社会が長く続くために『働かないアリに意義がある』長谷川英祐


ようやく巣に帰ってきて、ほっと一息ついた。危険が多い外とは違って、巣の中は安全だ。持ち帰った獲物を子どもたちにあげに行く途中、ふと、一匹のアリが目に入った。あの子、また働いていない。

 

虫たちの間では、アリは働き者である、として通っている。働き者のアリと遊び人のキリギリスをモデルにしたおとぎ話があるくらい。

 

でも、実はそうじゃないことを、他ならぬアリたち自身は知っていた。外に出ているのが働きアリだけだから働き者だと思われているだけで、もしも虫たちが巣の中に入ってきたら別の感想を抱くだろう。

 

巣の中にいるアリたちの中には、いつもサボって仕事をしていないアリもいる。あの子もまた、その一匹だ。

 

ある時、ビスケットという上質な獲物を発見して小躍りしながら帰ってくると、またあの子がサボっているのが見えた

 

周りに他のアリたちはいない。私は彼女に一言モノ申すことにした。我慢できなくなったのである。彼女が働いていないことで巣全体に影響が出たら溜まったもんじゃない。

 

「ちょっとあなた」

 

「うん? 何か用?」

 

「前もそうやってサボっていたでしょう。サボってばかりいないでちゃんと働きなさいよ」

 

私がまくし立てるように言うと、彼女はきょとんとした顔をする。その表情がまたイライラして仕方がなかった。まったく、最近の若者ときたら。

 

「仕事をしないやつなんて、この巣にはいらないわ。出ていきなさいよ」

 

とうとう言ってやった。満足感と心地よさに浸る。でも、彼女はと言うと、何ら応えたわけでもなく、いやむしろ、私に対して呆れたような視線を向けた。

 

「いやいや、私みたいな働かないアリも必要だよ」

 

「何のために」

 

「わかりやすく言うなら、予備、かな」

 

「予備?」

 

彼女は足のひとつをぴんと立てて、言った。

 

「全員が一斉に働き続けたら、どうなると思う?」

 

「素晴らしいことじゃないの」

 

「そうかな? 一時も休まずに?」

 

「それは……」

 

無理だ。言うまでもない。

 

「一斉に働いていたらさ、みんなが一気に疲れちゃうでしょ。その時に、巣全体が動かなくなっちゃうじゃん」

 

だから私みたいなアリがいるの。あなたたちが疲れた時のためにね。そう答えた彼女に、それでも私はぐうの音も出なかった。

 

「私たちにとって大切なことって何?」

 

「巣の存続と繁栄よ」

 

「正解。私たちはよく考えるわけでもなく自然と巣のために働いている。一見働いていなくても、そこにはちゃんとした理由があるのよ」

 

「……あなた、なんでそんなこと知っているの?」

 

「本に書いてあったわ。『働かないアリに意義がある』って本。気になるなら、今度貸してあげようか?」

 

「いらないわ」

 

なるほど、たしかに彼女みたいに働かないアリというのも必要なのかもしれない。女王様が彼女を追い出していないのだし、理由がわかった以上、私がとやかく言えることでもない。

 

働くことこそ正しくて、働かないのは悪いこと。今まで、私はそう信じていた。自分が働き者のアリであることに自信を持っていて、働かない子たちを怠けものだと軽蔑していた。

 

でも、そうじゃないことがわかった。働き者と、怠け者。ほんの少し視野を広げてみるだけで、その意味はまったく変わってくる。私もまた、私たち「アリ」をどこか先入観で見ていた。

 

大切なのは、誰かを批判して傷つけてしまう前に、視野を広げて見方を変えること。そう、地上にいるアリだけを見てたって、本当のことなんて誰にもわからないのだから。

 

 

働かないアリは巣に必要?

 

明治の文豪、夏目漱石は「草枕」の冒頭で、「とかくに人の世は住みにくい」と言っています。なぜ住みにくいのか? それは人の世が「他人のいる社会」だからです。

 

もし、世の中から他人がひとりもいなくなったら気楽じゃないでしょうか? ちょっと考えれてみれば、その想像がただの夢にすぎない理由はすぐにわかります。ヒトという生き物は社会なしには生きられないのです。

 

ところで、社会をもつ生物はヒトだけではありません。さまざまな生き物にも、そして、その辺を這いまわるちっぽけなムシたちにも社会としか呼びようのない集団が存在します。

 

複数の階級が協力してひとつのコロニーを形成する真社会性生物は、単独で暮らす生物にはない、さまざまな複雑さを見せてくれます。本書ではそこから生じるたくさんの疑問への回答を試みています。

 

この本では、社会性生物のさまざまな生態を紹介し、その奇妙でときにユーモラスな行動を楽しんでいただきたいと思っています。

 

生物としてのヒトとムシの一部は、社会をもつ点では共通性がありますが、身体の構造から知能程度までまったく違う生き物です。

 

社会性のムシは、人間にとって身につまされる切ない行動から複雑な集団行動、はては驚くべき現象まで、実に多様な生き方を示します。人はムシの生き方からさまざまに教わることが多いように感じるのです。

 

多くの生き物好きが魅せられる真社会生物。その一端をご紹介することで、読者のみなさんの社会生活を豊かにすることに少しでも貢献できれば幸いです。

 

 

働かないアリに意義がある (ヤマケイ文庫)

価格:935円
(2022/4/10 19:53時点)
感想(0件)

 

関連

 

ネコは私たちをどう見ているのか?『猫的感覚』ジョン・ブラッドショー

 

道端で、不意に通り過ぎる。私たちを見つめてにゃあと鳴いて。ずっと昔から私たち人間の生活に自然と寄り添っている猫たち。でも、逆に彼らの目から見た私たちって、どういうふうに見えているのだろうか?

 

猫が好きな貴方様におすすめの作品でございます。

 

 

猫的感覚 動物行動学が教えるネコの心理 [ ジョン・ブラッドショー ]

価格:2,420円
(2022/4/10 19:57時点)
感想(0件)