敗北から何を学ぶべきか『失敗の本質』戸部良一他


 この戦いは、敗北するだろう。決して口には出さずとも、私はそのことを半ば確信していた。

 

 

 押し寄せる無数の軍人はもはや人ではなく、海を荒立てる大波のようにすら見える。人では決して抗えぬ、自然の猛威であるかのように。

 

 

 しかし、間違いなく彼らは人なのだ。すでに我らは敗戦の瀬戸際にいるが、まだ希望はあるはずだった。

 

 

 今まで訓練した通りに、持久戦に持ち込む。勝機に縋るとするならば、その方法しかない。

 

 

 しかし、それもとうとうなくなった。あの大本営の愚か者どものせいで。

 

 

 虎の子である第九師団の引き抜き。そして、代わりとなる補充師団の派遣中止。身を削る我らを、大本営はことごとく虚仮にした。

 

 

 守りを固めた敵を攻めるにはあまりにも戦力が足りない。持久戦に持ち込んだのはそのためである。というのに。

 

 

 大本営から毎日のように送られる催促の電報。攻撃命令。それは敗北しろというのが同義だと、なぜわからないのか。

 

 

 奴らには何も見えていないのだ。我らが立ち向かっている敵戦力も、あまりにも疲弊した自軍の兵たちも、今にも敗北の瀬戸際にいる我が国も。

 

 

 美辞麗句に彩られた敢闘精神。奴らの作戦なんて、書かれているのはいつだってそれだけだ。そんなものは作戦でもなんでもない。

 

 

 我らが相対した敵は恐ろしい存在だった。彼らは瞬く間に力をつけ、我々を遥かに凌駕した。

 

 

 自らの敗北を見つめ、そこから学び、劣っていた点を改善するよう努力してきたからこそだろう。

 

 

 我々はそのことを忘れていたのだ。変化を拒絶し、自らの信じる道こそが正道なのだと。

 

 

 大本営が見ていたのは、我が軍の華やかな過去の勝利と、聞いていて心地よい精神主義の言葉だけだった。

 

 

 自分たちの成功を額に飾って眺めるばかりで、これから立ち向かうべき敵を知ろうとしなかったのだ。これはその愚かさの顛末である。

 

 

 この敗北は当然の結果だった。思えば、あの忌々しきノモンハンの一件が、すべての引き金だったのかもしれない。

 

 

 聞こえるのは、銃の声か。断末魔か。すでにそれは、私のすぐそばにまで迫っているのだ。

 

 

 これから我が国はどうなってしまうのだろうか。敗北の先に何が待ち受けているのか、私には知る由もない。

 

 

失敗から学ぶ

 

 懐かしい。私は思わずふっと笑みを零した。懐かしいと思うのもおかしなものだ。あの頃の私と今の私は違う存在だというのに。

 

 

 『失敗の本質』は大東亜での戦いのことを研究した一冊である。今では資料なんてほとんどないはずなのに、よくぞここまで調べたものだ。

 

 

 これは正しい。おや、これはこうなっていたのか。いや、しかし、これは間違いだ。そんなことを思いながらこの本を読んだ者なんて、私以外にはいないだろう。

 

 

 敗北することは未来がないことである、と当時は誰もが信じ切っていた。敗北し、我が国を侵略される未来は、存在してはならないのだと。

 

 

 しかし、実際に敗北した結果はどうだ。今の世の中は、あの頃の我が国が思い描いていた理想の未来図よりもはるかに素晴らしい。

 

 

 今では、戦っていた頃の我が国は愚かだと言われている。それはまさしくそうだ。しかし、今でこそ間違っていたと言えるとしても、それが当時は正しいことだったのだ。

 

 

 敗北すれば未来はない。失敗してしまっては、それでおしまいだ。我らは誰もがそう信じていた。しかし、実際はそうではなかったのだ。

 

 

 尊敬すべき我が敵は敗北から学んだ。失敗を糧とした。しかし、我が国はそれができなかった。敗北から目を背け、失敗を隠し、その可能性を考えもしなかった。

 

 

 そして、それは現代も、何ひとつとして変わっていない。

 

 

 戦後の我が国の人々は、占領してきたアメリカに対する憎悪を燃やしていたのだという。憎悪に囚われ、彼らを悪とし、自らを省みることをしたのはそれから何年も後のことだ。

 

 

 あの戦いから何を学んだのか。我が国は、結局、あの敗北と今でも向き合っていない。なぜ敗けたかに執着し続け、そこから未来を学ぼうとしない。

 

 

 昔も、今も、我が国は変わらない。互いを重んじて、調和を何より大切にし、美しい精神を信じる日本のままだ。それは果たして良いことなのか。

 

 

 我らは今でも、失敗や敗北を嫌い、隠そうとする。そこから目を背けようとする。それが恥ずかしく、失敗を認めることが恐ろしいからだ。

 

 

 しかし、それではいけないのだろう。我が敵のように、失敗を教師として学び、敗北を糧として学ばなければならない。いかに痛みを伴うのだとしても、成長は痛みを伴うものなのだ。

 

 

 もう二度と、あの過ちを繰り返してはならない。そのためには、失敗を隠さず、正面から相対していくしかないのである。かつて戦った友たちを、無駄にしないためにも。

 

 

大東亜の敗北に学ぶ現代の組織の欠陥

 

 大東亜戦争において、日本は惨憺たる敗北を喫した。したがって悲惨な敗戦を味わった日本人が、なぜ敗けたのかを自問したのも当然であった。

 

 

 やがて真相が明らかになるにつれ、この戦いは最初から日本軍の勝利がないことが理解された。それゆえ、この問いはなぜ敗けるべき戦いに訴えたのか、という形に転化した。

 

 

 もし読者がこのような原因究明を本書に期待しているとすれば、読者はおそらく失望するであろう。本書は、日本がなぜ大東亜戦争に突入したのかを問うものではないからである。

 

 

 本書はむしろ、なぜ敗けたのかという問いの本来の意味にこだわり、開戦した後の日本の「戦い方」「敗け方」を研究対象とする。

 

 

 しかし、本書は、単なる戦史研究のレベルにとどまろうとするものではない。これまでの戦史研究の成果を参照しつつ、それを現代の文脈に生かすことである。

 

 

 諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗と捉え直し、これを現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用することが、本書の最も大きな狙いである。

 

 

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