「君は、普通が嫌いなのかい?」
電車の中で会った彼はそう言った。偶然向かい合わせの席になっただけの、ちっとも知らない人だったのだけれど、彼はいかにも自然に話しかけてきた。
「いや、そんなことは」
嘘だった。私は普通が嫌いである。あの教室のつまらない連中と自分が一緒だなんて我慢ならなかった。彼は私の返事なんて聞いていないかのように、じろりと視線を向ける。
「変わった髪型だね。よく似合っているよ。でも、先生からも怒られているんじゃないかい?」
その通りだった。私の通う高校は身だしなみには寛容なのだけれど、その高校にして先生からは髪型を整えるよう再三言われている。
今では私と先生の言い争いなんて、誰もが見慣れたものだろう。他ならぬ私が放っておいてくれとうんざりするほどなのだから。
だから今、私はこうして学校をさぼって電車に乗っているのだから。特に目的地があるわけではないけれど、なんとなく。
「学校は嫌いかい?」
私は思わず頷く。学校は嫌いだった。個性が大事だって言うくせに、個性を潰すような場所が学校だ。矛盾している、と思うのだ。
普通から外れたものを排除するクラスメイトたちも、偉そうなこと言って自分にできないことをさせる先生たちも、みんな嫌いだった。
普通であることは嫌いだ。自分がみんなと同じであることが嫌いだ。普通から外れようとして、それでも普通から外れきらない私自身が嫌いだった。
「君みたいに『普通』を嫌う若者は珍しくはない。けれどね、これはとある本の受け売りなんだけれど、『普通』はこの上なく素晴らしいものだよ」
普通ではないということは、その人が善人だろうが、悪人だろうが、あるいは優秀だろうが、欠落してようが、その周囲の人間にも影響が大きい。
しかも、悪影響が、ね。『普通』というのは、つまり他人の迷惑にならないということさ。
「私たちは社会で生きている。大勢の人がいる中で生きている。そのことを忘れてはいけない。普通でなければ生きていけないんだ」
そう、だから。君が自分ではない誰かのために普通から逸脱しようとしても、それは無駄だということだよ。私は黙ったまま俯いた。
「普通ではないものを社会からはじき出そうとするのは社会としては当然のシステムだ。なにせ、それがあるだけでも悪影響があるのだから、そしてそれを誰もが本能的に知っているのだよ」
じゃあ、どうすればよかったのだろう。私は彼ら側の人間だった。彼女を蹴って、殴って、笑っている側の人間だった。
それが嫌で彼女の側に、普通ではないあの子の側に行こうとしたのに、それでも駄目だと彼は言ったのだ。
「どうすることもできないよ。『普通』でいられることは才能のひとつだ。できないのは致命的だ。だから、君ができることは彼女を見捨てることだけだよ」
彼はそう言って笑った。嫌な大人の笑顔だ。けれど、私が家で、学校で、よく目にしていた笑顔だった。
あっち側とこっち側
彼女は私の友人である。少なくとも、私は彼女のことが好きだったし、彼女ともまた、よく話していた。
彼女は結構な変わり者で、ときどき奇矯な行動に走る困った癖があったし、どこかおかしい子だった。私は彼女のそんなところが好きだった。
けれど、どうやらクラスの子はそう思わなかったらしい。彼女は、クラスのみんなからいじめられた。
彼女を助けたいと思った。私は間違いなくそう思っていた。けれど、私はどうしても彼女を助けることができなかった。
彼女を助けたら、私もいじめられてしまうかもしれない。そう考えると、怖くて、私は動けなくなってしまったのだった。
そんな日々を送っているうちに、彼女は転校していった。あまりにも唐突な転校だった。彼女が親に訴えたからか、親の都合か、それはわからない。私と彼女の交流はなくなっていたのだから。
私はとうとう彼女を助けることができなかった。髪型を変えて、学校をさぼるようになったのも、それ以来だった。
普通じゃない彼女は、普通じゃないことを理由に、普通のクラスメイトたちにいじめられたのだ。そして、私は普通の側にいたいがために、彼女を見捨てた。
普通を嫌って普通じゃない自分になろうとするのがただの自己満足であることはわかっている。そんなことをしても、もう何もかもが遅いのだと。
けれど、せずにはいられなかった。もうあの連中と同じ側に立つのは嫌だった。
『普通』じゃないと許されないというのなら、あんなにも残酷な『普通』でいないといけないというのなら、私はもう、許されなくていい。
「普通じゃない道を行くのは苦しいよ。何をしても許されない。何をしても認められない。世界が、君を排除するために動くだろう」
世界は異端を許さない。社会は異端を許さない。『普通』じゃないというのは、ただ、それだけで、世の中を敵に回すのと同じことだった。
「君には、その覚悟があるのかい? 彼女の側に立つという覚悟が。『普通』であることの幸せを捨てるという覚悟が。『不合格』の烙印を受け入れる覚悟が」
そんなもの、今さら言うまでもない。
日常は唐突に壊れる
女子高生・無桐伊織は生まれて初めて、人生における危機というものに直面していた。という表現はあまり正確ではなく、後方から追われるように危機に迫られていた。
振り返ってみればいつもそうで、これまでの十七年の伊織の人生は常に、今そこにある危機から逃げるだけのものだった。
思えば――伊織の中に、そういう感覚はずっと昔からあった。子どもの頃から、ただの確信として『自分はどこにも到達できないんだろうなー』と思っていた。
決してどこにもたどり着けない。終わりのない中途。それは底なし沼で素潜りをやっているようなもので、息が続かなければ、余力が残っていたとこで、そこで終わりだ。
現在時刻は午後四時三十分。放課後、学校帰り。場所は高架下、人気は全然ない、伊織はそんな状況で、ただひとりで佇んでいた。目前にひとつ、男子高校生の身体を置いて。
喉からバタフライナイフを生やしているこの学生服の男の子は、たしか伊織のクラスメイトだったはずだ。
犯人、わたし。一瞬で終わる絵解きだった。どうやら――マジらしい。
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