絵にストーリーが生まれる『風景の中に人を描く』ヘイゼル・ソーン


「君の絵には命がない」

 

私の描いた風景画を見た先生はそう言った。その言葉が、今も膿のように私の胸で疼いている。ずきずきと。悲鳴を上げている。

 

昔から、絵を描くことは好きだった。特に風景画は、描いていて楽しい。筆を走らせ、色を乗せると、まるで白紙の上に世界が広がっていくようで。

 

周りの誰もが褒めてくれた。友達も、両親も、他の先生も。ただひとり、一番褒めてほしい人を、除いては。

 

先生は、豊かな白髪を蓄えた老人である。私に絵を教えてくれた先生で、穏やかな笑顔の、優しい人だった。先生の描く絵は躍動感があり、思わず息を吐くほど美しかった。

 

けれど、先生は、ずっと私の絵を認めてはくれない。柔らかな笑顔ではあるが、先生から褒められたことはなかった。他の子たちは褒められているのに。

 

「君の絵には命がない」

 

命がない、とは、どういうことだろうか。私は描いたばかりの自分の絵を見つめてみる。色の塗り方。線の一本一本に至るまで。

 

けれど、わからなかった。先生は何を伝えようとしているのか。悔しくて、歯痒かった。私がうつむいていると、隣から友人が絵を覗き込んで声をかけてきた。彼女の髪から油絵具の香りがふわりと漂う。

 

「相変わらず上手いねえ」

 

「……でも、命がないんだって?」

 

「命?」

 

「先生にそう言われたの」

 

ふぅん、と彼女は小首を傾げた。その表情はどこか楽しんでいるようにも見える。そういえば、彼女の絵を鑑賞する審美眼はたしかなものがあった。ここは自分ひとりで考えるのをやめて、人の意見を聞いてみるのもいいかもしれない。

 

「ねえ」

 

「なに?」

 

「命がないって、どういうことかわかる?」

 

「うーん、なんとなく、だけど」

 

彼女の言葉に、思わず私は前のめりになる。

 

「お、教えて」

 

「わかりやすいんだけどね、つまりさ」

 

あなたが描く絵って、風景ばかりで人がいないんだよ。生活感というか、生き物の息吹が何も感じられない。まるで別の世界みたいだ。命がないって、そういうことだと思うよ。

 

彼女も帰宅し、誰もいない美術室でひとり、私は考えていた。人がいない。なるほど、たしかにそうだ。私は風景画の中に、人を描いたことは一度もなかった。

 

風景を描くのは得意だったけれど、私は人間を描くのは大の苦手だった。息遣い。動き回る瞳孔。上下する胸。モデルをしてもらっている時ですら、彼らは石像のように止まるということができない。

 

だが、先生の「命がない」という言葉は、今もなお、私の胸に突き刺さっている。先生に認めてもらいたい。その欲求は、すでに青天井ほどにも高まっている。

 

帰り際、美術室に収められている本を眺めてみた。この中にヒントがないか期待したのだ。はたして、その中の一冊の本が目についた。

 

それは、ヘイゼル・ソーンという人の『風景の中に人を描く』という、まさにそのままなタイトルだった。試しに、と思って読んでみる。

 

著者はイギリス人の画家で、野生動物や人物をテーマとした作品を多く手がけているらしい。私とはまるで正反対。彼は「命」を描くのだ。

 

風景の中に、人を置く。それは巧みな絵だった。けれど、よく見ると、細部まで描き込まれているわけではない。むしろ、細部をあえてぼかしている描き方をしていた。

 

著者が言うには、むしろ細部まで描き込むよりも曖昧に大胆に描くことが必要なのだという。人物を描くうえで大切なのは、プロポーションと、ポーズ、そして光。

 

その三つさえ踏まえていれば、描き込むなんてしなくても、人に見える。それを、彼は本の中で再現してみせた。

 

たしかに、そうだ。描き込まれていないのに、人に見えた。近くで見ると、何の形も成さないただの絵の具でしかないのに。その事実に、私は衝撃を受けた。

 

ふと、本から目を離し、自分の絵を見つめる。無機質で空虚な絵。どこかのようで、どこでもない、命の絶えた世界。それこそが、私の生み出した世界だった。

 

筆を手に取り、あぜ道の半ば辺りに、とん、と、小さく色を乗せる。本で見せられたとおりに。途端、私の世界は色づいた。そこに最初の命が生まれたのだ。

 

 

絵の中に物語を

 

本書では、全ページを通して「人物を描く」という刺激的でわくわくする課題に挑んでいます。それはあなたが思うほど難しくはありません。

 

数ページ読み進めれば、違和感なく簡単に人物を紙やカンバスに描けることに気付き、さらにプロポーションやポーズ、光の重要性について知ることができるでしょう。

 

衣服による体型の表し方、色彩豊かな模様の描き方、そしてモデルに似せるコツも学べます。

 

空間をどう表現するかが人物そのものと同じくらい重要であることに気付いて驚くかもしれません。あるいは、多くを描かない方が多くを語ると知ってほっとするかもしれません。

 

注意を払うべき主な要素は三つ、プロポーション、ポーズ、そして光です。すべての細部を描く必要はありません。

 

練習あるのみです。多くの人を描けば描くほど、さらに自信が持てるようになります。やがて、人物や顔を絵の中にさりげなく描けるようになり、モデルになった人々がそこにしっくり納まって見えることでしょう。

 

 

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