「なぜ」「もしも」がアイデアを生み出す『10分あったら、どう考える?』野澤幸司


わからない。わからない。わからない。頭の中を同じ言葉がぐるぐる回る。堂々巡り。答えが見つかったと思ったら遠のいて。さっきから、そんなことの繰り返しだった。

 

生みの苦しみというものが言われるが、芸術が生まれる時はいつだって世の賛美するような華々しいものではない。身の引き裂かれるような苦難が、そこにはある。

 

私は今まさに、その渦中にいた。構想はある。創りたいという熱意もある。だが、何よりも大切なもの、その作品の象徴なるものが、難航していた。

 

顎に手を当て、顔をうつむかせる。その視線は真下に向けられているようでいて、しかし、その実、何も見ていなかった。私の視線は、すでに世界ではなく、私の脳髄の中を駆けまわっている。

 

尻の下に感じる石の冷たい感覚は、すでに消えて久しい。最初は座りの悪かった凹凸も、今や私の一部となって、まるで一個の作品のように一体となっている。

 

悩み始めてどれほどの時間が経っただろうか。ほんの数分かもしれないし、三時間が経っているような気もする。時間の感覚もまた、私と一体になって消え失せていた。もしかしたら、私は百年もの間、考え続けていたのではないか。

 

すでに彫刻家として名の売れた私のことなど、時間の底に埋もれて、誰も覚えていないかもしれない。それもまたよいかもしれない。名声は望んでいたよりも疲れるものだった。

 

私が過ごしていた世界は、もはや面影すらもない。天を突くような建物がそびえ立ち、人々は見たこともないような面妖な格好をしている。

 

何人もの人が往来を行き交っていた。誰もが凄まじい速さで歩いているにもかかわらず、まるで針の隙間を縫うように、誰ひとりとしてぶつかることはない。

 

私が座っている石の少し下にも、大勢の人がいた。何やら得体の知れない板のようなものを触っている人がいる。ぼんやりと佇んでいるだけの人、恋人と手をつないでいる人もいた。

 

ふと、ひとりの青年が目に入る。彼は本を読んでいた。その本は、ちょうど私の視線の真下にある。だからこそ、私はまるでその本を読んでいるかのようによく見えていた。

 

それは、『10分あったら、どう考える?』という表題であるらしい。野澤幸司という人物の名前が記されているところを見るに、読んでいる彼の名か、あるいはその本を書いた著者の名であろう。

 

しかし、私が着目したのは、そこではなかった。それは、もしかすると私のこの悩みに一筋の光を見出してくれるかもしれない言葉である。

 

「何か新しいアイデアを思いつくタイミングは、生活の中にあるスキマの時間が多い」

 

スキマの時間。すなわち、思索から解き放たれ、考えることをやめた時間。その本は、その時こそアイデアを思いつく時間なのだという。

 

その本にはそれだけでなく、一見答えから遠ざかるような、ただの時間の無駄とも思える方法すら書かれている。まったく関係のないことを考えてみる、というような。

 

たとえば、として出されているのが、「政治と不倫とドーナツの関係を想像するとしたら?」だ。わけがわからない。そんなことを考える時間すらも惜しく思える。

 

だが、もしも。もしも、私がほんのひと時でも考えることをやめたのならば。

 

私は凝り固まった身体を動かそうとする。ピシピシと硬くなった頭にひびが入った。群集の視線が私に集まった。女の黄色い悲鳴が上がる。

 

首が割れ、肘が砕け、足が叫んだ。気の遠くなるような思索で凝り固まった身体が、石のような表皮から解放されていくのを感じる。尻の下に敷いていた石が、固着していた空間を破壊した。

 

私は立ちあがり、しばし呆然と佇む。世界は、私のよく知る世界に戻っていた。いったいあの世界は何だったのか。夢にしては感覚が真に迫っていた。

 

死後の世界か、今いるところが現実で、実際の私はすでに命を落としたか。だとすれば、あの世界は、天国か、地獄か。

 

ふと、天啓が下りた。そうか、私はあの時、悩みに苛まれ、地獄を覗き見ていた。だが、それだけでは答えは見つからない。答えは地獄ではなく、天国にある。視点を変えなければならないのだ。

 

そうだ、あの地獄へと続く門。その頂上に、私自身を描くのだ。それこそが、象徴。悩み、苦しみ、動かぬ石となって永遠に地獄を見続ける、愚かな「詩人」。

 

考え続けていても、答えは見つからない。長い時間、ずっと「考える人」だった私は、ようやく答えを見つけたのだ。

 

 

良いアイデアを思いつくには

 

私は学生時代、ラジオが大好きで、オールナイトニッポンを中心に、リスナーがネタを投稿する番組を好んで聴いていました。人が考えたネタを聴いて、すごいなあと感心したり、自分ならこう書くなあとか妄想したりしていたのです。

 

何かしらの課題に対して、言葉やアイデアで答えを返していく。この構造は、ハガキの投稿にも広告のコピーにも共通しています。

 

そしてもうひとつ共通していることは、何か新しいアイデアを思いつくタイミングは、生活の中にあるスキマの時間が圧倒的に多い、ということ。

 

スキマの時間以上に創作に向いている時間はないんじゃないかっていうくらい。ずーっと考えて考えて、ふと力を抜いたり視点が変わったときに、何かが出てくるような気がしています。

 

断っておきますが、10分で画期的なアイデアが生まれるとか、仕事が片付くということでは決してありません。頭の中が煮詰まるくらい考え尽くすことが大前提。

 

そのうえで、「なぜ」「もしも」でさらに思考を深めて、ちょっと新しい刺激を加えるにはどうしたらいいか。そのキッカケを何の根拠もなく独断と偏見で書き綴っただけです。

 

あなたも、今日からこの「10分」で新しい発想に出会ってみませんか? アイデアづくりに困ったとき、お役に立てるものと思います、たぶん。

 

 

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