無数の歯車が回り、カタカタと駆動音がかすかに響く。どこかぎこちなくも滑らかに動くからくり人形の無垢な面差しを、私は睨みつけるように見つめた。彼女の眼は虚空を眺めている。
からくり技師としてからくり人形を創り続けて幾星霜、珍品として献上した我が子は大層気に入られ、それなりに名の知れた技師としての名声は手に入れた。
だが、どれほどの富も名誉も、私の心を潤すことはない。いくら創ろうとも、我が心の渇きはただ増していくばかりであった。
より人に近く。より人らしく。茶を運べようが筆で文字が書けようが、それは人に遠く及ばない。そのことが、私の心を苛んでいる。
自らの胸に問う、私は神になりたいのか。否、私はただ、限界が見たいのだ。辿り着くところまで辿り着いたからくりを。
一冊の書を読んだのは、つい先日のことである。それは、『機巧のイヴ』という題名であった。興味を惹かれて読んだあの瞬間のことを、私は忘れないだろう。
それは物語である。江戸の街に、機巧技師がいた。その名を、釘宮久蔵という。齢にしてすでに老人と呼んでもよいほどの人物であるが、技師としての腕前は一級である。
彼の家を出入りする若い娘がいる。はて、それはおかしい。彼は独り身で、家族はいないはずである。愛人か。いや、しかし。
それもそのはずであろう、噂が娘の正体を見抜けぬのも無理はない。彼女の名は伊武という。その名は久蔵がつけた名である。しかし、彼の娘というわけではない。
一見、魅力的にも思えるその娘の身体の中では、無数の歯車が回り、油が巡っている。彼女は人ではない。人間とまったく見分けがつかぬ機巧なのである。
その物語を読んだ時、私は強い衝撃を受けた。なんと非現実的な話であろうか。しかし、それでいて浪漫に溢れている。
創ってみたい。私もそう願った。かつて小手先だけの技師に過ぎなかった私がからくり技師として転身したのは、その物語を読んだことを発端と言っても誤りはないだろう。
以来、技術を磨き、私はいくつものからくり人形を作ってきた。しかし、いくら賞賛を受けようとも、それはあくまでも玩具に過ぎず、人間のようとは言えるはずもない。
しかし、同時に思うのだ。それは、自分の手で人を生み出そうとし始めたからこそ、頭に浮かんできた問いかけであった。
物語に登場している伊武は、感情のない無情な機械などではなかった。まるで感情を持つような言動を取り、人になりたいと神に祈りを捧げ、あまつさえ、人に恋をする。
久蔵は「感情があるように見せかけているだけ」と言っているが、私はそうとはとても思えなかった。
古来、モノには魂が宿るという。ならば、人の形をしているものに宿る魂は、やはり人のそれに近しいのではないだろうか。
人のように振舞うことのできるからくり。感情を持ち、人に恋をし、容姿も人そのもの、不条理に怒り、愛する人のために身を捧げ、人間の中で生きていく。
そんなからくりがあったならば、そのからくりと人の差異とは何であろうか。命とは何か。人とは何か。我々はそのからくりを、人ではない道具として扱えるのか。
むしろ、昨今の欲望に満ちた内面を隠して笑顔で裏切り合い騙し合いを繰り返している輩どもを見れば、そんなかたくりの方がよほど良かろうとすら思うのである。
私はおそらく、全生涯をかけたところで、私のからくり人形は人には遠く及ぶまい。私の技術で行けるところは限りある。
だが、いずれ、遠い未来、まさしく伊武のように、人間とそっくりの容姿、人間の完璧な模倣を実現したからくりを、生み出すことができるやもしれぬ。
だが、そのからくりの見せる偽物の感情なのかどうか、それは誰にもわからないのではないか。何せ、私たちは隣人の感情すらも、何もわからないのだから。
機巧の美女
裏木戸を開くと、典幻通りへと向かう薄暗く細い路地が続いている。道の両脇には、生姜の酢漬けの詰まった甕が、甘酸っぱい臭いを放っていた。
ひと一人が通り抜けるのもやっとの、鎧板に挟まれたその細い通路を、江川仁左衛門は、夢遊病者のようなふらふらとした足取りで進んでいく。
何故このようなことになった、何故。甕のひとつに寄りかかり、息を切らせながら仁左衛門は自分の手のひらを見た。
肘から先が赤く染まっている。仁左衛門はそれを舌で嘗めてみる。微かな塩気と、鉄の味、そして温もり。聞いていたのと違う。油臭さもなければ、水銀のような輝きもない。
騙された。喘ぐように息をする度に、鼻腔に酢の匂いが入り込んできて苛立ちを誘った。続けて怒りがふつふつと湧いてくる。
腰に差した二尺三寸の柄を握り、鯉口を切って、刀身を半分ほど鞘から抜き出した。幸いに刃こぼれなどは見当たらない。
あのいかさま師め、今すぐ乗り込んで、叩き斬ってくれる。刃は再び鞘に収め、仁左衛門は通りに向かって歩き出した。
釘宮久蔵。仁左衛門の脳裏に、この一年足らずの間に起こったことが蘇る。
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