変人だらけのエンターテインメント医療ドラマ『僕たちはドクターじゃない』京本喬介


 人の命を救う。それが私の仕事だった。

 

 

 医者のことを、高い給料を得られることができる職業だと世間は捉えている。なれるならなりたい、高級取りの仕事だと考えられている。

 

 

 一方、古来であったならば、医者は怪しげな職業のひとつだった。薬に対する深い知見は、人々の助けになった反面、忌避さえされることがあった。

 

 

 しかし、医者とは何か、と問われたならば、私は人の命を救う仕事だと答えるだろう。

 

 

 社会や偏見や仕組みによって大いに歪められているが、本質のところを突くならば、それがもっともしっくりくるところだろう。

 

 

 だが、患者はどうもそうは思わないらしい。私は思わず皮肉気な笑みを浮かべた。

 

 

 彼らはどこかおどおどとしながら椅子に座る。あるいは、どこか横柄な態度で診察室に入ってくる。

 

 

 視線が挙動不審に右に左にと動き回り、額に汗がにじみ出す。緊張による汗だ。あるいは、恐怖か。

 

 

 彼らにとって医者とは何か。私は各々の心情を如実に表しながら診察室を訪れる彼らを眺めながら、そんなことを考える。

 

 

 おどおどとしている老人。彼にとって、医者とは己の罪を宣告する裁判官なのだろう。

 

 

 今日もまた、彼は禁断の雫に手を出した。百薬の長と言われるそれは、多くの薬と同じで過ぎれば毒となる。

 

 

 居丈高と腕組みをしてふんぞり返る中年の男。彼にとっての医者は薬の売人といったところか。

 

 

 彼との診察は騙し合いだ。彼は薬が欲しい。だから、症状に嘘をつく。医者は彼に薬を摂らせ過ぎないようにする。

 

 

 医者は命を救う仕事だ。患者の病気を治し、健康にするために、医者はいつも最善を尽くしている。

 

 

 にもかかわらず、患者はいつだって私に嘘をつく。騙そうとする。本当のことを言ってくれないと、適切な治療なんてできないというのに。

 

 

 そして、それで治らなかったら、私たちが悪いということになる。まったく、堪らない。

 

 

 彼らは病院に来て、医者に話を聞けば病気が治るとでも思っている。渡された薬を飲むことを少しさぼったところで、何もないとどういうわけか確信している。

 

 

 成功するのが当然であり、失敗すれば責められる。それが医者としてあるための、業である。

 

 

「お前のせいだ」

 

 

 私を責める少年の目が、私の頭の中から離れなかった。目を閉じても、その視線は追いかけてくる。

 

 

「お前のせいだ」

 

 

 彼の口から出てくる声は、少年のものとは思えない嗄れ声だった。先日、永遠の眠りについた老人の声だ。

 

 

 中年の女性の声が。老婆の声が。女の子の声が。若い女性の声が。怒鳴りつけるような男の声が。私の頭の中で、巡る。巡る。

 

 

 白衣を見つめながら思う。私はどうしてこんなものになりたかったのだろう。

 

 

医者としての

 

 寝不足の頭を掻きながら、私は患者のもとへと赴く。昨夜は悪夢を見たせいでろくに眠れなかったのだ。

 

 

 鏡を見なくてもわかる。今の私の顔はなんともひどい代物になっているだろう。

 

 

 しかし、それでも患者に不安を与えないためにも、疲労を見せず、毅然とした態度で接さなくてはならない。

 

 

 自分の羽織った清潔な白衣。先日の夢も関係しているのか、今はそれを脱ぎ捨てたくてたまらなかった。

 

 

 ぼやけた頭で病室へと入る。見舞いとしてきたのだろう、幼い少年が私を不安そうに見上げた。

 

 

 器具が示す彼の数値と、カルテとを見比べる。異常なし。彼はどうやら、持ち直したらしかった。これなら、退院してもいいだろう。

 

 

「本当、ですか」

 

 

 彼は信じられないと言わんばかりに目を見開いて、それから、ふっと顔をしわくちゃにして笑った。目尻から涙が零れる。

 

 

 ふと、ズボンの裾を何かに引っ張られる感じがして、見てみると、少年が私を見上げていた。

 

 

「ありがとう」

 

 

 その満面の笑みを見た時、私は思い出した。自分自身に問いかけていた、言葉の意味を。

 

 

 医者とは何か。医者とは、命を救う仕事である。

 

 

医学生たちの活躍を描く軽妙なタッチの医療ドラマ

 

 閉鎖した工場というよりも、解放された廃墟という表現がしっくりくる大きな建物だった。

 

 

 目を凝らさずとも、窓ガラスが割られ、木枠が崩れているのが見えたし、壁一面に印象的な落書きがされていて、車が突っ込んだような穴まで開いていた。

 

 

 その廃工場の中に、赤い海原が現れた。皮膚と鼻孔と喉の奥を焼く渇いた熱気、それは赤い海原という炎の集合体の副産物に過ぎない。

 

 

 毒々しい黒い煙を噴出する紅蓮の炎がぱちぱちとした音を奏で、茫然自失となったドクを嘲笑っている。

 

 

 こうなってしまったのは全て、ドクの足許でぺたりとあひる座りをし、猛火に驚愕しだらしなく口を開けた紅が原因だった。

 

 

 鮮やかな赤毛を腰まで伸ばし、制服の上から白衣を羽織ったこの少女が、ガソリンを撒き散らし火を放ったのだ。

 

 

 我に返ったドクは、背後にある出口を見やった。同僚である真琴蓮と京弥涼一は、廃工場の外にいる。

 

 

 放火犯が腰を抜かしてしまい、自ら生み出した炎によって焼かれるなんて話は聞いたことがない。そんな間抜けな紅を、誰が医者の卵だと思うだろうか。

 

 

 ドクと紅は、十年以上同じ釜の飯を食った間柄だ。それほど長い時間を一緒に過ごしてきたが、あまりにも幼すぎる紅の性格はどうしても許せない。

 

 

 紅は、ドクと同じ診断医療という分野の専門医を志す「特別医学生」だ。患者を治療しようとして、まさか自分たちの命を危険に曝すことになるとは考えてもいなかった。

 

 

 深々とため息を吐き出したドクは、右腕を紅の肩に回し、左腕を両膝の裏に引っかけ、仕方なしに紅を抱っこした。

 

 

 ドクと同様、紅は十五歳だが、身体の小さな少女である。童顔ながらも顔立ちはよく、表情が豊かで、そんな少女に命令口調で怒鳴られると、余計に腹立たしいのだ。

 

 

 滅茶苦茶に言い返したい衝動をぐっと堪え、とにかく出口に向かって走った。廃工場唯一の出入り口は、周りの壁自体が崩れていて、剥き出しになった木骨が今にも炎上しようとしていた。

 

 

「少しは静かにしていろ!」

 

 

 叫ぶ紅に向けたドクの一喝に反応したのは紅ではなかった。炎に包まれた柱が横から倒れてきたのだ。

 

 

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