定年後の夫婦のあり方『定年夫婦のトリセツ』黒川伊保子


 自由になりたい。家事をしながら、私ははあと深くため息を吐いた。水道の音に紛れて、部屋でテレビを見ている夫には聞こえないように。

 

 

 ここ数日、いや、数年、ずっと憂鬱な気分が続いていた。きっかけは、夫が定年を迎えたことだった。

 

 

 結婚当初、優しく穏やかで、でも少し頼りない夫だった彼は、今や会社の幹部のひとりという役職を経て、厳格な堅物になり果てた。

 

 

 今にして思えば、彼の生来の気質だった真面目さが次第に神経質と偏屈さになったのだろう。若かった彼の、寛容で物腰柔らかな態度なんて、今はもう、どこにもなかった。

 

 

 料理を作れば、おいしいとも言わず、まず小言を言う。シャツに皴が残っていると言う。文句を言うなら食うなとも着るなとも言えず、私はただ、黙って聞いているしかなかった。

 

 

 それでもまだ、彼が働いていた頃はまだましだった。朝に夫を見送って、夜に帰ってくるまで。その時間だけが、私の唯一心休めることのできる時間だったのに。

 

 

 夫が定年を迎えた時、「おつかれさま」と言いながら、内心では絶望に悶えていた。

 

 

 これからは、彼がいるのだ。ずっと、家に。ぞっとするような話だった。しかし、それはもう、現実だ。いっそのこと、帰ってこなかったらどれだけ楽だろうか。

 

 

 夫は少しも家事の手伝いをしてくれなかった。ずっとダラダラと過ごして、そのくせ、相変わらず料理や掃除には小姑のように小言を言う。

 

 

 意見を言えば、「お前が生活できているのは俺のおかげなんだ」と、働いてきた自分を主張してくる。そしてまた、テレビドラマに戻っていくのだ。

 

 

 一度友だちに誘われて出かけた時は、玄関でいかにも不機嫌な夫が待っていた。その日はいつにもまして小言が多く、遊んで向上した気分も、一瞬で落ち込んでしまった。

 

 

 これではまるで、主人と召使ではないか。足枷につながれているかのようだった。私は逃げ出したかった。夫の手から。しかし、そんなことができるはずもない。

 

 

 いっそのこと、すでに人生に未練はないのだし、ということまで考えたことがある。しかし、人生百年時代、今や、百歳以上生きることも珍しいことではなかった。

 

 

 百年となると、私と夫の年齢は60歳半ば。残り40年近くも、私はこの夫の小言に耐え続けなければならない。

 

 

 いやだ。そんなの、耐えられるわけがない。あんまりじゃないか。私の人生は、いったい何のためにあったのだろう。夫のために生きたようなものじゃあないか。

 

 

 自由。とにかく、自由が欲しかった。私だけの、人生が欲しかった。私を縛りつける夫から、逃れたかった。

 

 

 だが、もしも、逃げたとしても、その後、どうすればいいのだろうか。

 

 

 結局、私は夫から離れることはできない。それが現実。あまりにも残酷な現実だった。

 

 

「あら、こんにちは。大丈夫? 顔色悪いわよ」

 

 

 重い足を引きずって買い物に行っていると、近所の夫人が声をかけてきた。弱っていた私は、実は、と夫の愚痴を思わず吐露した。

 

 

「あらそう、大変ねぇ。そうだ、あなたにおすすめの本があるわよ。私も参考にしたんだけど」

 

 

 そう言って彼女が私の手に、貸してあげる、と押しつけたのは、一冊の本だった。

 

 

「『定年夫婦のトリセツ』っていう本よ。この前、テレビで見かけてね、思わず買っちゃったの。ほら、私も夫とのことで悩んでいたから」

 

 

 私はその本、『定年夫婦のトリセツ』の表紙をじっと見つめた。この中に、私の悩みを解決してくれることが書かれているのだろうか。

 

 

 長年、連れ添ってきた、夫。若い頃の熱も愛も、すっかり冷めてしまった。けれど、それでもきっと、私と彼はこれからも一緒に歩いていくのだろう。

 

 

男女の違いが招くすれ違い

 

 今や、3~4人にひとりが100歳以上生きるとテレビで言っていた。もしも、私たちが100歳に到達するのなら、なんとこれから40年もあることになる。人生100年時代の到来は、結婚70年時代の到来でもあったのだ。

 

 

 これまでよりはるかに長い年月を、私たちは夫婦として生きていく! 泣いたり笑ったりしてともに歩いてきたこの道のりよりも、はるかに長いって、どんなに長いんだ。

 

 

 うちだけの問題じゃない。残念ながらこの事態に、人類は慣れていない。日本の夫婦シーンは、暗雲立ち込めている。

 

 

 結婚28年目、夫婦は「安寧」の扉を開く。その直前が、実は最も危ないのである。腐れ縁にあきれ果てる時だからだ。

 

 

 人生の道のりは、パンドラの箱に似ている。人生の苦悩の全てが噴出した後に、希望がふわりとと飛び立つあの箱だ。

 

 

 腐れ縁の果てに訪れる、小さな「希望の光」を見逃さないで。風の中の灯りを消さないように。それがこの世の夫婦全てに、私が贈りたいメッセージだ。

 

 

 夫婦は、定年を迎えて初めて、しっかりと向き合うことになる。しっかりと向き合ってこなかったツケを、ここで払わなければならない。

 

 

 生活が変わるその時は、絶望のスイッチを入れるピンチだけれど、希望の灯りを大きくするチャンスでもある。

 

 

 この本は、真実への道を拓く呪文を解き明かすヒントどころか、「正しい呪文」そのものと使い方まで指南している。晩婚時代の定年前後の必読書。

 

 

 夫婦はたったひとつの言葉でやり直せる。たったひとつの言葉で、絶望させるその一方で。では、「正しい呪文」の唱え方、とくと御覧じくださいませ。

 

 

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