「殺し屋シリーズ」の原点『グラスホッパー』伊坂幸太郎


伊坂幸太郎先生の作品が好きだってのは、前から言っているじゃないか。『陽気なギャング』シリーズも読んだし、『死神の精度』も読んだ。『魔王』もな。でも、一番良かったのはやっぱり『殺し屋』シリーズだったな。

 

『殺し屋』シリーズってのは、殺し屋を主要なキャラクターに据えたシリーズのことだ。『AX』『マリアビートル』と、はて、なんだったか……ああ、そうだ、『グラスホッパー』だな。

 

『グラスホッパー』は『殺し屋』シリーズの一番最初の作品だ。原点といってもいい。『AX』にも『マリアビートル』にも、名前だけ、あるいは『グラスホッパー』に登場したキャラクターが出てくるぜ。探してみな。

 

『グラスホッパー』で物語の中心になるのは「押し屋」と呼ばれている殺し屋だ。標的の背中を車に向かって押すっていう、それだけの、な。だが、こいつが主人公ってわけじゃない。

 

実在すら疑われていた正体不明の殺し屋「押し屋」が、裏社会に強い影響を持っている寺原という男の息子を手にかけた。仕返しするために寺原は多額の報酬を用意し、どいつもこいつも「押し屋」を探し始める。

 

そんな中で主軸となってくるのが、三人いるんだ。

 

まずひとりめ、「蝉」。チンピラみたいな殺し屋で、口うるさい奴だ。岩西って男に使われていることを不満に思っていて、そいつの鼻を明かすために「押し屋」を狙う。

 

ふたりめは、「鯨」だ。名の通り身体の大きな男だが、腕っぷしじゃあなくて、相手を自殺させる「自殺屋」っていう殺し屋だ。ひどい幻覚に悩まされていて、清算のために「押し屋」を探している。

 

最後に「鈴木」だな。こいつだけやたらと普通だなと思うだろう。そりゃあそうだ。一般人だからな。殺し屋じゃない。

 

教師をしていたが、妻の命を寺原の息子に奪われ、復讐のために寺原の会社に入ったんだ。だが、目の前で復讐の相手を奪われ、思わず「押し屋」を追いかける。

 

「殺し屋」シリーズはこんなふうに何人ものキャラクターが入り乱れていくのが魅力だよな。おっと、『AX』だけはちょっと毛色が違うが。

 

これだけたくさんの登場人物がいるんだ。好きなキャラクターってのもいるんじゃねぇのか。誰か気に入ったのはいるかい?

 

え? 俺か? 俺ァやっぱり「蝉」だな、「蝉」。上司の岩西との関係がたまんなくてなぁ。口調もチンピラ見てェな割に、言っていることはいちいち洒落てんだよな。

 

ま、あんたもこれ読んで気に入ったキャラでも見つけてみろよ。え? もういる。へぇ、どいつだい。田中。はぁん……渋いとこつくねぇ、あんた、マニアだな。

 

まあ、とにかくだ。読んで損はさせねぇと自信を持って言える作品であることだけは確かだな。何様だよって感じになっちまったが。

 

ところであんた、どのシーンが好きだい? 俺ァ終わりだな、一番最後。なんかちょっと示唆があるような、ぼやっとした終わり方するじゃねぇか。好みが分かれるかもしれねぇが、俺は好きだね。

 

 

押し屋を探せ

 

「何してんの、早く中に押し込んでよ」後ろから比与子に急かされて、鈴木ははっとした。頭を振って、亡き妻の記憶を払い落とし、目の前の若者の身体を奥へと押した。

 

金髪で、長身の男だった。眠っている。男の向こう側には、すでに女が乗っている。そちらも鈴木が四苦八苦して、押し込んだのだ。やはり寝息を立てている。若者の足を車内に入れ込んで、ドアを閉めた。

 

「乗って」と比与子が言ってくるので、鈴木は助手席ドアを開けて、中に入った。「簡単でしょ」と比与子は平然としている。

 

「こんなことで怯んでいたら、どうにもならないよ。あんたもさ、試用期間もそろそろ終わるんだから、これからはこういうのに慣れてよね」

 

「たしか、フロイラインというのは、ドイツ語で《令嬢》という意味じゃなかったっけ?」

 

「よく知ってるね。そう。寺原がつけた社名らしいよ」

 

比与子の口から出たその名前に、鈴木は身体を強張らせた。「父親のほう?」と確認をする。社長のことだ。

 

「当たり前。あの馬鹿息子に、会社の名前なんてつけられるわけないでしょ」

 

そうだね、と返事をしながらも鈴木は、自分の腹の奥底から、粘り気のある赤褐色の思いが湧き上がってくるのを感じていた。寺原長男のことを考えると、いつもそうだ。必死に、その感情を押し込める。

 

「出発しないでいいのかい?」とオートマチックのレバーを指差して、訊ねた。

 

「出発ってどこに?」

 

「わからないけれど、でも、彼らを連れて行くんだろ」

 

「いつもはね。今日は違うけど。あんたを試さないといけないんだ」

 

「試すって何を」

 

「あんたは疑われてるんだって」

 

「どうして僕が疑われるんだい」鈴木は唾を飲み込む。

 

比与子は雑談を楽しむかのような顔で、鈴木の左手を指差す。「訊こうと思っていて忘れてたんだけど、あんた、結婚してるの?」

 

鈴木の左手、薬指にある指輪を指しているのは、明らかだった。「してるんじゃない。してたんだ」

 

「たぶん、あんたの奥さん、あの馬鹿息子のせいで、死んじゃったんでしょ」

 

 

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