私の目の前に座った骸骨の男は死神と名乗った。店員さんを呼んでカプチーノを頼んでいる。ブラックのコーヒー飲めないんですよ、と恥ずかしげに言った。
最近の死神はスーツなのか。イラストでは黒い外套に大鎌という姿が定番みたいな感じだけれど。
そう言ってみると、彼は苦笑しながら手を振って否定した。
「いやいや、そんな。だって、そんな恰好したら目立つじゃないですか。私たちも大人になりましたので、きちんとした身なりを心がけております」
大人、と申しましても、私どもは人ではありませんけれどね。彼はそう言ってカタカタと歯を鳴らした。どうやら笑っているらしい。
「それで、その死神が私に何の用ですか。死神というからには、私はもうすぐ死ぬんですかね」
「ああ、いえいえ、そんな身構えなくとも、本日は営業でございまして」
ええ、こちらをご覧ください。渡されたのは数枚の紙をホチキスで留めた資料だった。
「ええ、実はですね、現在、こちらのキャンペーン、資料の一番上、『三泊四日極楽宿泊キャンペーン』を実施しております」
説明させていただきますと、今、このキャンペーンに参加されると、天国行き地獄行き問わず、抽選で極楽三泊四日のツアーにご参加いただけます。
宿泊費、料理などなど、ツアーにかかる費用はもちろん、私どもが全額負担させていただきます。
ツアーの内容としましては、天女たちによるエステマッサージ、桃源郷の桃の食べ放題、白澤とのふれあい体験などなど、各種サービスを取り揃えております。
こんなお得なツアー、今だけですよ。ええ、なにせ、天国に住んでいても中々そんな機会なんてございませんから。
資料にはこの世のものとは思えない、いや、実際にこの世のものではない美女たちの写真や、芳醇そうな桃、見たこともない生物が書かれている。
「いかがです? 必ず満足していただけると思うんですけれども」
「デメリットとかは、あるんですか」
私が聞くと、彼は今まで流暢だった言葉を少し詰まらせた気がした。ああ、ええ、と言い淀んでから、咳ばらいをひとつして話し始める。
「あなたさまはまだ寿命が残っております。なので、このままだと通常通りに天寿を全うして、生前の行いをもとに閻魔様が天国か地獄かを分けるという工程をとらせていただくことになります」
ですが。
「もしも、当キャンペーンを受けて下さった場合、あなたさまの寿命は来世に繰り越しとなります。つまり、ええ、承諾後すぐに亡くなっていただく形になります」
「ええと、お断りさせていただきます」
私はすぐに断った。承諾したら来世で、なんて冗談じゃない。その答えを予想していたのか、彼も、ですよねえ、と苦笑いしている。彼はため息をひとつ吐いて項垂れた。
これは、個人的なことになるのですが、ひとつ、相談させていただいてもよろしいでしょうか。彼の問いに、私は警戒しながらも頷いた。
ええ、実はですね、とてもうまくいっているとは言いがたいのですよ、こちらのキャンペーン。
昨今の人間たちはどうも、かつてよりも死ぬことに対して抵抗があるようでして、寿命が早まることを伝えると、必ずと言っていいほどお断りされるのですよ。
昔ならば、天国に行けるとなれば何を置いても参加していただけたのですけれどもねえ。
今はもう、こうしたキャンペーンの人数を集めることすらも困難になっておりまして。
実は私、最近入社したばかりの新人でして、誰も選びたがらないこの業務を半ば押しつけられたんですよね。
おかげで、ノルマは達成できないし、上司の目はだんだんと厳しくなっていくしで、いや、ほんと、世知辛い世の中です。
ええ、わかっていただけますか。あなたも保険会社勤務ですものね。ええ、存じておりますとも。
質問させていただきたいのですが、どうすればこちらのキャンペーンがもっと魅力的なものになるのでしょう。
極楽にも行ける。寿命も来世に持ち越しされる。つまり、死後が比較的安泰で、さらに来世への保証も確定するというのに。
死ぬことを怖がっていても、そのあまりにも古い契約は決して撤回できません。人はいずれは必ず死ぬと定められています。
それならば、直近の生前よりもさらに未来、死後、そして来世に向けた投資をした方がよほど有意義だと思うのです。
そう言った意味でも、今回のキャンペーンは大変お得だと思うのですよ。持ちかけられる機会も、もう二度とありません。
ここでひとつ、いかがでしょう。考え直してみては。将来への担保、いわゆる、あなたの扱っている保険と同じようなものですよ。
さあ、お答えを。
「お断りします」
私は、まだまだ生きていたいのだ。そうですか。彼は残念そうにからっぽの眼窩を私に向けた。
それでは、後悔のない人生を送られますよう。気がつけば、からっぽのカプチーノだけが机の上にあった。二人分の代金を払う羽目になった。
モフモフ好きの変わり者の女子が死神に
夏の夕日を浴びながら家を目指して歩く。私は重い足を一歩、また一歩と前へ動かした。
帰宅して風呂に入った後に食べるアイスに思いを馳せる。しかし、ここで重大なことに気がついた。
アイスは昨日食べた分が最後であった。私は自然と家へ向かう足を無理やり方向転換させ、角を曲がった。私は気合を入れて、前を見据え、瞬時に思考をどこかへと吹き飛ばした。
透き通った綺麗な蒼い瞳、艶々の黒い毛。私の目の前に黒猫が現れたのだ。しかもかなりの美人さん。
私は動物が好きだ、見かけたらもふもふしたい。せめてひと撫でだけでも触りたい。私はその猫の隙を伺っていた。
この静かな攻防戦を始めてかれこれ五分が経った。どうしたものか。相手に全く隙ができない。しかしそろそろこの体勢もきつくなってきた。
足がぐらつき、私の視線が一瞬下がったその時、猫が動いた。しまった、と思った時には後ろ姿がすでに小さい。一歩出遅れて私も後を追う。
猫がちらりと振り返り、今まで直進していたコースを急に直角に曲がり、道路に飛び出してしまった。そこへスピードを出したトラックが突っ込んでいくのが見える。
間に合え、とこれでもかというくらい足に力を入れて踏み切り、私も猫に続いて跳んだ。懸命に伸ばした私の両手。優しく、しかしがっちりと猫をキャッチする。
右を見れば目の前に迫るトラック。私は最後の力を振り絞り、猫を空へ放り投げた。猫が予想通り道路の向こう側に着地したのを見届け、私の視界は暗転した。
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