気付きの本質『「他人」の壁』養老孟司 名越康文


昔、子どもの頃のこと。テレビで「法律の上では自分以外の人のことは全て他人と称する」ということを言っていた。私がそのことを母に言うと、「じゃあ私とあなたは他人ってこと? だったら世話とかもしなくていいね」と、半ば叱られるように言われたことがある。

 

それ以来、私は「自分」と「他人」ということについて深く考えることをやめた。けれど、心の奥底では燻ぶっていたのだろうと思う。

 

他人のことを理解することは、絶対にできない。その当たり前のようでいて多くの人が否定するその事実を、私が認められるようになったのは、養老孟司先生と名越康文先生の対談をまとめた『「他人」の壁』を読んだことがきっかけだった。

 

「他人」とは、文字通り「他の人」のことだ。親子であろうが友人であろうが恋人であろうが、「自分」以外の人間はみな「他人」になる。

 

養老孟司先生の『バカの壁』を読んで以来、私はこの著者のことを尊敬していた。『バカの壁』も、「他者のことは理解できない」ということを提唱されている。

 

「他人のことなんて理解できない」というと、多くの人は顔をしかめる。「それはあなたが冷たい人間だからだ」と言うかもしれないし、「じゃあ君はわかるのか」と聞くと、その人たちは「わかるよ。当然だろう」と答えるだろう。

 

けれど、それは「わかっていると思い込んでいる」だけなのだ。その人が何を思っているのか、なんて、私たちが心を読むことでもできない限り、本当の意味で知ることはできない。わかると思い込むことしか、私たちにはできない。

 

そのことが分かった途端、私は肩の力が抜け、どっと脱力したのを覚えている。それまで張り詰めていた何かが、随分と楽になった。

 

友人から「どうしてわかってくれないの!」と怒られたことがある。ああ、なるほど。わからない私が悪いのだろう。そう思ってきた。

 

太宰治の『人間失格』を読んだ時、だからひどく共感した。他人の心がわからず、とうとう自分自身に「人間失格」の烙印を刻んだ男。そして、彼と同じように他人のことがわからない私もまた、「人間失格」なのだろう、と。

 

現代は、スマホを検索すれば何でも出てくる時代になった。そんな中で、「わからない」という言葉が次第に使いにくくなってきているように思う。

 

なんでも調べればわかる。「わからない」というのは、一種の諦めであり、無能であることの証左だと。だけど違った。

 

わからないのは、当然のこと。そう認めてしまうだけで、こんなにも楽になるのかと驚いた。だって、私とあなたは「他人」なんだもの。家族であれ、友人であれ、恋人であれ、「自分」ではなく「他人」であることは確かなのだ。

 

でも、それと同時に、思うことがある。わからないと自覚していても、わかろうという姿勢は大切なのではないか、と。

 

人と人は絶対にわかり合えない。でも、相手を理解しようと努めることはできる。それは間違えているかもしれない。その疑いを自分に課しながらも、「わかり合えないから」とすげなくするのではなく、寄りそおうとする姿勢は、必要なんじゃないか。

 

絶対にできないと自覚したうえでしようとし続けることが、いかに苦しいことか、それは知っている。けれど、私たちはそもそも、昔からそうやって生きてきたんじゃないかとも、思うのです。

 

 

「自分」と「他人」

 

名越「他人の気持ちを理解したい、あるいは相手のことがわからない、どうしたら人を理解できるのかと悩んでいる人が、今の時代は非常に多いようですね」

 

養老「僕に言わせると、なんでわからなきゃいけないのかという話なんですけどね。わからなくたって、お互いがぶつからなければいいだけなんですよ」

 

名越「要するに、養老先生とすれば、わからなくてもいいから、同じ方向へ行ってぶつからないように、少し調整するということですか」

 

養老「ポイントは実はそこだけ。相手が出しているサインのようなものがいくつかあるはずなんで。それだけ押さえておけばいいんです」

 

名越「そうなんです。だから、そういうときでも、相手が出すサインに対してある意味で従順になるというか。相手の話は聞くんだけど、無理には聞かないといいますか、そういうシンプルな立ち位置がとりあえずは必要かなと僕は思っているんですけどね」

 

養老「とにかくあまりわかろうとするっていうのが強いと、これは良くないですね。わからないままのほうがいい。わかったつもりになっても、大して変わらないんですよ」

 

名越「変わらないですよね。逆に、相手から「自分のことをわかってもらえるはずだ」と期待されたりしたら、わからないときに余計に波風立ちますしね」

 

養老「『人に何かしてあげよう』という行為がまさにその典型なんですよ。その人が本当に臨んでいることは何だろうってことを、実はなかなか考えませんから」

 

名越「こうしてあげたら相手は喜ぶはずだ、相手の役に立っているはずだという思い込みでしかない場合が多いということでしょうね」

 

養老「人と人がわからなくていいという意味は、本質的にわかるはずはないということもあるんだけど、そのほうが、折り合いがつきやすいという意味もあるんですよ。全部をわかろうとするから悩んでしまうのであって、大半はわからくても当然と思えば楽になる」

 

名越「実はそういう摩訶不思議な世界で、我々は生きているということでしょうね」

 

 

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