『あさきゆめみし』という漫画に惚れこんで以来、はるか昔にかの紫式部が書いた『源氏物語』という作品を、私は長らく読んでみたいと渇望しておりました。しかし一方で、いかにも長大な古文を読むことに私は躊躇していたのです。
ようやく私が悲願を遂げることができたのは、田辺聖子先生の『新源氏物語』を知ったことが大きいでしょう。それは現代に生きる私でも読みやすく書かれていて、ごく普通の小説と同じように楽しむことができました。
『源氏物語』は、光源氏という美青年の栄華と盛衰を描いた物語です。日本最古の長編小説とも称され、歴史的な価値としても物語としても高い評価を得ている作品です。
私は『あさきゆめみし』から入りましたが、次第に『源氏物語』そのものに強く惹かれるようになりました。艶やかな恋愛がとても美しく見えたのです。
しかし一方で、主人公である光源氏のことが、私はどうにも好きにはなれませんでした。というのは、何も私だけでなく、現代の恋愛観を持っている方ならばわかるのではないかと思いますが。
光源氏には葵上という妻がいます。しかし、彼は各所の美しい女性との恋をことごとに楽しんでいるのです。それも、相手に夫がいようが権力でねじ伏せ、幼かろうが年嵩であろうがお構いなしで。
恋愛観のまるで違う平安時代当時ならば仕方がないのかも、と言い聞かせていましたが、どうやら読む限りは当時からしてみても好色として扱われていたようですね。
中でもやはり印象的なのは、後にもっとも彼に寄り添う女性となる「紫の上」でしょう。光源氏が彼女と出会った時、紫の上は十歳前後ほどの年齢でした。
しかし、彼女を諦めきれない光源氏は、彼女を無理やり攫い、自らのもとで理想的な女性に育て上げることにするのです。『源氏物語』でも半ば代名詞となっているエピソードですね。
紫の上は子どもらしい無垢な信頼を光源氏に預けます。しかし、彼女が年齢を重ねて美しい女性となった頃、光源氏は彼女の無垢な信頼を裏切り、無理やり一夜を共にするのです。
何度読んでも、私はこの光源氏という青年を魅力的な主人公として受け入れられませんでした。彼の描かれ方にも、どこか皮肉めいたところが感じられるのは、私のただの思い込みでしょうか。
紫式部は、いったいどのような想いを、この光源氏に預けたのでしょう。読みながら、私はそんなことを思わないではいられませんでした。
幼い頃から、紫式部は大人しいながらも優れた才能を見せていたと言います。彼女の才能を見た彼女の父は、式部が女性であることを惜しんだのだとか。
時の権力者に気に入られ、当時の女性として紫式部は成功者と言ってもいいでしょう。ですが、才女であった彼女の前には常に「性別」という壁が聳えていたように感じられてなりません。
優れた容姿と才能で多くの女性から愛されている光源氏。時には権力で無理を押し通し、ドラマチックな恋愛を求め続け、自分の好色を自嘲しながらも欲望に身を任せ続けて最後は破滅を辿った。
式部をモデルとされている「空蝉」は光源氏に惹かれながらも拒み続けました。憧憬と、軽蔑。式部にとって「光源氏」は、彼女から見た男性そのものであるように思えるのです。
光源氏の生涯
光源氏、光源氏と、世上の人々はことごとしいあだ名をつけ、浮ついた色好みの公達、ともてはやすのを、当の源氏自身は味気ないことに思っている。
彼は真実のところ、まめやかで真面目な心持の青年である。世間ふつうの好色者のように、あちらこちらでありふれた色恋沙汰に日をつぶすようなことはしない。
帝の御子という身分がらや、中将という官位、それに、左大臣家の思惑もあるし、軽率な浮かれごとはつつしんでもいた。左大臣は、源氏の北の方、葵の上の父でもある。
それなのに、世間で、いかにも風流男のように言いなすのは、人々の、ことに女のあこがれや夢のせいであろう。
彼の美貌や、その詩的な生い立ち――帝と亡き桐壷の更衣との悲恋によって生まれ、物心もつかぬまに、母に死に別れたという薄幸な運命が、人々の心をそそるためらしかった。
帝には数多の女御やお妃がいられたが、誰にもまして熱愛されたのは桐壷の更衣であった。心優しい桐壷の更衣は帝のご愛情だけを頼りに生きていたが、物思いがこうじて病がちになり、ついにはかなく。みまかってしまった。
更衣の遺した御子はそのころ三つで、光り輝くような美しさだった。母君の死もわからず、涙にくれている父帝を、不思議そうに見守っていた。帝は恋人の忘れ形見であるこの若宮を、第一皇子より愛していられた。
元服した若宮は、源氏の姓を賜り、いまはもう「宮」ではなく、ただびととなった。みずらに結った髪を解いて、冠をいだいた源氏は、「光君」というあだ名の通り、輝くばかり美しかった。
源氏には、他の人間にない陰影があるというのは、その過去のせいである。生い立ちにある、父と母の情熱の火照りが今も彼の身のまわりに揺らめいている。彼が身じろぎするたびに、妖しいゆらめきが放たれる。人はそれに酔わされ、魅惑される。
源氏は身を慎み、まめやかに内輪にしていた。源氏の本心は、誰にもわからない。源氏はしめやかに心の底に苦しい恋を秘しかくしている。そのため、ありふれた色事に身をやつす気にはなれないのだった。
といっても、さすがに折々は、風変わりな、屈折した恋に出会うと、心をそそられることがないともいえないけれど……。
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