国民の知らぬ間に日本が蝕まれていく『日本が売られる』堤未果


 金、金、金。この世は金が全てだ。周りを見渡してみれば、道具も、場所も、人も、技術も、何もかもに値札がついている。

 

 

 私が今、手に持っているトイレットペーパー。海外製の安価品。質がいいわけではないけれど、とにかく安くて多い。

 

 

 カバンの中に入っている牛肉や野菜は、さっきマーケットで買ったものだ。夫は成分表示を見るよう言ってくるけれど、気にしない。とにかく安ければいい。

 

 

 このカバンは数年前に買ったお気に入りの一品である。もちろん、ネットのフリマに出品しているから、これも商品だ。元を辿れば、そもそも手に入れた時から誰かの中古品だったわけだけど。

 

 

 シャッターの閉じているお店を通り過ぎざまに視線を走らせる。つい先日までは呉服屋を営んでいたはずだけど、国内製の商品にこだわったから、潰れてしまった。今では、その店自体が商品だ。

 

 

 笑顔で声を張り上げている八百屋のおじさん。彼にももちろん、値札つきだ。決して高くはない。彼にはモノを売る以外、何もできないからだ。そんなのは、機械に任せておけばいい。

 

 

 立ち並ぶ野菜や魚は海外産のものばかりだ。薬をたくさん使っているらしいけど、身体に無害だから問題ナシ。むしろ、そのおかげか、価格はとても安い。

 

 

 ようやく、家に着いた。家には大きな値札が貼られている。広くはないが、立地はそこそこ。たしか、お隣の奥さんが土地を欲しがっていたから、売っちゃってもいいかしら。

 

 

「やあ、おかえり」

 

 

「ただいま」

 

 

 リビングで迎えてくれた夫にも、値札はついている。当時の私では、彼を買うので精いっぱいだった。優しいけれど、今の私ならもっと高い夫が買えるから、買い替えの時期かもしれない。

 

 

 夫の腕に抱かれてすやすやと眠るのは、愛おしい我が子だ。子どもは先見性を見られるから、ついている値札も高くて最高の商品だ。近々、さっそく売りに行こうと思っている。

 

 

 私は鼻歌を歌いながら、自室で鏡を見た。私自身にも、もちろん値札はついている。私自身はもっと高くてもいいと、思ってるんだけどなぁ。国が決めた価格だから、逆らえないけれど。

 

 

 おや。私は首を傾げた。鏡に何か映っている。振り向いてみれば、机の上に一冊の本が置かれていた。

 

 

 ああ、懐かしい。それは何年も前に読んだ本だった。『日本が売られる』。堤未果先生が書いている。

 

 

 それは警告の一冊だった。当時の私はその本を読んで、心底恐ろしかったのを覚えている。

 

 

 農業や漁業、土地、水や木などの自然資源、日本の誇る優れた資源や技術。それらが「目に見えない敵」によってどんどん切り崩され、海外とのマネーゲームの道具にされているのだという。

 

 

 その「見えない敵」とは、自治体に責任を押し付け、裏で金を稼ぎ続けている存在、すなわち、国や企業のことを指している。

 

 

 キーワードは民営化だ。民営化することで、企業は大いに潤い、アメリカの望む社会の形に変えていくことができる。責任や負担は、すべて自治体や国民に押し付ければいい。

 

 

 海外の有名な農薬を有害性に目をつむって大量に散布し、見た目だけキレイな作物を生み出す。農薬は使うごとに必要な量が増え、その金はもちろん海外の企業の懐に入る。

 

 

 法律の改正によって、木を長い年月をかけて育てることができなくなった。上質な木材になる前に切り倒され、低級な木材が次々と売り払われていく。

 

 

 築地は先人たちの作り出した非常に優れたシステムのひとつだ。だが、アメリカの構想では、その存在は障害だった。築地の移転は、その障害をなくす第一歩となる。

 

 

 派手なニュースの陰に隠れて、ひそかに進められていく法律の改正。その新しい法律によって、日本の資源が次々と海外に売られていく。

 

 

 私は知っている。何年か前、とうとう、日本そのものに値札が付いた。アメリカがそれを買い取っている。だから今、私たちはみんな、アメリカの所有物になっているのだ。

 

 

 だけど、そんなことは何も関係がない。身体に有害? 粗悪品? それがどうした。毎日の生活に困っている一市民にとって、大切なのはどれほど安く買えるかという一点だけ。

 

 

 アメリカのものになって、国内産の商品は姿を消した。今や、日本という国の存在すらも、ほとんどないのと同じようなものだ。

 

 

 けれど、それがどうした。誇りで生活できるのなら、とっくにしている。世の中、金が全て。

 

 

 この国はもう、ただの「商品」でしかない。そんな社会になってしまった。今さらもう、戻ることなんてできないのだ。

 

 

 私は少し切なくなった気持ちを振り払うように、その本を写真に撮って、ネットのフリマに出品した。自分ではない誰かの手に渡れば、何かが変わるかもしれない。そんな淡い願いを込めて。

 

 

近くに潜む見えない敵

 

 警告は、2015年の夏にやってきた。目に見えない敵について語ってくれたのは、26歳のジェラルド・ブレイザーだ。

 

 

「遠くのわかりやすい敵に気を取られ、近くにいる一番危険な敵を見落とせば、気付いた時には全方位囲まれ、あっという間にやられてしまう」

 

 

 冷戦後、戦争の舞台は金融市場へと移り、デリバティブがあらゆるものを国境を越えた投資商品にした。

 

 

 多国籍企業群は民間商品だけでなく公共財産にも触手を伸ばしている。企業は税金を使いながら利益を吸い上げ、トラブルがあったら、責任は自治体に負わせて速やかに国外に撤退する。

 

 

 かつて経済学者たちが眉をひそめて問題視した「資本主義の社会的費用」は、今では取るに足らないことになった。

 

 

 今私たちは、わかりやすい敵に目を奪われて、すぐ近くで息を潜めながら、大切なものを奪ってゆく別のものの存在を、見落としているのではないか。

 

 

 水と安全が保障され、どこへ行っても安全でおいしい食べ物が手に入り、病気になれば誰でもまともな治療が受けられる素晴らしい国。

 

 

 だがそんな日本が、実は今猛スピードで内側から崩されていることに、一体どれほどの人が気付いているだろう?

 

 

 次々に売られてゆく大切なものは、絶え間なく届けられる派手なニュースに掻き消され、流れてゆく日常に埋もれて、見えなくなってしまっている。

 

 

 木だけを見て森を見なければ、本当に立ち向かうべきものは、その姿を現さない。ならば、と私は思った。今、それを書いてみよう。

 

 

 この本を手に取ってくれた読者とともに、知らぬ間に変えられたものを少しずつ拾い上げ、それらを全てつなげることで霧が晴れるようにその全体像を現わす、私たち日本人にとって、最大の危機を知るために。

 

 

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