日中から外に出ず、家の中で過ごしている。かつてならいろいろと言われただろうけれど、今はもう、誰も何も言わない。それどころか、外に出るなと言われる。
コロナ禍は今まで常識だとされていた様々なことを打ち破った。働く人たちや学校に行く人たちが当然のようにコロナにかかっていく中で、ちっとも外に出ない僕にとっては、ただの他人事だった。
今までは「ひきこもり」だの「ニート」だのと言われていたけれど、もう何も言われない。むしろ無用な外出を止めるようになった中で、根深い社会問題だった「ひきこもり問題」はどこかに行ってしまったみたいだ。
ついこの前、ネットショッピングで本を一冊買った。少し古い本。『ひきこもりから見た未来』という本だった。
理由は、ちょっとした勘違い。ひきこもりの著者が未来について考える、というものだと思っていたのだ。でも違っていた。
著者はひきこもり問題を取り上げていた医学博士らしい。ひきこもりどころか、ひきこもりを治そうとしている人。
間違いだったことはすぐに気づいたけれど、読んでみると興味深くて、結局最後まで読んでしまった。ひきこもり、という題材が、現在進行形でひきこもりの僕にとって近しく感じられたのだろう。
著者がまず最初に述べているのは、二〇三〇年問題という、著者自身が考えた自説。二〇三〇年になると、ひきこもりの第一人者たちが年金受給者になることへの危惧。つまり、働きもせずにお金を受け取る人たちへのバッシングをどう防ぐか、というもの。
このブログの文章を書いている今は、二〇二二年。あと八年で、著者が危惧した年代になるわけだ。その本の出版当時とは変わってしまったコロナ禍の現在なら、新たな二〇三〇年問題は、どうなるだろうか。
「ひきこもり」はコロナの流行でむしろ半ば推奨されるようになった。苦境に喘ぐ企業によって辞めさせられて、職を失った人たちもたくさんいる。
つまり、「ひきこもり」や「ニート」はもう、珍しいものでもなんでもなくなった。ただ、じゃあ問題が解決したかと言われると、根本的なところは手つかずのまま。むしろ悪化しているようにすら思う。
そもそも、どうして「ひきこもり」や「ニート」が増えていたか。医学博士の著者がひきこもり問題を取り上げていることからも、本人のやる気の問題や、あるいは一種の病気だと捉えられているところがある。でも、それは違うと僕は思っている。
病気なのは人じゃない。社会そのものが病気なのだ。コロナとか、そういう話じゃない。もうずっと昔から、この社会は病気だった。
「ひきこもり」や「ニート」の人たちは、働けなくなって、つまりは社会の中で生きられなくなって、そうした状況になっている。
世間は「親に迷惑を」だとか「甘えるな」だとか好き勝手に言うけれど、きっと、一番どうにかしたいのは、本人たちだったはずなのだ。
社会に生きる多くの人は、仕事に就いて、働いている。それが社会の基準になってしまっている。そのせいで、自分にはできていることが、普通のことだと思い込んでしまう。
働く、というのは、とても難しい。決められた時間までに用意して出勤し、多岐にわたる業務をひとつもふたつもこなしながら、一日の大半を過ごす。
失敗したら怒られて、顧客からもクレームを言われる。だから失敗せず、完璧にこなさないといけない。ほんのちょっとした失敗が、大損害になることだってある。そんなことを何年も、何十年も続けなければならない。
多くの人は「ひきこもり」や「ニート」を不真面目だと批判する。でも、たぶん逆なのだ。彼らは真面目で優しいからこそ、社会の中で生きることができなかった。
「日本では、他人の命を奪う代わりに、自分を殺す」日本に自殺者が多いのは、彼らが優しくて、周りに吐き出すことができなかったからだ。日本の膨大な自殺者の数は、海外で言うところの殺人事件の数と同じだということ。
ひきこもりやニート、自殺を「本人の問題」にしている。彼らは自分を殺そうとしてくる社会から逃げようとして、逃げきれなかったのだ。
『ひきこもりから見た未来』の著者が述べている二〇三〇年問題のバッシングもまた、社会が正義という建前で掲げるナイフのひとつだ。
社会が侵されている病気は、コロナよりも遥かに多くの人を殺してきた。その罪を被害者になすりつけて。それこそが、これからの僕たちが考えなければならない問題なのだと思う。
二〇三〇年問題
「二〇三〇年問題」をご存じだろうか。たぶんどなたもご存じないはずだ。私が考えた問題だから。冗談はともかく、このところこの問題が、ずっと心にひっかかっている。
私は以前から、ひきこもりやニートの若者たちの間で、急速に高年齢化が進みつつあることを指摘してきた。
二〇三〇年、「ひきこもり第一世代」の多くが六十五歳になる。親の年金で生活し、それまでほとんど所得税を納めたことのない「高齢者」集団が、一挙に”出現”するのである。
彼らは年金制度へのフリーライダーとみなされ、世間から激しいバッシングを受けることになるだろう。しかしこの問題は、本当に”彼ら”だけの責任と言えるのだろうか。
もし二〇三〇年問題が起きてしまったら、私たちにもその責任の一端くらいはある。少なくとも、私はそう考える。
なぜなら私たちは、それが起こりうる可能性を知りながら、なんの対策もなさずに手をこまねいていたのだから。
そう、その意味で私たちは”共犯”になるのだ。すべてが杞憂であることを願いつつも、せめてそうした思いが、軽率なバッシングをためらわせる歯止めとなることを願いたい。
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