見捨てられたホテルが眺めてきた男女の関係『ホテルローヤル』桜木紫乃


地元の空き地の一角にある廃墟となった空き家を、今でも思い出すことがある。子どもの頃、私は何度か、その空き家に忍び込んでいた。

 

初めて行った時は友人と一緒だった。いわゆるお化け屋敷に入る時のような、怖いもの見たさだった。建物と建物の隙間にある、壊れた扉から中に入った。

 

わけもなく、ただなんとなく、ぞっとしたのを覚えている。床に散乱している砕けた木くず、昔使われていたであろう桶と洗濯板。屋根の隙間から日の光が柱のように差して、舞っている埃がきらきらと輝いていた。

 

その家でかつて何があったのか。どんな人が住んでいたのか。それは何も知らない。けれど、床にころがる生活の残滓が、なんとなく恐ろしかったのだろうと思う。

 

以来、私はたまに、ひとりでその家を訪れることがあった。特に用事があるわけではない。ただ、人目を忍んで入り込み、その場の光景を何をするでもなく眺めていた。

 

きっと、私は廃墟という場所そのものが好きだったのだろう。昔から。見捨てられた場所。すでに終わってしまった場所。どこか寂しげな、その空気そのものが、恐ろしく、そして切なかった。

 

数年前、『ホテルローヤル』という作品が話題になったのを、今でも覚えている。随分と話題も過ぎ去ってしまった今になって、ふとそのタイトルを目にして、手に取った。

 

「ホテルローヤル」という、山奥に建つラブホテル。何人かの男女が、客として、あるいは廃墟となった後も、そのホテルを訪れては去っていく。

 

廃墟となった後の物語が多く描かれているのが気になって、どこか切なくなった。この建物もまた、何人もの男女を見送りながら、やがて見捨てられたのだ。

 

廃墟となった建物には、どこか不思議な魅力が宿ると思っている。作中では、ヌード写真家を志す男が朽ち果てた「ホテルローヤル」の雰囲気を気に入っていた。

 

その建物の時は、止まったままだ。見捨てられた当時の記憶が、その建物には染みついている。それが埃となって漂っていて、唐突に突き付けてくるのだ。自分もまた、孤独なのだと。

 

まるで建物に心があるかのように思う時がある。廃墟となった建物は、寂しさを部屋に呑み込んだまま、以前の賑やかな記憶に浸っているように感じられる。

 

「ホテルローヤル」もまた、切なさと寂しさが溢れていた。彼らの描く物語は決して幸せな恋物語ではなく、どこか過去を思う寂しさが横溢しているような雰囲気がある。

 

大学の入学を機に地元を離れ、しばらくの時が過ぎ、久しぶりにその廃墟があった場所に行ってみると、すでに取り壊された後だった。

 

一、二台ほど車が止まっているだだっ広く真新しい駐車場を見ていると、また、切ないような、寂しいような、奇妙な感慨に襲われた。

 

無骨なショベルカーの指先が屋根に開いた穴を抉る。光がばっと差し込んで、蝶が飛び立つように埃が舞ったろう。

 

倒壊音とともに壁が崩れ、屋根が落ち、床に落ちていた洗濯板も記憶の残滓もすべて、瓦礫に呑まれていったに違いない。

 

廃墟となった家は、今はもう、きれいさっぱりとなくなっている。それはきっと良いことなのだろう。あの家にとっても。誰も住まない空き地の隅っこで、佇んでいるだけの存在を、ようやく終えることができたのだ。

 

ともに入り込んだ友人たちも、きっともう、あの家のことを覚えてはいまい。けれど、私の記憶にはずっと残り続けるのだろう。そしてたまに思い出すのだ。私とは何の関係もない、すでに終わってしまったあの家に立ち込めていた、私の孤独を。

 

 

山奥のホテルで

 

四月、路肩の緑が芽吹き始めた。一か月先は枯れ葦のベージュに半分追い付くだろう。霧に湿った銀ねず色の街に、遅い桜も咲き始める。

 

加賀屋美幸はフロントガラスの向こうに広がる空を見ていた。青いようだが、上空はうっすらとかすんでおり、湿原の向こうにあるはずの阿寒岳は輪郭も見えない。

 

とうに空腹感はなくなっている。炭水化物を摂らなくなって一週間が経っていた。ハンドルを握る貴史は、アパートを出てから十分以上ひとりでしゃべり続けていた。

 

――晴れてよかったな。撮影日和だ。

 

朝から同じ言葉を三度ずつ聞いた。集中力も薄くなっていて全身が怠く、いちいち応える気になれない。

 

貴史は中学時代の同級生だった。地元パルプ会社のアイスホッケー選手だった彼は、二十八で右膝靱帯を損傷して引退している。

 

初めて肌を合わせた際の、胸板の厚さを覚えている。リンクを去ってから半分に落ちたと嘆く筋肉も、女を抱くには充分すぎるほどしなやかで美しかった。

 

挫折、負け犬、希望、夢――。会話に挟み込まれる単語はそれまで美幸が思い描いていた未来の細い芯を揺さぶった。ドラマチックなひとときを持つ男のそばにいるだけで、自分も彼のドラマの一部になれる気がした。

 

美幸は後部座席へと視線を移した。貴史が去年の歳末大売り出しで買ったデジタル一眼レフカメラ一式がカメラバッグに入っている。

 

貴史がヌード写真を撮りたがっていると知ったのは、一週間前、モデルになってくれと言われた時だ。

 

 

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