文明の扉を開く『日本人は何を考えてきたのか』NHK取材班


明治は激動の時代であった。外患の脅威に慄いた明治政府は西欧の文化を取り入れることで近代化を進めていった。人々は時代の奔流に翻弄されながらも、各々の考えのもとに生きていたのである。

 

もともと、明治時代という時代が私は好きではない。坂本龍馬や西郷隆盛らの奔走によって誕生した明治政府は彼らの理想通りにはならず、旧来の悪習を残したまま樹立した。

 

古き良き日本文化を破壊するかのごとく、貪るように西洋文化を取り入れたことは、果たして良かったのかどうか。とはいえ、文明開化こそが現代の私たちの時代をつくる礎となったのは事実であろうけれど。

 

『日本人は何を考えてきたのか』というNHK取材班のシリーズを手に取ったのは、そんな当時の人たちの考え方に興味を持ったからだった。

 

そのきっかけになったのは、福沢諭吉の『学問のすゝめ』を読んだからである。彼の思想は当時からしてみれば先進的で、ともすれば現代の私たちの感覚にすら近い。

 

彼はあるべき環境を歪めることは悪しきことだと断じ、西欧の真似事ではなく、日本ならではの道を辿ることで近代化すべきである、と説いたのだ。

 

私はその考えを知った時、彼の慧眼に感銘を受けた。そして、その思想から、明治時代というそのものに興味を抱くようになったのである。

 

『日本人は何を考えてきたのか』を読んで印象に残ったのは、田中正造であった。足尾銅山鉱毒事件を解決すべく民のための奔走し、ついには天皇に直訴すら試みた勇の人として知っていた。

 

しかし、この本に書かれていたのは、それよりもさらに精力的に活動する彼の姿と、近代化のもとにあまりにも横暴な明治政府の悪行である。

 

田中正造の行動の根幹には、常に「民」の姿があったように思う。彼は議員になってからも地位におごらず鉱毒問題に悩まされる人々のために国を相手取って戦い続けた。彼が議員をやめたのは、聞く耳を持たない政府に失望したからである。

 

正造の行動によって高まった世論を受けた政府は、衝撃の悪行を行う。治水工事を行って、有毒な水を谷中村という小さな村に閉じ込めたのだ。つまり、ひとつの村を犠牲にすることで事態を収めようとしたのである。

 

真の文明は山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし

 

彼が最期に遺したこの言葉を、私たちはよく胸に刻み込むべきだと思う。

 

現代の私たちは、どうだろうか。文明は発展し、たしかに生活は便利になった。しかしその代償は、地球温暖化の進行、環境破壊は止まず、その犠牲になっているのは抗う声すら上げられない人たちだ。

 

当時の明治政府の姿勢を、私たちは受け継いでいる。彼の言葉に耳を貸さなかった代償は大きかった。私たちの文明は、山を裸にし、川も海も汚し、村は廃れていく一方で、多くの人が犠牲になっていった。それは今も続いているのだ。

 

明治時代は日本の確かな転換期であった。無理やり西欧に習った近代化を明治政府が進めていく中で、多くの思想が入り乱れている。

 

特に、西欧の文化を学び、時代の流れに惑わされずに冷静に時代を眺めていた知識人たちの視点は、現代でも通じるほど先見的で、現代の私ですら驚かされるほど正鵠を射ていた。

 

にもかかわらず、政府が彼らの声に耳を傾けることはなかった。次第に日本は軍事政権へと傾き、戦争へと赴くようになり、そして無残な敗北を喫する。それはある意味、必然であったようにも思える。

 

もしも、明治政府が彼らの声に耳を傾けていれば、どんな日本になっていただろうか。自由を訴える板垣退助の声に。日本独自の近代化を説いた福沢諭吉に。民の窮状を訴えた田中正造に。非戦を叫んだ幸徳秋水に。

 

もしもの話は意味がない。そう知りつつも、思わず考えてしまうのだ。国は彼らの言葉を、権力のもとに無理やり押し潰した。日本は現代もなお、その報いを受け続けている。

 

彼らの生き様は、現代にも通ずるところがあると思う。私たちは彼らから学ばなければならない。現代の日本は、命を懸けて国を救おうとした彼らに胸を張ることができるだろうか。

 

 

激動の時代

 

日本はどこにゆくのか――。多くの人々がこの問いに向き合っています。文明の転換点に立った今だからこそ、日本人が初めて西欧近代文明と真摯に向き合った明治の思索から見つめ直してみたい。

 

「日本人は何を考えてきたのか」は、こうした思いから始めました。議会制民主主義、地方自治、環境破壊、非戦と平等という、いずれも今、日本が抱えている大きな課題に取り組んだ思想家たちの物語です。

 

日本人の思想を世界史的な広がりのなかでとらえ直してみると、私たちの気付かない新たな発見があります。今回も、そうした発見が得られたのではないかと思います。

 

一八六八年に誕生した明治新政府は、日本が「近代国家」として独立するには、積極的に国を開いて諸外国と交わり、欧米の進んだものを取り入れていくしかない、と考えた。明治の日本はひたすら近代化に邁進していく。

 

だが、近代化の道筋について、明治政府は初めから明確なビジョンを持っていたわけではない。新たにできた政権には、近代国家について知るものは少なかったのである。ここに登場してくるのが、一群の知識人たちであった。

 

こうして知識人たちが、政府の誤りや不備を突きながら、近代国家の組織、法や思想、近代化のあり方について活発に論じ、著述し、政治的・社会的に大きな影響力をもったのである。

 

 

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