みんなが目を背ける遺伝の正体『言ってはいけない残酷すぎる真実』橘玲


 どうして神様は、人間をみんな同じに作ってくれなかったのだろう。どうして、ひとりひとりが違うように作ってしまったのだろう。そんな恨み言を、吐き出したくなる。

 

 

「努力すれば、不可能なんてないんだ」

 

 

 それが、かつて成績不良児であり、現在は私たちの担任を勤めている先生の口癖だった。

 

 

 先生は血の滲むような努力の末に夢を叶えて教師になれたことを誇りに思っていて、努力することの絶対性を信奉していた。

 

 

 とはいえ、努力を嫌う年頃の生徒たちがそんな言葉を真に受けるはずもなく、多くの生徒は先生の言葉を真面目に捉えず、陰で笑いものにしていた。そう、私以外は。

 

 

 成績が低くて苦労する人生を送ってきたことは、私の親からよく言われていた。だからこそ、私の母は、私を良い大学に入れるべく小さい頃から教育を施した。

 

 

 いわゆる、英才教育という奴だ。幼い頃から、みんなが遊んでいる中でも私だけ塾に通い、家にいる間も勉強をしていた。

 

 

 そんな教育を受ければ、当然、周りの子よりも成績がよくなるはずだ。私が人一倍頭の悪い子でなければ。

 

 

 それだけの教育を受けてなお、私の成績は他の子たちとそう変わらなかった。みんなと遊んでいる子は、当然のような顔で成績の一位をかっさらっていく。

 

 

 当初は出来の悪い私に折檻をしていた母も、最近は疲れた顔をしてため息を吐くことが多くなっていた。母に見放されつつあることを、私は感じていた。

 

 

 先生の、努力に不可能はない、という言葉は、私にとっては唯一縋ることのできる希望だった。

 

 

 受験が近づいてくるにしたがって、私はいよいよ限界まで寝食を削って勉強するようになっていった。

 

 

 誰とも話さず、遊びなんて欠片もすることなく、ただ黙々と机に向かった。母の期待に応えなければ。ただそれだけだった。

 

 

 いよいよ受験を目前に控えたその日、私は先生に呼ばれた。先生は、私の答案を見て弱ったように眉を下げて頭を掻いている。良い結果だとは思えなかった。

 

 

「なあ、お前、こんな成績だと到底この大学には届かないぞ。努力が足りないんだ。もっとがんばらないと」

 

 

 諭すように言う彼の言葉に、喉がひゅっと掠れた音を立てた。目の前の、いかにも真面目に見えるように顔を引き締めている男の首を絞めてやりたい衝動に駆られた。

 

 

 やりたかったことにも一切目を向けず、ただひたすらに努力をしてきた。倒れそうになったこともある。不出来な私は周りについていくためには人一倍しなければならない、と。

 

 

 それでも。この男は足りないと言うのだ。私の努力を見ずに、結果だけを見て、自分の努力神話を崩さないために私の努力を「無駄」だと断ずるのだ。

 

 

 今まで、ずっと目を反らしてきた心の中の私が、声にならない叫び声を上げた。視界が真っ赤に染まる。それからのことを、私は覚えていない。

 

 

 ――あの頃の若かった私を思い出して、思わず苦笑する。なんて素直で愚かだったのだろう。大人が正しいのだと盲信して、きれいな言葉に耳を貸した挙句、私は二度と返ってこない時間をドブに捨てたのだ。

 

 

 今まさに読み終わった本の表紙を見つめる。『言ってはいけない残酷すぎる真実』という本だ。あの頃の私がこれを読めば、少しは変わっただろうか。

 

 

 社会のさらに上にある、「進化」という非人道的なシステム。「遺伝」という巨大な輪の上で、私たちは生かされている。

 

 

 鬱、馬鹿、犯罪は遺伝する。それは、あの憎らしい教師の提唱する努力神話を、根底から覆すものだった。

 

 

 私たちは生まれながらに決められている。その限界を。

 

 

 私はいつも、世の中を恨んできた。この世の中は不条理で、悪徳に満ち、残酷なものだ。

 

 

 しかし、「努力」などというきれいなものを信じていた分、かつての私はそれでもまだ、愚かにも世界にきれいな部分を求めていたのだろう。

 

 

 現実は、私たちが信じるよりもさらに残酷で、非情だ。希望なんてどこにもない。愛なんてどこにもない。

 

 

 慈愛に満ちた神様なんていないのだ。私たちを生み出したのは、道徳なんて関係のない、どこまでも合理的な遺伝子のシステムでしかないのだから。

 

 

真実を知りたくない人は読まないでください

 

 テレビや新聞、雑誌には耳障りのいい言葉が溢れている。政治家や学者、評論家は「いい話」と「わかりやすい話」しかしない。

 

 

 でも世の中に気分の良いことしかないのなら、なぜこんなに怒っている人がたくさんいるのだろうか。ネットニュースのコメント欄には、「正義」の名を借りた呪詛の言葉ばかりが並んでいる。

 

 

 世界は本来、残酷で理不尽なものだ。人は幸福になるために生きているけれど、幸福になるようにデザインされているわけではない。

 

 

 私たちを「デザイン」しているのは誰か? ダーウィンは「神」の本当の名前を告げた。それは”進化”だ。

 

 

 「現代の進化論」は、こう主張した。身体だけでなく、人の心も進化によってデザインされた、と。

 

 

 だとしたら私たちの喜びや悲しみ、愛情や憎しみはもちろん、世の中で起きているあらゆる出来事が進化の枠組みの中で理解できるはずだ。

 

 

 現代の進化論は、「新しい知」と融合して、人文科学・社会科学を根底から書き換えようとしている。

 

 

 でも日本ではなぜか、こういう当たり前の話を一般読者に向けて説く人がほとんどいないし、いたとしても黙殺されてしまう。

 

 

 なぜなら現代の進化論が、良識を踏みにじり、感情を逆撫でする、ものすごく不愉快な学問だからだ。

 

 

 集団にとって不愉快なことを言う者は疎んじられ、排斥されていく。みんな見たいものだけを見て、気分の良いことだけを聞きたいのだから、知らないふりをするのは、正しい大人の態度なのだろう。

 

 

 だが残酷すぎる真実こそが、世の中をよくするために必要なのだ。この不愉快な本を最後まで読めば、そのことがわかってもらえるだろう。

 

 

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