理想的な家族を盲信してはならない『家族という病』下重暁子


 父、母、私。三人で食卓を囲む。楽しげに、日々のことを語り合う、仲睦まじい家族。私はその笑顔の下で、気持ち悪さを必死に押し隠していた。

 

 

「お宅はいつも仲良くて羨ましいわねぇ」

 

 

 隣に住んでいるおばさんにそんなことを言われて、私の母は「いえいえ、そんな」とにこやかに微笑みを返した。

 

 

 けれど、私は母の鼻が自慢げに膨らんだのを見逃さなかった。けれど、そんなことはおくびにも出さず、にこっと笑っておばさんにぺこりと頭を下げる。

 

 

 仲良し。夫婦の仲も良くて、親子の関係も良好で、私たちはまさに「理想的な家族」だった。そう言われてきたし、私自身もそう思っていた。

 

 

 だからこそ、私は、自分自身の中にある、家族に対する嫌悪感の正体がわからなかった。自分は悪い子なのではと苦悩し、無理やり笑顔を作り続けていた。

 

 

 家族のことは好きだ。父も、母も。けれど、三人で食卓を囲む時の会話や笑顔が、私は気持ち悪くてたまらない。

 

 

 笑っているのに、笑っていないような気がした。その会話には中身なんてなくて、ただそれっぽい内容を言っているだけのように感じた。

 

 

 昔、演劇を見たことがある。それはあまり上手いとは言えない、陳腐な劇だったけれど、私たちの家族団欒は、まるでそれよりも下手な演劇を見ているかのような感覚を覚えた。

 

 

 でも、きっと、そんなことを思ってはいけない。私は変な子なのだろう。気付かれてはいけない。そんなことになったら、私たちは「理想的な家族」ではなくなってしまう。

 

 

 いつだって、私は自分の罪をひた隠す罪人のような気持になっていた。気付かれるな。気付かれれば、終わりだ。

 

 

 ある時、図書館で、一冊の本を見つけた。『家族という病』。そのタイトルに導かれるように、私は周りの視線から隠すように、その本を借りた。

 

 

「家族のことを知っているか?」

 

 

 そう聞かれて、私は「もちろん」と心の中で答えた。けれど、どこかに奇妙なしこりが残っている。

 

 

 私は知っているつもりでいた。主婦として家族を支える母のこと。たまにケーキを買って帰ってくる父のこと。

 

 

 けれど、それ以外の彼らのことは何も知らなくて、私は愕然とした。私が知っているのは、あくまでも親としての彼らのこと。

 

 

 食卓を笑顔で囲んでいる彼ら。けれど、その笑顔の他に、彼らがどんな表情を持っているのか、そんなことすらも、私にはわからなかったのだ。

 

 

 理想的な家族。私が今まで壊さないように、と必死で保ち続けてきたその幻想が、一冊の本によって露わにされていく。

 

 

 そこには、ただ下手くそな演技で家族の役割を演じるだけの、四人の人間の姿があった。

 

 

 それは、私が今まで見てきた彼らとはまるで違う姿だった。そして、私自身もまた、「私」という自分自身を丸裸にされたような感覚を覚える。

 

 

 けれど、不思議と、そのことが不快ではなかった。それどころか、鎖から解放されたかのような解放感すらあった。

 

 

 私の胸の中にずっといた違和感。それは、「家族」という鎖に縛られていた私自身だった。

 

 

 仲良く笑い合う「理想的な家族」。それもまた、ひとつの家族の形だろう。ずっと役割を演じ続けていれば、私たちは誰よりも素晴らしい家族になれる。

 

 

 けれど、私たちはみんな、家族である前にひとりの人間だ。父も、母も、役柄の仮面の下に素顔がある。

 

 

 そこにあるのは怒りかもしれないし、不愉快だという感情かもしれない。嫌悪かもしれないし、憎悪かもしれない。

 

 

 時には衝突もあるだろう。けれど、ひとりの人間とひとりの人間が向かい合うのだから、むしろそれくらいはあって当然。

 

 

 向き合って、ぶつかって、傷ついて。相手をひとりの人間として認める。それが、本当に「理想的な家族」への第一歩なのではないだろうか。

 

 

 私はもう、演じなくていいんだ。そう認めた時、胸の中の違和感が消えていることに気が付いた。

 

 

 もう、理想的な「子ども」でいることはやめよう。きっと、それは反抗期と呼ばれるのかもしれない。

 

 

 それでも良かった。私は父のことも母のことも好き。だからこそ、「子ども」の私ではなくて、私自身を見てほしかった。

 

 

家族とは何か

 

 「あなた、家族のこと知ってる?」と聞くと、「もちろん」と答えが返ってくる。「ほんとに?」と重ねて聞くと、「あなたは知らないの?」と問い返される。

 

 

 その通り、私は最近、自分の家族について何も知らなかったと愕然としているのだ。

 

 

 ひとり、二人と失っていくにしたがって、大切なことを聞いていなかったなと気づかされる。

 

 

 同じ家で長年一緒に暮らしたからといって、いったい家族の何がわかるのだろうか。日々の暮らしで精一杯であり、相手の心の中まで踏み込んでいなかった。

 

 

 いや、踏み込んではいけないとどこかで思い、見守っていることが多いのだ。いじめや家庭内暴力などが報道されると、もっと日頃から話し合っていればというが、土台無理である。

 

 

 子どもは親に心の中を見られまいとするし、心配をかけたくないという思いがある。親は子どもがどこか変だと気付いても、問いただすことをはばかる。

 

 

 親から虐待を受けているのになぜ外部に助けを求めないのかと思うのだが、そんな子どもはかえって、健気にも、外に向かって家族を守ってみせようとするのだ。

 

 

 私は長い間、もっとも近い存在である家族とは、人間にとって、私にとって何のかという疑問を持ち続けてきた。

 

 

 正直に、私にとって家族とは何だったのかを告白することから始めよう。私は家族という単位が苦手だ。個として捉えて考えを進めたい。

 

 私は、父、母、兄の三人の家族と、わかり合う前に別れてしまった。私だけではない。多くの人たちが、家族を知らないうちに、別れてしまうのではないかという気がするのだ。

 

 

 私たちは家族を選んで生まれてくることはできない。産声を上げた時には、枠は決まっている。その枠の中で家族を演じてみせる。父・母・子どもという役割を。

 

 

 家族団欒の名の下に、お互いがよく知ったふりをし、愛し合っていると思い込む。何でも許せる美しい空間。そこでは個は埋没し、家族という巨大な生き物と化す。

 

 

 家族団欒という幻想ではなく、ひとりひとりの個人を取り戻すことが、本当の家族を知る近道ではないのか。

 

 

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