彼女と私は友だちだった。ずっとずっと昔から、私と彼女は一緒にいた。私は彼女のことが大好きだった。
彼女は今、本を読んでいた。最近の彼女はその本にはまっていた。主人公が好きな男の子によく似ているらしい。前に、彼女はそんなことを私に話してくれた。
それは『機巧少女は傷つかない』という作品だ。表紙に書かれた女の子は人間のように見えるけれど、実は人形。ロボットみたいなものらしい。驚きだよね。
人形に命を与える魔術が発展した世界。赤羽雷真は、相棒の夜々をつれて大英帝国のヴァルプルギス王立機巧学院に留学する。
その目的は、人形使いの頂点を決める大会――『夜会』に参加することだった。人形同士で戦わせて、もっとも強かった人は、《魔王》という最強を示す称号を手に入れるというもの。
だいたいそんな感じの話らしい。どちらかというと、男の子が好きそうな作品だけれど、まあ、彼女は少年っぽいところがあるからなあ。
主人公の雷真くんがかっこいいんだよ! と、拳をぐっと握って力説していた。
私も彼のことは好きだ。人形の夜々のことをあしらいつつも大切にしているのがわかるから。
人形たちからしたら、自分たちをただの道具として見下さない雷真のことは、やっぱり好きになるだろうなと思う。
突然、ピロリンとかわいらしい音が鳴る。彼女の携帯が着信を伝えたみたい。彼女はどこか胸が躍るような表情で携帯を開く。
けれど、メッセージを見た彼女の表情は曇り、眉間にしわを寄せた。どうやら、彼女にとっていいものではなかったのだろう。
彼女は今、学校に通う先輩と付き合っていた。彼女が熱心にアプローチして、ようやく射止めて付き合うことになった。
先輩はとても人気があるらしく、彼女はかなりがんばっていた。私が詳しいのは、彼女の悩みをいつも聞かされていたからだ。
けれど、最近の彼女はなんだか機嫌が悪い。原因は彼との関係がぎくしゃくしているから。
デートの約束をしても、彼の用事ができたとかで断られているらしいのだ。もう何回も、そういったことが続いている。
私の見立てでは、彼の用事は嘘だと思っている。浮気だろうね。彼女も薄々気付いているみたいだけれど、信じたくないようだった。
彼女は携帯を乱暴にベッドの上に放り投げると、私の身体もベッドに思いきり押し付けた。そして。
私のお腹に、渾身の力で拳を叩きつける。柔らかいお腹に、彼女の小さな拳がぐっと沈み込んだ。
何度も。何度も。彼女は私に拳を打ち付けた。私はそれを、声ひとつ出さずに受け止め続けていた。
彼女の瞳から零れた涙が、私の頬を濡らす。彼女は泣いていた。泣きながら、彼女は私に拳を振り上げる。
私は、それをただ黙って受け止め続けていた。
私のトモダチ
これは夢だ。私はそう確信した。頭は不思議と明瞭だった。夢の中とはとても思えないくらいに。
私は抱きしめられていた。私のお腹に回された彼女の腕は、丸っこくて柔らかい、ちょっと薄汚れた手だった。
私を抱きしめているのは、私が物心もついていないような小さい頃からいっしょにいる、大きなうさぎのぬいぐるみだ。名前はうさちゃん。
私は昔からぬいぐるみが好きだったけれど、うさちゃんは中でもお気に入りで、いつも肌身離さず持っていたものだ。
今でも彼女を抱きしめないと眠れないのは、ちょっと恥ずかしいから直さないと、と思っている。だって子どもっぽいし。
そんなうさちゃんが、今は私をぬいぐるみのように抱えている。自由な片手では、私のお気に入りの本をぺらぺらとめくっていた。
動こうとしても、私の身体はぴくりとも動かなかった。まるで金縛りにあったみたいに。
「私は雷真が好きだな。だって、彼は人形であっても、とても大切にしているんだもの」
うさちゃんが本をめくりながらそう言った。それは私の声とそっくりだったけれど、私はそんなことを言ったことがない。私が雷真が好きなのは、彼に似ているからで。
「彼は浮気していると思うよ」
そんなこと。否定の声を上げようとしても、声は出てこない。まるで、本当に私がぬいぐるみになったみたいに。
彼が浮気をしていることなんて、とっくに知っていた。けれど、それをどうしてうさちゃんに言われなければいけないのか。
私は嫌な予感がしていた。うさちゃんは私が今までうさちゃんにしてきたことを私にしている。だとしたら、この後は。
いつからだったろう。幼い頃はたしかに友達だったうさちゃんは、いつしかただのぬいぐるみでしかなくなっていた。
私は溜まったストレスを、うさちゃんにぶつけていた。苛立ちを込めて。何度も何度も。
うさちゃんは私をベッドに押しつける。すごい力だった。私は悲鳴を上げようとしたけれど、声は出ず、身体も動かない。うさちゃんは拳を振り上げる。
嫌だ。嫌だ。ごめんなさい。ごめんなさい。早く。早く目が覚めて。早く。早く。早く。私は声にならない声を叫びながら、うさちゃんの感情のないボタンの目を見つめていた。
けれど、いつまで経っても、うさちゃんは拳を振り上げたままで、私に振り下ろそうとはしなかった。やがて、うさちゃんは振り上げていた手を、そのまますっと下ろす。
「うん、やっぱりできない」
うさちゃんはまだ身体が動かない私を持ち上げて、ぎゅっと抱きしめた。身体が綿の詰まった柔らかい身体に包まれる。
「怒りも、悲しみも、みんな受け止めてあげる。どんな話だって聞くよ。痛いけれど、痛くないの。私はぬいぐるみだから。傷なんてつかないから。だから、ねえ、私を愛してね」
だって、私たち、トモダチだもんね。
はっと気がつくと、目の前にうさちゃんの顔があって、私は思わず飛びのいた。夢の中では動かなかった身体が、あっさりと動く。
夢。それにしては、やけに生々しかった。おそるおそるうさちゃんを見つめても、もちろん、喋り出したりもしないし、動きだしたりもしない。ただのぬいぐるみだった。
けれど、夢の中のうさちゃんは、きっと、このうさちゃんなのだ、と私は漠然と確信していた。
傷つかないと言っていたけれど、あれはたぶん嘘だ。ぬいぐるみだって、きっと私たちと同じ。叩かれれば痛いのだ。
私はいつしか彼女を友だちではなく、ただのぬいぐるみとして見ていた。けれど、彼女はずっと、私のことを友だちだと思ってくれていたのだ。理不尽に叩いていたのに。
私はうさちゃんを抱きしめる。心が温まるかのようだった。ずっと喧嘩していた友だちと、ようやく仲直りできたような。
次は彼ともやり直したいな。私が呟くと、どこからか、彼のことはいい加減諦めなよ、と、私の声が聞こえた気がした。
最強の人形使いを目指して
機巧文明華やかなりし二十世紀初頭。科学技術のめざましい発展とともに、人類は高度な魔術体系をも築き上げていた。
機巧魔術――魔術の概念を一変させた近代的詠唱法。この技法の発見によって、魔術師は極めてインスタントに魔術を使うことができるようになったのだ。
リヴァプール市の中心部にて。巨大な門を前にして、奇妙な二人連れが立っていた。東洋人の少年と自動人形の少女。
正面に聳えるのは、バッキンガム宮殿を思わせる、威風堂々たる大講堂。ひかえめに見ても威圧的なたたずまい。軍司令部もかくや、というコワモテだ。
この日、ひとりの少年が、至高の自動人形とともに、学院の門をくぐった。その行く手には、闘争の宴が待ち受けている。
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