「今、授業でやってるやつさあ」
「あ、なんだっけ、『走れメロス』だっけ」
「あれ、あたし、好きじゃないんだよね。なんか暑苦しくて」
クラスの女子がけらけら笑いながら談笑している。内容は国語の授業でちょうど習っている『走れメロス』についてのようだ。
彼女らは『走れメロス』が好きじゃあないようである。それを聞いて、私の目の前に座る友人が怒りに拳を握り締めている。
「あいつら、太宰治先生の作品を貶すとは何たることか」
彼は無類の文学好きで、ことに太宰治が大好きである。私も文学好きであるがゆえに彼との付き合いが長いが、さすがに家に太宰のブロマイドを飾るのはどうなのかと思う次第である。
「まあ、そう怒るな。好みは人それぞれだろう。人に自分の好みを押し付けるのは失礼であろうよ」
「わかっている。わかってはいるが、よもや大衆の面前でこうも貶すことはなかろう」
彼は怒りに震えている。額には青筋を立てていた。彼は他者と好みを共通することを好む。だからこそ、他者が自らの好きなものを許せぬ性質である。
私は好きを好き、嫌いは嫌いで、個人の中に認めてさえいれば他者など関係なかろうという信条であるが、好きなものを否定されると悲しいという気持ちはわからずでもない。
「太宰大先生の作品は全て国宝級の傑作なのだ。彼の作品には一欠けの瑕はない」
とはいえ、彼のように作家の何もかもを肯定するのもまた、侮辱であろうと私は考える。
作家は神ではないのだ。神は物語を書くことが出来ぬ。彼らは人間だからこそ書けるのだ。
私は最近、読んだばかりの本を思い出す。『文豪の悪口本』というタイトルに惹かれたのだ。
そこに描かれた彼らは数ある傑作を生み出して歴史に名を刻んだ大文豪ではない。身近にいる友人のような一個体の人間なのである。
彼らは神ではない。人間であるがゆえに数々の欠点がある。欠けているからこそ彼らは人の心を動かす傑作を書くことができたのだ。
好きな一面も嫌いな一面も
「ええい! もう我慢ならん!」
我慢の限界に達したのか、とうとう友人は力強く立ち上がると、肩で風を切って彼女らのもとへとずかずか歩いていった。
彼女らは最初こそ何事かと動揺したようであったが、言い分をつけてきたのが彼だと知ると、途端ににやにやとからかうように笑みを浮かべ始めた。
それは彼女らだけではない。クラスの人間たちみなが、余興を楽しもうとばかりに遠巻きにしながら友人を見て冷たい笑みを浮かべるのである。
しかし、友人はクラス全体を包み込む異様に静かな熱狂に気づかない。怒りで顔を真っ赤に染めているからであろう。
こんなことは初めてではない。自分の好きなものに真っ直ぐであるがゆえに前しか見られない友人はしばしば学友と問題を起こした。
ゆえに彼には友人はほとんどいない。学友たちは彼を腫れものでも触るような扱いである。友人として親しく話すのも私くらいのものであろう。
彼の熱しやすく、周りが見られない性格は欠点である。世間渡りが下手で、好きなことに妥協できぬのもまた欠点である。
しかし、欠点は必ずしも嫌われるものではない。私は彼のそういった欠点を好ましいと思っている。
とはいえ、時には私に牙を向く彼のその癖に辟易とすることもある。それでも私は彼を友人と称しよう。
好きも嫌いもあろう。友人だからといって、あるいは尊敬する相手だからといって、そのすべてを好きにならねばならぬ道理はない。
人間とはコインのようなものである。どんな聖人君子であれど、人格には裏と表があるものだ。
好きな相手とは友人でいればよい。嫌いな面が我慢ならなくなれば友人をやめればよい。好悪を我慢する必要はなかろう。
好きは好き、嫌いは嫌い。世の中はある一方向から見れば、これほどまでに簡単である。
歴史に名を残す彼らを見たまえ! ささいなきっかけからくだらない言い争いを繰り返す太宰治や作之助と志賀直哉を見よ!
偉人とは立派な人間ではない。立派であろうとした人間である。彼らは尊敬されるべき人間ではなく、隣に立ってくれる人間である。
偉人としての彼らを愛すな。歴史の上に立つ彼らを愛すな。人間として全力で生き、どこまでも人間らしさを貫いた彼らを愛するのだ。
言葉を操る文豪の、時に鋭く、時に迂遠な悪口雑言
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