崩れ始めた楽園『新世界より』貴志祐介


 今まで私は忠実な犬であり続けた。しかし、一度だけ、私は国に嘘を吐いたことがある。この書は、私の罪の吐露と認めてくれて構わない。

 

 

 立ち入り禁止区域に指定されている廃村。実は、私は子どもの頃、一度だけ、足を踏み入れたことがある。

 

 

 きっかけは詳しく語りたくはない。私が餓鬼大将からいじめられていた命令のひとつであった、など、今となっては意味のないことである。

 

 

 涙を流しながら帰ってきた私を、大人たちは叱りつけながら、私に「何かを見たか」としきりに問うていたことを覚えている。

 

 

 私はそれに首を横に振って答えた。しかし、それは嘘だ。私はあの日、すでに何百年も前に滅びた廃村で、一冊の本を見つけたのだ。

 

 

 それは『新世界より』とタイトルのつけられた上下巻にわたる二冊の書籍である。

 

 

 私がそれを見つけたのは、ただの偶然だったと言えるだろう。床下の、巧妙に隠された二重底の収納にひっそりと隠されていた。床板が腐っていなければ、今も見つかっていなかったろう。

 

 

 最初、私はそれが手記だとはわからなかった。紙の書籍なんてすでに先時代の遺物である。

 

 

 先時代を記録した遺物は、発見され次第、政府に提出することが規則として定められていた。

 

 

 その内容は厳正な審査によって精査され、「禁書」だと判断されると、即座に焼却されることになっていた。

 

 

 私がなぜ、その時、首を横に振ったのか。それは私自身にもよくわからない。

 

 

 ただ、その『新世界より』という作品に、強く心を惹かれたからだと、今ならば思う。それは、見つかれば間違いなく禁書認定される代物だった。

 

 

 書き手は早季という女性らしい。彼女は、将来的に情報統制が行われる未来を危惧して、同一の手記を三部遺すことにしたのだという。

 

 

 彼女は子どもの頃、社会が必死に押し隠そうとしている真実を知った。そして、そのことが彼女の未来を運命づけることとなった。

 

 

 過去の人間たちの残酷な歴史。真実を秘匿する大人たち。いつの間にか消えている友だち。自分たちが行使する呪力の正体。

 

 

 やがて、彼女はバケネズミと呼ばれている生物との戦渦に巻き込まれていくこととなる。その中で、彼女は残酷な真相を知ることとなるのだった。

 

 

 それは、私が教わっていた人類の歴史とは大きく異なるものだった。読んだ瞬間、これは誰にも見られてはならないものだと私は幼いながらに怖くなったものだ。

 

 

 呪力、いわゆる超能力が一般に常識として使われていることに愕然とした。それは、指導者である国家元首が神から与えられた力だという名目になっているはずだった。

 

 

 この物語が知られれば、世界の常識がひっくり返ることになる。社会は決してこの書籍の存在を認めないだろう。そして、それを知った私のことも。

 

 

 私は自分の身を守るために、自分のメモリを外部のハードに移して、私自身の記憶からは消去した。

 

 

 これで誰にも知られることはないだろう。社会が隠している真実を希望を込めて綴った『新世界より』は、処分されるわけにはいかない。

 

 

 とうとう何も為せないまま、私は生涯を終えようとしている。私は臆病者だった。しかし、誰かが彼女の意志を引き継ぐと信じている。

 

 

 メモリはロケットに入れてある妻との写真に記録してある。書籍の場所も、物語の内容も、すべてその中だ。

 

 

 行動に起こさないでもいい。ただ、知っておいてほしいのだ。この社会が、どれほどの偽りの上に成り立っているのかということを。そして、その中で真実を見つめてほしいと私は願う。

 

 

大人たちが隠している世界の真実

 

 深夜、辺りが静かになってから、椅子に深く腰掛けて、目を閉じてみることがある。浮かんでくるのはいつも同じ光景だ。

 

 

 お堂の暗闇をバックに護摩壇の上で燃え盛る炎。地の底から響いてくる真言の朗唱に、合いの手を入れるように弾ける、オレンジ色の火の粉。

 

 

 わたしが十二歳だったあの晩からは、すでに二十三年の月日が流れた。その間、本当にさまざまな出来事があった。

 

 

 想像だにしていなかった哀しく恐ろしい事件も。わたしが、それまで信じてきたことは、すべて、根底から覆されてしまったはずである。

 

 

 多くのものが灰塵に帰した、あの日から、十年の月日が経過した。今ごろになって、一連の事件の顛末を書き記す気になったのには、ちょっとした理由がある。

 

 

 山積みだった懸案に決まりがつき、将来に対する疑いが芽生え始めたのだ。人々の記憶が風化してしまった未来に、我々の愚かさは同じ轍を踏ませてしまうのではないか。そういう危惧も、捨てきれないのだ。

 

 

 この手記は、あくまでもわたしの一方的な解釈であり、自己正当化のために歪曲された物語かもしれないということを付記したい。

 

 

 とはいえ、なんとか記憶を掘り起こし、自分の心に真摯に向き合うことで、事件の細部は可能な限り忠実に描写するつもりだ。

 

 

 この草稿は、酸化しないために千年は保つというふれこみの紙に、褪色しないインクで書いている。

 

 

 完成した暁は、、誰にも見せることもなく、タイムカプセルに入れ、地中深く埋めることになるだろう。

 

 

 その際、別に模写を二部作成し、三部だけを残そうと思う。もし、将来、旧体制に近いものが復活しているのなら、この手記の存在は、可能な限り秘密にしなければならない。

 

 

 つまり、この手記は、千年後の同胞にあてた長い手紙であり、これが読まれるときには、わたしたちが本当の意味で変わり、新たな道を歩み出せたのかどうかも、明らかになっているはずだ。

 

 

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