてならない。
この世にある物語はすでに書き記されており、私たちの送る未来はすべて決まっている。
大筋はすでに定められていて、どれだけ変えようとしても、結局、結末はいつだって変わらない。
右と左で、どちらの道を選んだとしても、最後に行き着くのは同じ道なのだ。それが私の持論だった。
今、ここで会わなくても、いずれはどこかで帳尻が合う。それがこの世の摂理だ。
だからこそ、私の代理を立てれば、私の物語を押しつけることができようと考えたのだ。私の不在は代替品を身代わりにして、帳尻が合っていくのだと。
だが、私は考えていなかった。この、決してありえないわけではなかったこの代償を。
物語から外れた存在はどういったものか。いわば、それは物語の誤植である。なかったところから生まれた間違い。
間違いがあったら、どうするか。多くの人は、それをなくそうとするのではないだろうか。あろうことか、私は物語から逃れることに必死で、その後のことを考えていなかった。
これはその代償だった。間違いなんて正されるに決まっている。運命の強制力に意思はない。そこにはどこまでもシステムがあるだけなのだ。
私は自分の身体から零れ落ちる自分の存在を見つめた。この結末もまた、定められていたのだろう。私はただ、運命の上でただ踊っていたに過ぎなかった。
全ての終わりが始まる
紫木一姫の件から、今日で一か月。ぼくは未だ、傷の治療のために京都市内の病院に、入院していた。
先月の、木賀峰助教授の研究にまつわる忌まわしい事件に関わった際に負った傷の治療のため、ということだ。
ぼくは昔から怪我をすることには慣れていて、入院生活にも慣れ親しんでいるので、逆に言えば、入院生活は退屈だった。退屈まぎれに、調べ物をしたりもした。先月出会った男について。
彼の名前は西東天。ぼくのスキルで調べられる限界によれば、彼はすでに、生きていないということになっていた。
お見舞いに来ていた同じアパートに住んでいる闇口崩子――崩子ちゃんに身体を拭いてもらう。
その場面を遅れて入ってきたみいこさんに見られて冷たい目で見られたり言い訳したりしていたそのとき、がらり、扉が開いた。
そこにいたのは――知らない男。見たこともない男だった。男は――ぼくとみいこさんを、指差した。右手でみいこさんを。左手でぼくを。
男の背後で扉がゆっくりと、閉まった。まるでぼくらを、閉じ込めるように。ぼくは思わず、息を呑む。それが――始まりの合図だった。
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