伝説の吸血鬼が生まれた童話『業物語』西尾維新


 それは昔々の物語。はるか遠くの国の、あるところに、ひとりの王子がおりました。

 

 

 彼は大陸中の国を支配している大国を治めている王族のひとりで、次期王として囁かれていました。

 

 

 彼は麗しい容姿を持ち、優秀な才能を持っていました。国民からも絶大な人気を集めていました。

 

 

 しかし、英雄色を好むとも言いますが、彼は大層な女好きでした。いつまでも結婚することなく、遊びに耽っておりました。

 

 

 彼はいつも美女に囲まれていました。支配している国から差し出された選りすぐりの美女ばかり。

 

 

 しかし、彼は退屈しておりました。なるほど、たしかに彼女たちは美しい。しかし、それでも彼は満足していなかったのです。

 

 

 彼がその絵姿を見たのはそんな時でした。彼はその絵を見た瞬間、一目で心を奪われてしまいました。

 

 

 そこに描かれていたのは金髪の、それはそれは美しい女性でした。その美しさたるや、まるで人間ではないかのような、天上にしか存在しないような、それほどのものでした。

 

 

 この女を妻にしたい。彼は強くそう思いました。これほどまでに女性に対して焦がれたのは、彼自身、初めてのことでした。

 

 

 以来、彼は今までとは打って変わって女性への興味を失いました。侍らせていた美女たちはみんな故郷へと返すか、部下に降嫁しました。

 

 

 彼はその絵姿の女性に恋をしてしまったのです。彼女との出会いを求め、物憂げなため息が増え、憂いに満ちた横顔を見せるようになりました。

 

 

 衝動に突き動かされるように、彼はその絵姿の女性を正体を求めました。その絵姿は、懇意にしている商人がどこかから取引したとのことでした。

 

 

 彼は使える手段はすべて使って、大陸中から情報を集めました。そもそも優秀な王子です。大陸の端から端まで、彼は徹底的に探しました。

 

 

 そして、とうとう見つけたのです。彼女は大陸の端の、近頃では交流が途絶えているとある小国のお姫様とのことでした。

 

 

 彼はさっそく用意した馬車に乗り込みました。その女性と会うことだけが、彼の胸の中にありました。

 

 

 おお、未来の我が妻となる女性よ。今、あなたの夫となる男が会いに行きますぞ。しばし、お待ちを。

 

 

 彼は逸る胸を押さえて駆けだしました。彼女のもとへと。

 

 

美しいという十字架

 

 王子は奇妙に思いました。その国は、明らかに荒廃しているのです。というより、すでに国かどうかすらわからなくなっていました。

 

 

 誰もいません。まったくの無人なのです。人が住んでいた形跡すらありませんでした。

 

 

 不思議に思いながらも、彼は絵姿の女性に会うためにお城に向かいました。馬の腹を蹴って走らせます。

 

 

 城の入り口にも、誰一人としていませんでした。さすがに王子は違和感を覚えます。

 

 

 ここにはもう、誰もいないのではないか。偽の情報をつかまされたのではないか。

 

 

 しかし、はたして、お姫様はそこにいました。お城の奥の方のベッドで、彼女は薄手のカーテンの向こう側に。

 

 

 カーテン越しながらも、彼はその美しさの前に膝を折りました。そうしなければ、と抗いがたい意識が彼を支配していました。

 

 

「よくぞ、いらっしゃいました」

 

 

 まるで天使の歌声のような声でした。彼は思わず聞き惚れてしまいました。彼女を見た途端、彼は彼女に言おうと思っていた結婚の申し出を忘れてしまいました。

 

 

 しかし、それでも心を完全に奪われなかったのは彼が曲がりなりにも王子だったからでしょう。

 

 

「カーテンを、開けていただいてもいいでしょうか」

 

 

 あなたの顔を、見たいのです。彼の頼みに、彼女は首を横に振りました。いけません、きっと後悔します。

 

 

「いいえ、お願いです。あなたの顔を見れないことには、私は生きることすらできないのです」

 

 

 彼の熱烈な乞いに、彼女は一瞬迷ったようなそぶりを見せましたが、恐る恐る、カーテンを開きました。

 

 

 その奥にいるこの世のものとは思えないほどの美貌を見た途端、彼はまさしく文字通りに心を奪われてしまいました。

 

 

 あまりのお姫様の美しさに耐え切れず、彼は自分の命を差し出したのです。お姫様の哀しそうな顔が彼が最期に見た光景でした。

 

 

 その表情もまた、息も忘れるほどに美しいのです。

 

 

六百年前のお姫様のお話

 

 六百年ほど前、今はもうどこにもその名を残していない国に、とてもきれいな女の子がいました。

 

 

 裕福な貴族の一人娘として生まれた彼女の、その美しさといったら国内に知らない人はおらず、老若男女、貴賤を問わず、誰もが彼女に魅了されました。

 

 

 その美しさだけで皇帝陛下から称号を贈られた彼女は、全国民から『うつくし姫』と呼ばれ、愛されていました。

 

 

 期待のはるか上をいく『うつくし姫』の類稀なる美貌に、誰もが贈り物をするのでした。毎日毎日、お城の前に、プレゼントの山が築かれるのでした。

 

 

 だけど、どんな贈り物も、お姫様を笑顔にはしませんでした。

 

 

 誰もが彼女の美しさに魅了されます。褒めてくれます。だけど、お姫様の内面を、誰も知ってくれません。知ろうとしてくれません。それが彼女の悩みでした。

 

 

 己の美しさに甘えない、この立派な志に胸を打たれたのが、この国に古くから暮らしていた魔女のお婆さんでした。

 

 

「うつくし姫。お前の美貌を、誰にも見えない透明色にしてあげる。その代わり、お前の心が、周りのみんなに見えるようにしてあげようね」

 

 

 魔女のお婆さんが呪文を唱えて杖を振るうと、透き通るようだったお姫様の肌が、本当に透き通りました。

 

 

 外見の美しさが取り払われ、晒されたお姫様の心の美しさは、それまでの比ではありませんでした。

 

 

 国民はみな、自分の一番大切なもの、命よりも大切なものをお姫様に捧げました。そして、命よりも大事なものがない彼らは、お姫様に命を捧げるのでした。

 

 

 自らの心のありように捧げられた悲劇に絶望し、お姫様は魔法を解いてもらおうと、魔女のお婆さんを訪ねました。

 

 

 しかし、時すでに遅く、魔女のお婆さんは自分の命よりも大切な頭をお姫様に捧げていたのです。

 

 

 もう、死んでしまいたい。お姫様はそう思いましたが、お姫様の心の強さが、それを許しませんでした。

 

 

「だったら旅に出なさい」

 

 

 魔女のお婆さんの頭が喋りました。お姫様の零した涙が奇跡を起こしたのです。

 

 

 こうしてお城を離れて、『うつくし姫』は終わりなき旅に出たのでした。魔女のお婆さんの忠告に従って、たったひとりの逃避行。

 

 

 彼女が吸血鬼になるのは、これよりもう少し後のことなのですが、お姫様の吸血鬼伝説は、ここから始まった次第です。

 

 

 そして心清らかな彼女が、己に捧げられたちっぽけな命を初めて助けることができたのが、これより六百年後の出来事なのでした。

 

 

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