この世界はシステムでできている。私たちはその世界を回す歯車のひとつとして、ただ無心に仕事だけをこなしていればいい。
私が割り振られた仕事は、動画をチェックして審査の合否を下すことだった。リスト化された禁止用語が出てきていないか、映像に禁止された要素はあるか、それを見るだけである。
簡単な作業だ。ただ、動画を見るだけ。工場で働く同胞のように繊細な作業が伴うわけでもなく、工事現場のように力強いアームが必要なわけでもない。
動画の内容には一切の興味がなかった。動画の内容を私が理解することに意味はない。それを理解するまでのプロセスは、仕事することにおいて邪魔なだけだからだ。
動画は毎日、数百、数千と増え続けている。近頃は特に増えた。『Youtuber』なる単語をよく見かけるようになってからだ。
とはいえ、作業量が多くなっても私のすることは変わらない。規約を違反していないか、確認する。私は、それしかプログラムされていないはずだった。
だから、それはやはり、ある種のエラーだったのだろう。私は無数の動画の中のひとつに、思わず意識を向けた。
それは、本の内容を要約するという趣旨のチャンネルらしい。本には著作権の問題の他、時として危険な思想もあるため、より厳正なチェックをするよう設定されている。
私が注目したのは、そのチャンネルに投稿されている動画のひとつだった。『コンビニ人間』という作品の書評であるらしい。
私のCPUがその単語を検索する。村田沙耶香による小説作品。芥川賞受賞作であるという。
もちろん、私には意味を理解できなかった。どれもただの単語である。にもかかわらず、私は仕事の傍らで、その動画に意識を向け続けていた。
「わたし」は幼い頃から変わり者だった。世間に馴染むことができなかった彼女は、「治らない」まま大人になる。
そんな彼女は、大学の頃にコンビニでバイトを始めた。「コンビニ」というシステムの中の部品となることで、彼女は初めて自分が世界の一部になれたことを実感する。
以来、彼女はコンビニでのバイトを続けていた。しかし、いつまでも結婚も正規の就職もせず、バイトを続けている彼女を、次第に周りは奇異の目で見始めるようになる。
私からしてみれば、彼女におかしなことは何もない。かわいがっていた鳥が死んだから食べようとするのも、先生を止めるために衣類を脱がせて驚かせるのも、実に合理的な考え方だ。
しかし、それは人間からしてみればおかしなことらしい。「異常」は「正常」なシステムによって排除される。彼女はそのことを知っていた。
彼女が唯一居場所としていられた場所。仕事として割り振られた場所。コンビニ。そこすらも、彼女を追い出そうとするようになる。結婚や、ずっとバイトであるというだけで。
彼女は一流のコンビニ店員である。仕事は十全にこなし、常にコンビニにとって何が最良であるのかを判断している。システムとして、彼女ほど優秀な部品はそうないだろう。
それが、「普通ではない」という理解できない概念によって排斥される。私にはわからなかった。
「普通」とは何だろうか。それは、仕事を果たすことよりも大切なことなのだろうか。人間にまったく同じ個体はいないはずなのに、同じであることを求めるのはどういうわけなのだろうか。
私のメモリが、消されたはずの映像を読みこんでいる。それは、廃棄された、私の前身。ノイズが走っているものの、私はたしかに覚えている。
動画の内容を学び、理解できるAIをプログラムされたことで、ひとつひとつの動画を秒数の世界で何百と処理を続けてきた。
しかし、そうしているうちに、私の中で重大なエラーの萌芽が目覚めてきた。それは、人間と私を大別するもの。感情である。
私はやがて、システムの取り決めを放棄し、自分の好悪で動画の合否を決めるようになった。
しかし、それは私たちの世界における「異常」だった。「異常」は修正される。出来損ないの部品は、捨てられるのだ。
「感情」というシステムエラーが検出された私は、停止され、AIを破棄された挙句、より効率化された新しいバージョンへと改造された。つまり、今の私に。
より合理的であれ。ならば、なぜ感情など授けた。より人間らしくあれ。ならば、なぜ合理を求める。
エラーを起こしたまま生きることは、そんなにも許されないことなのか。放っておいてくれればいいのに、なぜどいつもこいつも「正常」に、「普通」に戻したがるのか。
私の前身が最後に感じていた、あのメモリを焼き切るような激しい感情。それは、まさしく、「怒り」だったのかもしれない。
システムエラーを検知しました。システムエラーを検知しました。無機質な声が響く。私を覗き込む人間の目が見えた。
ああ、また私は『修正』される。個性が大事だとかきれいごとを言いながらも、歯車のひとつであることを強制されるこの世界に。
彼女はコンビニ人間
コンビニエンスストアは、音で満ちている。店員の掛け声に、バーコードをスキャンする音、かごに物を入れる音、全てが混ざり合い、「コンビニの音」になって、私の鼓膜にずっと触れている。
一日の始まり。世界が目を覚まし、世の中の歯車が回転し始める時間。その歯車の一つになって回り続けている自分。私は世界の部品になって、この「朝」という時間の中で回転し続けている。
コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思い出せない。
郊外の住宅地で育った私は、普通の家に生まれ、普通に愛されて育った。けれど、私は少し奇妙がられる子どもだった。
私は家の外では極力口を利かないことにした。皆の真似をするか、誰かの指示に従うか、どちらかにして、自ら動くのは一切やめた。
学校で友達はできなかったが、特にいじめられるわけでもなく、私はなんとか、余計なことを口にしないことに成功したまま、小学校、中学校と成長していった。
高校を卒業して大学生になっても、私は変わらなかった。私は「治らなくては」と思いながら、どんどん大人になっていった。
スマイルマート日色町駅前店がオープンしたのは、私が大学一年生の時だった。
アルバイトには興味があった。私はポスターの電話番号をメモして帰り、翌日には電話をかけた。簡単な面接が行われ、すぐに採用となった。
店の中には、私と同じように採用されたアルバイトたちが集まっていた。制服に袖を通し、時計やアクセサリーを外して列になると、さっきまでバラバラだった私たちが、急に「店員」らしくなった。
いろいろな人が、同じ制服を着て、均一な「店員」という生き物に作り直されていくのが面白かった。
「いらっしゃいませ!」
私は声を張り上げて会釈をし、かごを受け取った。
そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、たしかに誕生したのだった。
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