私は生まれた時から、どうやら欠陥品であったようなのです。だからこそ、誰もが嫌がるそれを、私は誰よりも欲しかったのです。
幼い頃のことでした。手のひらに突き刺さったガラスの破片を見て、先生たちが心配そうに駆け回る中で、きょとんとした私の顔が、ガラス片に映りこんでおりました。
包帯で手をぐるぐる巻きにした私を見て、友人たちは口々に『痛そう』と言うのです。けれど、私はそれがどうにもわからなかったのでした。
漠然とわかってきたのは、もしも彼らが私と同じようにガラス片が刺さった時、誰もが『痛い』と感じるそうなのです。
私は不思議に思いました。そんな感情を、私はただの一度たりとも感じたことがなかったからです。
はたして、その『痛い』とは、いったい何なのでしょう。誰かに聞いても、曖昧な答えばかりで誰も詳しくは知らないようなのです。
わかったのは、痛いと感じない私は、人間として欠陥があるのだということ。だから、私はそのことを隠すようにして、まともな人間のふりをして生きていくことにしました。
父が古くなって壊れてしまったテレビを捨てるのを、ついていったことがあります。『これは欠陥品だったんだ』と言っていました。
だったら、私が人間の欠陥品だということを知られてしまえば、私もあのテレビのように捨てられてしまうかもしれません。
これまで、私のこの欠陥を見抜いたのが、ひとりだけいました。小学生の高学年だったでしょうか、その頃にクラスメイトだった女の子です。
彼女はクラスでもいつもひとりでいるような、そんな子でした。教室の端で何をするでもなく、ただ不機嫌そうに世界を睨みつけているような子でした。
彼女はどういうわけか、しばしば私に声をかけてきました。女子トイレに呼び出されて、いつものように叩かれました。
私はもちろん痛くはありませんでしたけれど、まともな人間なら痛いだろうから、必死に痛いふりをしていたのです。そのとき、彼女から言われたのでした。
「その下手くそな演技がむかつくのよ! バカにしてんの!」
その時に私が受けた衝撃は、言った彼女にすらもきっと想像できなかったでしょう。彼女に今まで受けていた仕打ちよりも、はるかに強い衝撃を受けたのです。
けれど、その彼女の言葉すらも、私には、やっぱりちっとも痛くはなかったのです。
私に足りないもの
教室にいる多くの人たち。けれど、彼らはきっと、みんなまともな人間で、痛みがわからない欠陥品は私だけなのでしょう。私は孤独でした。
今も私をひそかに睨みつけている彼女は、まだ誰にも私の正体を話していないようです。ですが、時間の問題でしょう。
いずれ、私が痛みを感じないことは周知の事実となるに違いありませんでした。そうなれば、私はどうなってしまうのでしょう。
けれど、私は今までの人生の中でただひとり、自分と同じような人間を見かけたのです。それは現実ではありません。
奈須きのこ先生の『空の境界』という作品の、藤乃という少女でした。痛みを感じない彼女は、痛みを感じないがゆえに不幸に晒されていました。
しかし、あることをきっかけに彼女は初めて痛覚を感じるようになるのです。彼女は自分を不幸にしてきた相手に復讐を試みました。
私がこの作品を読んで、感じたのは、紛れもない、羨望でした。彼女は『痛い』を知ることができたのです。
儚く、大人しい少女だった藤乃は、『痛い』を知ることでようやく人間になったからこそ、人間らしく憎悪に駆られて復讐を始めるのです。
彼女は人間になれた。私も、彼女のようになりたいと、私はそんなことを思ったのです。
私が持っていないもの。誰もが持っていて、私だけが持っていないもの。痛み。私がそれを手に入れるには。
「あんたなんか、いなくなっちゃえばいいのよ!」
その答えは彼女が教えてくれました。彼女は私を破滅させる存在でしたが、私を辱めることはありませんでした。
私は何の感慨も抱かず、真下に広がる世界を見下ろして、そして、私は頭から飛んだのです。
身体が焼けるような感覚。思わず身を退けたくなるようなその快楽を、私はほんの一瞬だけ、耽溺しました。最後の最後に私はようやく、人間になれたのです。
みんな、曲がってしまえ
ぼんやりとした意識のまま、浅上藤乃は身を起こした。藤乃は部屋の中にいた。周囲に人影はない。暗い闇だけが、彼女の周囲に散乱していた。
悩ましげに吐息を漏らし、藤乃は自身の長い黒髪に触れてみる。左肩から胸元まで下げていた房がなくなっていた。
ここは地下に作られたバーだ。半年前に放棄されて、その後に不良たちのたまり場になってしまった廃屋である。
突発的な痛みに襲われて、藤乃は呻いた。腹部にものすごい感覚が残る。自分の中身が締め付けられるようなもどかしさに、彼女は耐え切れずに身を捩った。
床につけた手が音を立てる。見れば、この廃墟の床は水浸しだった。ちらりと自分の腹部を見る。赤い跡があった。刺された跡が。
自分のは腹部に残る刺し傷だけだったが、髪から靴に至るまで赤く汚れてしまっていた。
歩き出て、ビリヤード台の上に腰をかける。そこでようやく男たちを数えた。ひとつ、ふたつ、三つ、四つ。なんてこと――ひとつ、足りない。
藤乃は少しだけ安堵すると、ビリヤード台にあるランプに火を点した。十六個ものバラバラの手足がはっきりと浮かび上がった。
ひとり、逃げた。彼女の復讐はまだ終わっていない。彼女の口元は、小さく笑っていた。
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