昔は良かった。まるで老人のような感傷を、私もまた、抱くことになるとは思っていなかった。
今になって思い出すのは、堺屋太一先生の『大変な時代』という本だ。何年か昔に読んだことがある。
二十年以上前に執筆された本だ。にもかかわらず、そこに書かれている内容はまるで現代のことを予知しているかのように的確で、そのことに驚いた覚えがあった。
堺屋太一先生といえば、作家としての顔の他に、官僚や学者、博覧会のプロデューサーなど、マルチな活動をしていた方だ。
広範な知識を持っていたらしく、『大変な時代』の作中でも、経済や教育、政治の現状と未来について分析と憂慮をしている。
まさしく現在は、先生の予想した未来予想図のまま、改善されることもなく進んでいると言えるだろう。
それどころか、感染症の流行や環境問題の進行のように、むしろ悪化の一途を辿っているように思えてならない。
昔は、これほどひどかっただろうか。改めて思う。まるで綿で首を絞められているかのようだ。
テレビのどのチャンネルを映しても、陰鬱なニュースばかり。時代そのものが言いようの知れない閉塞感に包まれている。
ハンス・ロスリング先生の『ファクトフルネス』によれば、統計を眺めれば、たしかに世界は良い方向に向かっているのだという。
それならば、現代のこの得体の知れない雰囲気は何なのだろうか。日本だけか、あるいは。
誰も意図をしていなかった感染症の流行によって、世界は否が応でも変わっていくだろう。良くも悪くも。
情報化社会である現代には、従来の常識とは異なる生き方が模索されるようになった。
教育や政治、労働をはじめとする社会制度の、ずっと放置されてきた問題点が浮き彫りになりつつある。
「時代は変わる」という。今が転換期だと。しかし、時代が変わらなかったことなど、これまでもなかった。時代は常に変わり続けている。
「大変な時代」は、これまでもそうだった。乱世の時代には国内で争いが起こり、戦争の時代では多くの人が亡くなった。その時代の人にとっては、いつだって今がもっとも苦しいのだ。
しかし、現代の苦しさは、これまでの「大変さ」とは違うような気がしてならない。
戦争はいずれ終わる。国は天下統一された。感染症の流行も、次第に勢いをなくし、いずれは治療法が確立されて解決するだろう。
しかし、この具体的な理由のない、出口のないトンネルを歩いているような虚無感は、抜け出す方法がないのだ。
変化は悪いことではない。それは時代のその先へと足を踏み出すことでもあるのだ。
世界を暗くしているのは、私自身だ。時代は見る人の心によって姿を変える。私はそのことに、ようやく気が付いた。
大変な時代になった
「大変な時代になった」――これが今、多くの人々の実感だろう。なぜ、そうなのか。何が大変なのか。
今日の日本には、過去の常識とは断絶した新しい現実がある。多くの人が「大変な時代になった」と思うのは、これまでの知識や経験では推しはかれない時代の「不連続感」があるからだろう。
「大きな変化が続く日々」という意味だけでも、今は「大変な時代」に違いない。しかし、多くの人々が「大変な時代」と感じるのは、そんな単純な驚きによるだけではあるまい。
これに劣らず重要な点は、「これまで」の知識や経験に代わって、「これから」を説明するような思想も理論も見えてこないし、それを生み出しそうな技術も組織も現れないことである。
実際、ここ数年間には、「これこそ次世代のリーダー」と言われた人々が何人か登場したが、そのほとんどは期待外れのまま萎んでしまった。
「偉い」と思っていた高級官僚や経営者の多くが、実は見通しが悪く見切りが拙い無能無責任な人々だとわかったわけだ。
今の世の中には、終戦時に日本人が抱いた失望が蔓延する一種の「終戦」現象が起こっているのだ。困ったことは、当の本人たちが、その事実に気付いていない点である。
だが、何よりも多くの人々に不安と不信を与えているのは、日本の官僚機構や企業組織には、「これから」の時代に改革を実現する能力と勇気が欠けているように見えることだ。
今日の日本は、本音と建前が大きく乖離した世の中だ。時代の変化が目まぐるしい現代では、それが世の中を一段と不透明にし、人々の不安と不信を掻き立てていることは否定できない。
いつの時代でも世の中は変わる。そういう意味では、時代は常に不連続だ。それにもかかわらず、今が特に「大変な時代」と感じられるのは、この不連続で不透明な先に、夢と面白さを期待できないからだろう。
しかし、日本が直面しているこの変化は、より多くの選択の自由と今を楽しむ余裕が、この国に生じることでもある。
人間が自らの好みでお金を使い、自分の選択で周囲と付き合えるのは、楽しいことだ。今、ようやく日本は、そんなことができる世の中になろうとしている。
そのことに、我々は脅え慄いてはならない。管理された成長よりも、選べる自由を楽しむ知恵と勇気が必要になっているのである。
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