なんでも治す万能薬なんてものは存在しない。だけど、もしも、人間がそれを見つけた時、私たちは生きることすら忘れてしまうのではないかと思うのだ。
女なんてのはどこにいても変わらない。きゃあきゃあ騒ぎ立てながら合コンの計画を立てる彼女たちを見ていると、つくづくそう思う。
理系の大学は男が多い。だが、さぞかし女はより取り見取りだろうと言われれば、そういうわけでもない。
なにせ、男と言っても、オタクが大半であり、彼らときたら、女性を別の星から来た何かだと勘違いしているような節さえある。
つまるところ、女慣れしている男というのは理系の大学において稀であり、そういうのを期待して入ってきた女たちはもれなく地獄を見ることになるだろう。
かく言う私も理系の大学において希少価値の高い女であるが、そういった惚れた腫れたとは無縁である。
優れた容姿でもなく、豊満な肉体を持っているわけでもない。無愛想で可愛げのない、こんな女を好きになる物好きなど、そうそういないだろう。
そもそも、私にはそういったことに対する興味がともかく薄いのである。そんなことに時間を使うならば、私は試験管と向き合っていた方が楽しい。
私が調合や実験が好きになったのは、思えば日向夏先生の『薬屋のひとりごと』を読んだことがきっかけだろう。
中国のような世界観で、猫猫という薬屋を営む少女を主役とした作品で、化学ミステリといったようなものだが、小難しい理屈やトリックはなくて女性でも読みやすい。
そもそも、この作品を勧めてきた友人は恋愛小説として読んでいたらしいが。彼女曰く、猫猫と壬氏の何とも言えない関係がじれったくて最高に萌えるのだそうだ。
私から見れば壬氏の一方的な片想いなんだけれど、友人はどうやら猫猫の壬氏への信頼だとか、そういうところが見えてたまらないのだとか。私にはよくわからない。
私はそれよりも、作中で猫猫が行うトリックの種明かしや調合、実験の数々に心が踊ってばかりだった。
炎の色が自在に変わる。白い花をいろいろな色に染める。粉塵爆発。チョコレートの作り方。試せそうなものは実際に試してみた。怒られもしたけれど。
その実験好きが高じて、こうして大学で専攻するまでになるのだから、人生というのはわからないものである。
しかし、この時はまだ私の考えは甘かったと言えるだろう。ほんの親切心でついていったのが運の尽きだった。
現実は小説のようにはいかない。地味で容姿の優れない女に壬氏のような極上の男が言い寄るなんてありえないのだと。
だが、どうも現実は小説よりも奇なりという言葉は正しいらしい。始まりは、きゃあきゃあ騒いでいた女子の、たった一言の誘いの言葉だった。
「ねえ、お願いだから合コンに参加してくれない?」
どうしてこうなったのか。遠い目をしても、目の前の現実はどうにもならない。ひとつわかるのは、この合コンの誘いに乗ったのは良くなかったということだ。
そもそも、まさか私自身も自分が合コンに参加することになるとは思いにもよらなかったのである。それが叶ってしまったのは、ただの偶然によるイタズラだった。
まず、私が最近抱えていた実験を終えたばかりだということ。次の実験はどうしようかと考えていた最中であり、つまるところ、実験の予定がなかったのだ。
そして、合コンに誘ってきた女子が、私の知らない仲ではなかったということである。
彼女とは友人というほど深い仲ではなかったが、大学入学時の当初は仲良くしていた。その後は性格の相違から自然と離れてしまったが、険悪なわけではなかった。
そんな彼女が困っているというならば、応えてあげてもいいだろうというくらいのものだ。実験があればもちろんそちらを優先するが、そういうこともない。
そういった次第で、合コンの参加に諾と返事をしたのである。もちろんオシャレ着なんてものは持っておらず、ただ飲み食いするだけのつもりだ。男なんてのは空気に等しかった。
そんないかにも人数合わせの心構えで参加したのだが、そんな私を以てしても、ひとりだけ空気になりきれない男がいたのだ。
「よろしく」
彼の笑顔に、こちら側に座っている女たちが黄色い悲鳴を上げて頬を赤らめた。その表情はただの恋する乙女である。
彼の容姿は美醜に興味のない私ですら感心するほどのものだ。友人がやたらとやる気に満ちていたのは彼がいたからかと内心で納得した。
とはいえ、私には関係があるまい。彼ほどの男ともなれば、女なんて困らないだろう。こんな地味女に見向きするわけがない。せいぜい目の保養にさせていただくことにしよう。
そんなわけで、私は早々に席の端で、会話にも加わることなく、一心に目の前の食事を減らしていく作業をしていた。
「唐揚げ好きなんだ。なら、俺のもあげるよ」
誤算だったのは、その件の男がどういうわけか私を構うことだった。しかも、巧みに質問を織り交ぜて私を答えざるを得ない状況に持ち込んでくる。
おかげで、空気になろうとしていた私は女子たちからの激しい嫉妬の視線に晒されることとなった。女の嫉妬ほど恐ろしいものはないのだ。唐揚げの味すらも感じない。
珍獣扱いならよそに行ってくれ、頼むから。あの反対側の女の子なんて美人でおすすめだぞ。内心で思うのだが、彼は蕩けるような笑顔で私を構うだけだ。
私はため息を吐いて、諦めることにした。同席した彼女たちとの今後が怖いが、割り切るしかないだろう。彼女は友人ではなくなるだろうが、もともとそこまで関わりがあるわけではない。
どうせ、ここにいる人たちとは今夜限りだ。本懐通り、食べてればいいだろう。いつものカップラーメンよりはおいしいのだ。
そう考えて、私は適当に受け答えをしながらずっと食べていた。ようやく終わった時は思わず万歳したくなったほどだ。
ただ、その時の私は知らなかった。彼が同じ大学に通う、同じ学科所属の学生であることを。
そして、そんな彼にその後もつきまとわれて、私の実験に満ちていた日々が崩壊することを、私は想像もしていなかったのだ。
後宮で起こる怪事件を薬屋が紐解く
先日、薬草を探しに森に出かけてみれば出会ったのは、人攫いだった。強大で迷惑極まりない結婚活動、宮廷の女狩りである。
就職先としては悪くないのだが、それは個人の意思で来た場合である。薬師としてそれなりの生活をしていた猫猫にははた迷惑な話なのだ。
薬屋をやってきて思うこと、女の笑みほど怖ろしいものはないと。それは天上人の住まう御殿も城下も変わらないのだと。
足元に置いた洗濯籠を抱え、建物の奥に向かう。梅の花と『壱七』と書かれた札の籠を見つけると、小走りに歩く。
籠の洗濯物の主は下級妃嬪である。絢爛の花々に気圧され、鼻っ柱を折られ、最近は部屋の外にも出ようとしなくなった。
猫猫は後宮の中で最下層の下女であり、官職すら持っていない。特に後ろ盾もなく、数合わせにされた娘にはそれが妥当なところである。
仕事はまだたくさん残っている。好きで来たわけではないが、お給金は頂いているのでその分の働きはするつもりである。
大人しく働いていればそのうち出られる。まさか、御手付きになることはありえないだろう。
残念なことに猫猫の考えは甘かったと言える。何が起こるかわからない、それが人生というものだ。
好奇心と知識欲。そして、ほんの少しの正義感。この数日後、猫猫はある怪奇の真相を暴くことになる。
先代の側室の呪いだと言われたそれは、猫猫にとって怪奇でもなんでもなかった。
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