前世と現世が入り混じる奇妙なミステリ『我々は、みな孤独である』貴志祐介


灰色の空。雑踏の中に、私は立っている。横断歩道を無数の人たちが行き交っていた。突っ立っている私には目もくれず。我々は、みな孤独である。思わず呟いた。多くの人が生きているこの世界に、私はたったひとりだけ。

 

昔見た、忘れられない番組がある。普段は何気なく見ているだけの、その日の映像だけがなぜか、私の頭の奥底にこびりついているのだ。

 

それは、とある海外の子どもだった。小さな男の子。まだ二歳か、それくらいの子だったと思う。とにかく、ほんの小さな子であることは、たしかだった。

 

「コルセアに乗って日本人と戦った」

 

彼は両親にそう言ったのだ。コルセアとは、大戦時に実際に使われた戦闘機である。だが、日本人も、コルセアも、二歳児が知っているはずがない。

 

それに、彼が話した名前。ジャック・ラーセンという人物。父親が調べてみたところ、その男は実在しているパイロットだったという。他にも、二歳児の彼の言葉が奇妙な符合を見せたことがいくつもあった。

 

はて、彼の名前は何だったか、ああ、そうだ、ジェームズだ。どうして忘れていたんだろう。彼はそんな名前だった。

 

私はその生まれ変わり、前世を巡る奇妙な物語を見て、不思議とぞっとしたのを覚えている。二歳児の少年と、すでに亡くなったパイロットの顔写真が重なって見えたのが、ひどく不気味だった。

 

私が前世とやらを信じるようになったのは、その番組を見てからなのではないかと思う。それ以来、私は自分の前世、あるいは自分の来世に想いを馳せるようになった。

 

前世について考えるのは、ある種のタブーを犯しているような気にさせる。なにせ、そこには答えがない。そして、人間の、いや、生き物の自我という根幹そのものに対する問いかけだろうから。

 

前世というものがいわゆるオカルトの域になるのは、前世を考えるうえで、どうしても辻褄が合わないことがいくつも出てくるから、ではないだろうか。

 

最近、その問いに対するひとつの解答をしている一冊の本と出会った。それは、貴志祐介先生の、『我々は、みな孤独である』という小説だ。

 

探偵、茶畑徹朗のもとに、ひとつの奇妙な依頼が届く。それは、大企業の長である正木栄之介からの依頼だった。しかし、そのあまりの奇妙さは、理知的な老人には到底ふさわしくないものだった。

 

「自分を殺害した相手を見つけてくれないか」という依頼である。どういうことかというと、数百年前、正木氏の前世を殺害した人間を明らかにしてほしい、というもの。

 

あまりに荒唐無稽であったが、茶畑の探偵事務所は金を盗まれたせいで破産寸前の経営難、奇妙な依頼でも報酬が高額ならば受け入れざるを得なかった。

 

しかし、調査を続けていく中で、さらに奇妙な出来事が次々と起こる。正木氏と同じ前世を持つ小説家、二つ目の前世の記憶を思い出した正木氏、果ては茶畑や、探偵事務所の秘書までもが、自分の前世を夢に見るようになってしまう。

 

彼はそれに翻弄されつつも、探偵としての性か、誰もが足を踏み入れることのできなかったタブーの真実に挑む。そして、彼が辿り着いた真相とは、何か。

 

我々は、みな孤独である。そのタイトルの意味。それこそが、この作品の根幹なのだということが、読んだあとだとより深く痛感する。

 

『二十億光年の孤独』という、一篇の詩をふと、思い出した。宇宙はどんどん膨らんでゆく。それ故みんなは不安である。二十億光年の孤独に、僕は思わずくしゃみをした。

 

この広大な宇宙の中で、私たちはたったのひとりきり。私たちの自我はどこから来て、どこに消えていくのか。もしかしたら、あなたも私の前世なのかもしれないね。

 

 

前世と現世が入り混じっていく

 

茶畑徹朗は、黒革張りのソファの上で身じろぎした。依頼人の話を聞く時は、いつも前傾姿勢を崩さないようにしているが、今日ばかりは妙に尻が落ち着かない。

 

人捜しは得意分野だし、正木栄之介は数あるクライアントの中でもVIPの筆頭である。事務所が陥っている経済的苦境を考えれば、四の五の言わずに引き受けるべき案件であることは間違いない。

 

とはいえ、今回の依頼は常軌を逸している。本来業務とかけ離れているばかりか、まずは依頼人の正気を疑わなければならないのだ。

 

「……氏名は不詳、場所も特定できないとなると、調査は相当難しいと思いますね」

 

「名前に関しては、今後思い出せる可能性もあると思う。追加情報は、適宜連絡しよう」

 

会長室の窓の前にある椅子に座った正木栄之介は、歯切れのよい口調で言った。どう見ても妄想に取り憑かれた人間とは思えない。

 

「それで、ご依頼は、その人物が実在していたかどうか確認したいということですね?」

 

「そうじゃない。むろん、どこの誰だったのかという詳しい情報は欲しいが、それ以上に、私は、どうしても事件の真相を知りたいんだ」

 

「真相と言いますと?」

 

「犯人……つまり、私を殺したのが何者だったのかということ。それから、なぜ殺したのかということだな」

 

 

我々は、みな孤独である [ 貴志祐介 ]

価格:1,870円
(2021/4/18 22:57時点)
感想(0件)

 

関連

 

崩れ始めた楽園『新世界より』貴志祐介

 

同級生たちと夏季キャンプに行った早季は、国立国会図書館つくば館の端末であるミノシロモドキと遭遇する。彼から聞かされたのは、現代の社会がつくられるまでの、禁断の知識だった。タブーを知ってしまったことで、彼女とその仲間たちの将来に災難がふりかかる。

 

真実を知りたい貴方様におすすめの作品でございます。

 

 

新世界より(上) (講談社文庫) [ 貴志 祐介 ]

価格:902円
(2021/4/18 23:02時点)
感想(59件)

 

記憶の断片が真実を映し出す『最後の記憶』綾辻行人

 

顔のない男。目が潰れそうなほど強い光。そして、バッタの飛ぶ音。若年性アルツハイマーにかかり、記憶を失っていく母の思い出に根強く残っている幼い頃の凄惨な事件。僕はその正体を解き明かそうとする。その果てに見えた衝撃の真実とは。

 

忘れられない記憶がある貴方様におすすめの作品でございます。

 

 

最後の記憶 (角川文庫) [ 綾辻 行人 ]

価格:836円
(2021/4/18 23:08時点)
感想(8件)