「なんで! どうして私がクビなんですか!」
女が叫んでいる。眉間には皴が寄り、目が爛々と剣呑に輝いている。男性社員から「かわいらしい」と評される顔立ちは、今や見る影もない。そして、それこそが彼女の本性だろう。
私は自分の手元にある資料を手に取った。そこには、彼女の今までの仕事での業績やアンケートによる社内の評判が書かれている。
彼女の業績は悪くない。しかし、それは調査の結果、彼女の後輩や同僚の成果を奪ったものだと判明した。彼女自身は何も仕事をしていない。
男性社員からは好感を得ているが、女性社員からの評判はすこぶる悪い。彼女の存在は、会社から見て膿となっているのは明らかだった。
私からしてみれば、彼女が「どうしてですか!」と不満そうに声を荒げる理由がわからない。そんなことは当然ではないか。
彼女がクビになる理由。それは、彼女の存在が会社にとって利益にならない、つまり不要なものだと判断されたからに他ならない。
しかし、私が辞職を迫った人間は、誰もが同じように「どうしてですか!」と叫ぶ。そんな簡単なことすらもわからないからクビになるのだろうと、つい思ってしまうのも無理なかろう。
仕事を辞めさせられるには理由がある。会社は憎悪や悪意で動くのではない。利益を求めて動くのだ。
それを、さも自分が悪くないように言い募る愚かさ加減には、ほとほとうんざりさせられるものがある。人事部として、彼らとより多く接しているとなおのことだ。
「AIを許すな! 奴らが俺たちの仕事を奪った!」
デモ隊が声を張り上げている。私はそれを冷ややかに見据えた。無能は人のせいにする。それは世の常なのだと、目の前の光景が証明しているように見えた。
技術が目覚ましく発展し、今の世の中は随分と便利になった。職場にも最新型のAIが導入され、社会そのものが大きな変化を迎えている。
従来のやり方にこだわる会社は次々と倒産し、AIを導入した会社だけが生き残った。作業速度の違いによる生産性の違いに、あまりにも差があったからだ。
しかし、一方で、多くの失業者が世に溢れることとなった。AIを使うようになった今、わざわざ高額の人件費を出す会社はない。
デモはそんな連中の活動のひとつだ。しかし、私からしてみれば、そんなことをしているからクビになるのだと言いたい。
社会に文句を言っても何も変わらない。AIの導入でいくら失業者が増えようとも、企業の利益自体は格段に向上しているのだから。
変革の犠牲になる者は、いつだって「変化のない人たち」だ。しかし、社会は否が応にも変わっていく。
働きたいのなら、自分自身が変わればいいのだ。それをさぼって社会を変えようとするから、辞職の本当の原因である「自分自身」が改善しない。
デモをする暇があったら、自分がどうして辞めることになったのか、よく振り返ってみることだ。それができないから、いつまで経っても無能のままなんだよ。
私はついそんなことを思う。思い出すのは、つい先日に見た『KAMA 【本要約】Book Radio CH』というチャンネルの動画だった。
その動画は、見たところ本の要約をしているらしい。その本のタイトルに、私は思わず心を惹かれてしまった。
『AI vs.教科書が読めない子どもたち』。それがその本のタイトルだった。
AIが発展の道を辿ってきた今、とうとうAIは大学試験を合格する水準にまで達することができた。
AIによって人類が危機に陥る、というのはSF映画の定番だが、新井先生は明確に否定した。
AIは、元を辿ればあくまで計算機だ。データ検索や演算には便利だが、それだけだ。
AIが時代的な革命を起こすシンギュラリティは絶対に起こらない。
しかし、すべての人間、ではないにしろ、仕事のいくつかはAIに代替されるようになる。それは、今の現実でも起こっていることだ。
その根本の原因は、子どもたちの読解力が下がってしまったこと。そのせいで、人間は、AIに求められるような単純な仕事しか、できなくなってしまった。
彼らが読解力を見につければ、雇ってもらうこともできるだろう。結局、失業というのは、彼ら自身の怠慢が生んだ結果に過ぎないのだ。
自分の人生。社会に責任を押し付けるのではなく、自分で責任を取れ。思わずそう言いたくなる。
それから翌日のことだ。上司から残酷な言葉が言い渡された。『今日からうちもAIを導入することにしたから』と。
誇りを持っていた私の仕事が血の通わない機械ごときに奪われ、私は次第に会社での居心地を失っていった。
自分の手元に握り締められた退職願。かつての私が抱いていた失業者への言葉が私自身にも突き付けられる。
AIに仕事を任せて人間は楽をする。それこそが理想だったはずだ。それなのに、どうして私は今、こんなにも不安なのだろう。
AIに奪われない仕事を
AI議論が喧しい。AI関連書籍の多くは短絡的であったり煽動的であったりしていて、形作られていくAIのイメージや未来予想図が、その実態とかけ離れていることを、私は憂慮しています。
AIがコンピューター上で実現されるソフトウェアである限り、人間の知的活動の全てが数式で表現できなければ、AIが人間に取って代わることはありません。
コンピューターの速さや、アルゴリズムの改善の問題ではなく、大本の数学の限界なのです。AIは神にも征服者にもなりません。シンギュラリティも来ません。
AIが人間の仕事をすべて奪ってしまうような未来は来ませんが、人間の仕事の多くがAIに代替される社会はすぐそこに迫っています。
つまり、AIが神や征服者にはならないけれど、人間の強力なライバルになる実力は、充分に培ってきているのです。
私は日本人の読解力についての大がかりな調査と分析を実施しました。そこでわかったのは驚愕すべき実態です。
日本の中高校生の多くは、表層的な知識は豊富かもしれませんが、教科書程度の文章を正確に理解できないということがわかったのです。
現代の日本の労働力の質は、実力をつけてきたAIの労働力の質にとても似ています。それは何を意味するのでしょうか。
新たな仕事が生まれたとしても、AIでは対処できない新しい仕事は、多くの人間にとっても苦手な仕事である可能性が非常に高いということになります。
では、AIに多くの仕事が代替された社会ではどんなことが起こるでしょうか。労働市場は深刻な人手不足に陥っているのに、失業者が溢れている。結果、経済はAI恐慌の嵐に晒される。
20世紀初頭の世界大恐慌と同じことが、AIの登場によって、今、世界で起ころうとしています。
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