草木も眠る深き夜に、古びた街路樹の枝に一匹のコウモリがぶら下がっていた。月明かりがその姿を映し出す。
不意にそのコウモリの小さな影が木の枝から飛び立って、それがみるみるうちに大きく膨らんだ。
明滅する街灯の明かりの下に音もなく現れたのは、漆黒のマントを翻した男であった。黒い燕尾服に長身を包んだ、身も凍るような美貌の青年である。
彼はモノクルの奥から蠱惑的な赤い瞳を輝かせ、夜を見通すように視線を細めて辺りを見渡す。
やがて、男はマントを翻すと一瞬のうちに姿を消し、再びコウモリの姿へと成り代わった。
コウモリは羽を優美に羽ばたかせて夜の闇の中へと消えていく。その向かう先には、丘の上に立つ大きな屋敷がそびえ立っていた。
その屋敷の一室に、ひとりの少女が眠っている。絹のような金髪を揺らせる美しい娘であった。
彼女は白いネグリジェを着て、穏やかな寝息を立てている。その願いは年若い無邪気さが現れ、天使のように無垢である。
その部屋の、閉じられた窓のバルコニーに一匹のコウモリが飛んでくる。そのコウモリはバルコニーのルネサンス様式の手すりに羽を休めた。
月明かりが照らしたその瞬間、コウモリの姿が青年の姿へと変わる。閉じられていたはずの大きな窓が、彼が手を掛けるとゆっくりと音もなく開いていく。
深夜の客人に、深い眠りに落ちている令嬢が気づくわけがない。寝息を立てる彼女の枕元に、暗い影が声もなく立っていた。
彼はゆっくりと少女の首元に顔を寄せ、口を開く。その不気味なほど赤い口の中には、二本の尖った牙が生えていた。
彼はその牙を、少女の柔らかな首筋に突き立てる。少女は一瞬だけ、その表情を苦痛と快楽の入り混じった表情へと染め上げた。
秘密の関係
私は鏡に映る自分の姿を見つめた。カールを巻く金髪を持ち上げてみると、その下には虫に刺されたような小さな赤い痕がふたつ残っている。
しかし、それは虫に刺されたわけではないのだ。私はそのことを知っている。私は思わず口元に笑みを浮かべた。
いつからだったろう、彼が夜中に私のもとを訪れるようになったのは。彼はいつも寝ている私の血を吸って、翌朝には消えている。
初めて彼が入ってきた時は驚いた。彼が入ってきたバルコニーは、外から登れるわけがないから。
驚きと恐怖で声を出すこともできず身を固くしていると、彼は私の側に立ち、身をかがめた。そして、私の首元に牙を立てたのだ。
刺すような一瞬の痛みに、思わず悲鳴を上げそうになった。しかし、もしも悲鳴を上げて襲われてしまったら。そう思って、私は声を押さえた。
しかし、次第に痛みの中に陶酔するような快楽が混じり合っていく。感じたことのない身体の熱さに、戸惑ったことを今でも思い出す。
彼の牙が抜かれた時、私はむしろもう終わりなのかと寂しく思った。翌朝、起きた時のかすかな気だるさが心地よかった。
だから、彼が再び訪れた時は喜びに打ち震えそうになったのだ。以来、彼はたびたび私の血を吸って立ち去っていく。
彼の顔を見たことはなかった。彼が来るとき、私はいつも目を閉じて眠ったふりをしていた。彼の顔を見てしまうと、もう二度と彼が来ないような気がするからだ。
この寄り添うような二つの痕だけが、彼と私との絆。私たちの秘密の関係を示す、合言葉。
痕はまるで接吻の痕のようにも見える。そう思うと、私の胸に熱い火が灯った。手を当てた鼓動が早くなる。
私はきっと、彼に恋をしているのだろう。この熱を、彼に冷ましてもらうのを夢に見ながら、今夜も私は窓を開け放って彼を待つのだ。
主人に食べてもらいたいメイドと人間嫌いの吸血鬼の恋愛ファンタジー
美味しい食事に必要なものとは、いったいなんだろうか。
それは、質と鮮度の良い食材を使った、盛り付けも美しい料理ではないだろうかとジレットは思う。
これらは人間における常識である。そしてこれは、吸血鬼に対しても通用するのではないか。
健康的で見目麗しい人間から得られる、みずみずしい血液。それは吸血鬼にとって何よりのご馳走に違いない。
ない頭を絞りその考えに行き着いたジレットは、心の底から尊敬し敬愛するクロードのために、自分磨きを始める。
すべては、クロードに美味しく食べてもらうため。それが自分にできる最高の奉仕だと信じて。
魔術大国ミストラル。人が多く賑わっている首都から少し外れた森に、クロードの屋敷はある。
そんな屋敷に住むジレットの朝は早い。主人が起きてくる前に、一階でやるべきことを終えてしまわなくてはならないからだ。
起きて空気の入れ替えをし、ベッドを整え、動きやすい服に着替えたジレットは、一階の部屋の窓を開け放ち、新鮮な空気を入れる。
裏の畑のハーブや野菜を管理するのもジレットの役目である。朝食に使う食材をいくつか見繕って、水やりをしてから台所に向かう。
朝食を作っている間にテーブルの上を整える。テーブルセンターの上にランプを置いて火を灯し、スプーンとフォーク、食器を二人分用意し、セットはおしまいだ。
スープが煮立つ前に、一階の窓を閉めてカーテンを閉じる。クロードは吸血鬼であるため、日の光を好まないからだ。
クロードが気だるげな様子でリビングに入ってくる。彼が席に着いたのを確認してから、ジレットはスープをよそいテーブルに置き、自らも向かい側に座った。
クロードがいなければ、ジレットは今頃悲惨な人生を歩んでいただろう。彼はジレットを屋敷で雇い、毎月のお金を支払ってくれている。
彼女はそのお金で自分磨きをしていた。いつでもクロードに食べられてもいいように。また、クロードが食べたいと思えるように。そのためなら、どんな努力も惜しまなかった。
ジレットは自身を非常食だと思っている。彼女はどこまでも献身的であり、謙虚であった。
彼の糧になれる。それが至福。彼の側で使えられる。それが至高。もしもの時の備えである非常食が美味しかったと、少しでもクロードの記憶に残ればそれで良い。
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