私は本を読むのが好きである。文字に目を走らせ、現実から乖離し、紙の上に広がる空想世界に身を投じることが至福の瞬間なのだ。
そんな私は当然のこと、学校では休み時間や昼休みにもずっと、外で遊ぶこともせず本に没頭していた。それでも見放されていないのだからよい友人を持ったものである。
友人に読んだ本の数を聞かれて答えると、彼らは決まって心底驚いたような表情をする。
そんなに読んでいるのに、それだけしか読んでいないの、と。
そのたびに私は少し悲しそうな表情をするらしい。実際のところはとても悲しい。表情では少しであっても、私の内心では悲哀の豪雨が降り注いでいる。
本を読むのが遅いというのは、私のコンプレックスのひとつであった。その遅さたるや、普段読書をしない輩のそれすらも凌駕する。
いやいや、私はじっくりと内容を吟味しながら読んでいるんだよ。物語の意味とか、思想とかを想像しながらよく噛み締めて。君たちみたいに口に入れてゴクンじゃあないのさ。
なんて嘯いてみても、虚しさだけが募るばかりで、そもそも読むのが遅いせいで一番苦しんでいるのは私である。
この世に本は無数にある。私が一文字読むごとに世界にある本は百も二百も増えているだろう。全部読んでやろうと思うのに、この遅さでは間に合わぬ。
私はより多くの本を読みたかった。しかし、一冊一冊をおざなりにしているようでは意味がない。
一冊一冊を楽しみながら、かつ早く読むことは不可能なのだろうか。そう悩んでいる時、私は本屋である一冊を見かけた。
『死ぬほど読めて忘れない高速読書』という本である。おお、と私は思わず感嘆の声を漏らした。
これぞまさに私が求めた一冊! お前、本を読む速度、カタツムリより遅いなとすら揶揄された私のための本!
見よ! 本の背後に後光が射しているではないか。やはりこれは聖書なのだ。これはもう、私が読まずして誰が読むのだ! 私は震え気味にその本を手に取った。
後光はただの蛍光灯の灯りであったと発覚したが、ともかくとしても、私の求める本であることには違いない。
私はくしゃくしゃの千円札を手に、その本を持ってレジへと向かった。
記憶の中の図書館
私は果ての見えないほど広大な図書館を見上げた。壁には無数の蔵書が収められている。
それらは時々本棚から好き勝手に飛び出してはぺらぺらとめくれたり、文字を吐き出したりしている。
その騒がしい有様を見て、私は随分と懐かしくなった。ノスタルジーに触れて、図書館の中に夕暮れが差し込んでくる。
かつてはここの図書館には、ほんの数冊程度の本しか収められていなかった。それも、ページが欠けていたり、タイトルすらもかすれて消えていたりと寂しげな雰囲気に落ち込んでいたのだ。
読む遅さは記憶の中の本棚に入れられる本が少なくなるということだ。どれだけ本が好きでも、頭の中にはほんの数冊しか残っていない。
それが今では、無数の本が整然と立ち並んでいるのだ。それも、ページまでしっかりと揃えられた状態で。
受付カウンターに視線を移せば、仰々しく一冊の本が置かれている。『死ぬほど読めて忘れない高速読書』だった。
私はその本を手に取ってぺらぺらとページをめくる。あとがつくほど読みこんだそのページは、色褪せることなく記憶の中で生き生きとしていた。
この本から教わったことを生かして、この図書館はここまで成長を遂げたのだ。
『忘れない高速読書』は楽しむために読む小説には向かない。しかし、知識をつけるための読書ではこれほどに効率のいい読み方はないだろう。
内容を要約しながら読んでいるも同じなのだ。しかも、覚えた内容が記憶から薄れることがない。
脳科学とか、そんな理屈はわからないけれど、実際にこうして読むのが早くなり、記憶から薄れないともなれば、やはり効果があったのだろう。
あの時の苦悩に溺れていた私が藁にも縋る思いで手を伸ばしたもの。それをこの本はしっかりと掴み取ってくれたのだ。
後光は勘違いに過ぎなかったが、それでも、その本は私にとって紛れもない光だったのである。おかげで、この図書館は光に満ちたのだから。
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