国の悪に立ち向かうTS転生ファンタジー『転生王子と憂いの大国』楠 のびる


 私は転生ものが好きだった。けれど、まさか自分がその体験をするなんて、夢にも思っていなかったのだ。

 

 

 私は大好きな作品シリーズの新刊を腕の中に抱えて、うきうき顔で帰路についていた。読むのが待ちきれない。

 

 

 私が好きだったのは楠のびる先生の『転生王子』シリーズだ。小説投稿サイトでドハマりしてからは、サイトで読んで、その後に本も買うほどに熱中していた。

 

 

 日本のOLのオタク女子である早川涼子は、事故に遭って三十五年の人生を終えた。

 

 

 しかし、彼女は異世界にあるグレイシス王国の第七王子ハーシェリクとして生まれ変わることになる。

 

 

 さらさらの金髪の美少年。しかも、王子様。新しい人生は勝ち組かと思ったけれど、そんなことはなかった。

 

 

 きれいだと思っていた容姿は、兄弟たちと比べるとどこか見劣りする。運動神経は皆無で、魔力がないから魔法も使えない。

 

 

 けれど、優しい家族に囲まれて、ハーシェリクはそれなりに幸せだった。グレイシス王国の裏にひそむ巨悪に気がつくまでは。

 

 

 きっかけは伯爵からの直訴だった。しかし、彼の直訴はかなわず、彼はそのまま処刑されることが決まってしまう。

 

 

 彼の落とした時計を届けるために彼に会いに行ったハーシェリクは、彼と話をすることでこの国の真実を知った。

 

 

 父の右腕として侍るバルバッセ大臣によって、父は脅迫されており、実質的に彼の傀儡と化していたこと。

 

 

 大臣に追従する悪臣たちによって政治が専横され、重税によって民は苦しみ、貴族や騎士たちの横暴がまかり通っていること。

 

 

 ハーシェリクは伯爵を救おうと父にかけ合うが、父にはどうすることもできなかった。

 

 

 伯爵の形見を胸に、ハーシェリクは国を変えることを決意した。というのが、この作品の骨子である。

 

 

 私はそもそも、転生ものがあまり好きではない。投稿サイトのランキングを占めているのを見るとうんざりする。TSなんてくると、なおさらだ。

 

 

 けれど、何気なく手に取ったこの作品は、気がつけば手に汗握って続きを読んでいたのだ。読み終わっても、しばらく余韻が抜けなかった。

 

 

 力のないハーシェリクは、信頼と策謀と仲間の力で窮地を切り抜けていく。そのかっこよさに、私は胸のときめきを覚えていた。

 

 

 ハーシェリクがもともと三十歳を超えたオタク女だということも、好感触だった。自分と同じ境遇だったから、彼女と自分を思わず重ね合わせていた。

 

 

 けれど、結局、私は『転生王子』シリーズの新作を読むことはできなかった。そして、今後も二度と読むことはできないだろう。

 

 

 自分の身体に轟音を上げて迫ってくる鉄のかたまり。あれ、赤信号じゃなかったっけ。茫然とそんなことを考えたのが、私の最期の意識だった。

 

 

登場人物の苦しみ

 

「王、どうか助けてください」

 

 

 頭を下げて震えながらそう言った彼に私は沈黙を以て返した。すまない、私にはそんなことはできないんだ。

 

 

 転生して私は王子になった。しかも第一王子。運動もできて、魔法も優秀な金髪のイケメン。それが今の私だ。

 

 

 この国は腐敗している。私がそれを知った時には、もう何もかもが遅すぎたのだ。

 

 

 私が学院で学んでいた時、父が亡くなった。病にかかったらしい。手紙からは一切そんなことはなさそうだったのに。

 

 

 そうして、私は学院を出て、王になることになった。貴族たちの腐敗を知ったのは、その時である。

 

 

 王位を継ぐために玉座に座る瞬間、私は途方もない恐怖を感じた。まるで、玉座の上から剣が吊るしてあるかのように。

 

 

 忠臣を演じている彼らは、まだ成人していない王の代理という立場を得て、政治を好き勝手にし始めた。

 

 

 民に重税を課し、貴族や騎士たちの専横をほしいままにし、まともな貴族は遠方へと左遷されていった。

 

 

 私はそれを眺めていることしかできなかった。民の苦しむ声も、善良な貴族の苦しみも、すべて私は知っていたのに。

 

 

 脳裏に浮かぶのは父のことだ。見ていないはずなのに、父の倒れる姿が私の中で何度も繰り返される。

 

 

 それが、気がつけば自分の姿に変わるのだ。倒れた私のそばで、貴族たちは何事もないかのように笑っている。

 

 

 私は怖かった。王子に生まれてきたことが。こんな世界に転生してきたことが。あの平和な国に戻りたかった。

 

 

 私はハーシェリクにはなれない。彼のように勇敢ではなかった。私はただ、黙ったまま、目の前で平然と行われる悪行を眺めている。

 

 

 私は登場人物にはなれない。物語に飛び込む勇気はとうとう出なかった。私はあくまでもただの読者でしかなかったのだ。

 

 

転生王子が国を支配している巨悪に立ち向かう

 

 その日、早川涼子の人生が終わった。

 

 

 彼女はどこにでもいる普通の女性だった。これといって目立つ才能もない、容姿も普通な、どこにでもいるような人間だ。

 

 

 唯一、一般人と違うところは、子どもの頃からゲームやマンガや小説が大好きで、そこから抜け出すことができなかったことだろう。それらを追いかけていたら、気づけば三十歳を過ぎていた。

 

 

 そんな彼女はとある上場企業の本社で事務員として働いていた。マンションを購入し、両親や老後の生活を見据えつつ悠々自適なお気楽おひとり様ライフを楽しんでいた。

 

 

 趣味を優先しつつも会社の仕事はやりがいを感じ、充実した日々を送っていた。この生活が定年まで続くだろうと疑うこともなかった。

 

 

 だが、変わり映えのない日常は、唐突に終わりを告げる。

 

 

 三十五歳の誕生日の前日、残業を終えて会社から外へ出るとゲリラ豪雨だった。寒い上に視界が悪く、叩きつけられる雨がとても騒がしかった。

 

 

 涼子はうんざりしつつ小さくため息を漏らす。涼子にとって今日は三十五歳の前日という意味だけの日ではない。涼子が半年以上も待った新作乙女ゲームの発売日なのだ。

 

 

 涼子は少しでも急ぎゲームをゲットするため、そしてプレイ時間を増やすために小走りに行きつけのゲームショップを目指す。

 

 

 目の前の信号機は彼女が目指す目的地までの最後の関所で、待ち時間がとても長い。そのうえ、この寒い気温と酷い雨の中、長時間信号待ちは辛かった。

 

 

 涼子は駆け出し、点滅し始めた横断歩道を走って渡ろうとする。涼子が横断歩道の二つ目の白線を踏んだ瞬間、雨の音を切り裂くようにクラクションが鳴り響いた。

 

 

 彼女が音の方に首を動かすと真っ白な光、次いで鈍い衝撃とスローモーションのように変わる空と地面。

 

 

 最後にガツンという音が響き、視界から景色が消失し、真っ暗になった。平凡な人生を歩んでいた早川涼子は三十五歳を迎える前日、交通事故により呆気なく終焉を迎えた。

 

 

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