高校生の頃、夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読みふけっていた。読んだら気が狂うと言われている奇書。私はその時、心の底から、狂いたかったのだ。
「狂う」というと、どこか恐ろしいような印象があるかもしれない。『ドグラ・マグラ』のように、精神病院は尋常の病院とはまったく違う、漠然とした恐怖の対象だった。クトゥルフ神話TRPGでは「発狂」することは危険視される。
だが、それでも、当時の私は狂いたかった。他人の顔色を常に気にして、友だちの言葉のひとつひとつに傷ついて、それでもにこにこと笑っていなければならない、そんな生活に疲れていた。
狂えば、社会からの評価なんて何も気にならなくなる。他人からの視線なんて何も気にならなくなる。社会から見捨てられ、誰からも侮蔑と嫌悪の視線を向けられ、ただ朽ち果てていくばかりの落伍者。それこそが、私の憧れた姿だった。
私にとっての「狂う」とは、自由の象徴だった。社会のしがらみや他人の視線から解き放たれ、自分の好きなことを自由に行うことのできる。そのおよそ理解されないであろう歪んだ憧憬は、私の心の中にずっと寄生虫のように住みついていた。
しかし、そんな私も時を経て、とうとう狂うことなどできず、ただのつまらない「大人」になった。「普通」であることに喜びを覚え、社会の中に透明という保護色で溶け込む、背景としての人間になった。
社会から決められたルーティーン。私の望んだ自由とは対極の日々だった。私の中の何かが削られているような、そんな気がしていた。
その本を見つけたのは、そんな時だった。ひろさちや先生の『「狂い」のすすめ』。私はひと目で、そのタイトルに魅了されたのだ。衝動に誘われるままに手に取って、読んでみる。
その本は「狂うこと」をすすめる本である。ただ、この本のすすめるそれは、かつての私が夢見たような、いわゆる世間から外れる「狂い」ではない。
引き合いに出されているのはとんちで有名な一休宗純である。彼は優れた坊主として尊敬を集めていたが、同時に奇行を繰り返す人物だった。この本は、いわゆる彼のような「狂い」をすすめている。
すなわち、社会から見放されるのではなく、社会の中に生きながら、社会を軽蔑し、嘲弄し、見下していくのである。社会への侮蔑を以て、冷酷な世間に立ち向かっていく。それこそが、この本のすすめる「狂い」だ。
気が付けば、私は半ばとりつかれたようにその本を読んでいた。読み終わると、再び最初に戻り、もう一度読んだ。そんなことを、何度繰り返しただろう。
《何せうぞ くすんで 一期は夢よ たゞ狂へ》
作中でも引用されている歌が、私の頭の中を駆け巡っている。学生の頃に何度も読んだ《ドグラ・マグラ』。一休宗純の奇行。まるで壊れたフィルムのように、それらが繰り返し再生される。
ふと、私は自分の姿を見た。きっちりとネクタイを締め、上まで留めたワイシャツ、堅苦しいスーツを身に纏っている。私はそのネクタイを外し、ワイシャツのボタンを少し外し、スーツの前を開けた。
途端、心中に湧き上がる罪悪感と恐怖心。けれど、それ以上に、言いようの知れない解放感があった。「社会の歯車」から、ほんの少しだけ、「わたし」に戻ったような。
狂う。そうだ、狂えばいい。私はなぜ、こんなにも社会を怖れていたのか。ルールが絶対だと信じ、上司の言葉に唯々諾々と従っていたのはなぜか。そもそも、社会から脱落した狂人こそが私の求める姿であったのに。
これは私だけの人生だ。私が主役の人生なのだ。社会が何だ。他人が何だ。誰にも強制されることのない、私だけの人生。気付いてしまえば、自由はすぐそこにある。私はようやく、狂うことができたのだ。
ただ狂え
室町時代に編纂された歌謡集『閑吟集』には、このような歌が収録されています。
《何せうぞ くすんで 一期は夢よ たゞ狂へ》
何になろうか、まじめくさって、人間の一生なんて夢でしかない。ひたすら遊び狂え――といった意味でしょう。それはある意味で、彼らの願望でありました。いや、願望というよりも、むしろ現実と闘うための思想的根拠であり、武器であったと思います。
青臭いようなことを言いますが、わたしは思想・哲学というものが、苦しみの現実と闘う武器になると思います。
弱者にとって、世間は冷酷です。弱者は世間の流れに掉さして生きることができません。いつの世にあっても、弱者は世間とよそよそしい関係になってしまうのです。
そして世間は彼に重圧をかけてきます。弱者は世間の除け者にされ、場合によっては世間から糾弾されます。そんなとき、弱者にとっては思想や哲学がひとつの武器になります。
もっとも、世間と闘うといっても、真っ向から闘争を挑む必要はありません。ちょっと世間を下に見てやればいいのです。見下すのです。
〈俺は世間を信用しないぞ〉と、心の中でちょっと呟いてみるだけでいいのです。それが、わたしの言う思想・哲学なんです。
人生は夢です。だとすれば、まじめに生きるに値しません。そういう自己拘束をやめにしませんか。
わたしはこれを、――「ただ狂え」の哲学――と名付けています。この哲学でもって世間と闘ってみよう。そうすると、きっと視界が開けてくるだろうと思っています。
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