ごめん。その、たったひとことのタイトル。一体何を謝っているんだろうか。その作品を読んでみることにしたのは、それが気になったからだった。
どうやら短編集らしい。『ごめん』という短編は二つ目の話だった。物語は、陽菜子が目を覚ましたところから始まる。
なんと、彼女の夫は職場での事故で植物状態になってしまったのだという。しかも、彼女が若い男性との不倫の最中に起こった事故であるらしい。
ごめん、とは、彼女が不倫していたことを謝っているのだろうか。最初はそう思った。
けれど、読み終わった今は、そうではないのだと気付いている。いや、ある意味ではそうだともいえるし、また一方では違うともいえる。
『東はごめん、西はいの』。作中の、その言葉が読後のぼんやりした頭の中に波紋のように残っている。
それは、高知の路面電車の言葉遊びのようなものらしい。高知には後免という駅がある。そして、西向きに向かった終点には伊野という駅があるという。
だから、『東にごめん、西にいの』。ごめんと言って、いいのと許す。それが不思議と、私の胸にじんわりと染み入った。
『ごめん』に収録されている作品は、どれも「裏切り」が描かれているように感じた。
不倫をしたり、別の人の恋人を誘惑したり、大切な人に置いていかれたり。物語はどれも胸が痛くなるような、切なさの満ちたものばかり。
けれど、どうしてだか、読んでいる私は、大切な人を裏切っている彼女らに対して、嫌悪の情は抱かなかった。
彼女たちがその結果、苦しい目に遭ったとしても、爽快になったり、「ざまあみろ」なんて思ったりもしない。
ただ苦しく、息ができなくなる。まるで私自身が裏切られたかのようなほど、物語へと入り込んでいた。
これ以上入り込んでは駄目だ。そう思っていても、引き込まれる。繰り返される裏切りの輪の中に、私自身もいた。
読んでいる間は息苦しい。けれど、読後感はそう悪くはなかった。ひとつの物語を読み終わるごとに、私は止まっていた呼吸を吐き出すようにほうと息を吐く。
裏切り、裏切られ、心を削り合っていく彼女たちはけれど、決して苦しんだままで終わってはいない。
物語の最後には、傷つき、たくさんの涙を流した彼女たちも、涙をぬぐい、顔を上げて前を向く。それは、これからの彼女たちの変わった人生を暗示するかのようだった。
ごめん。それは、ただの高知県の地名でしかない。言葉遊びのひとつでしかない。けれど、私にはそれ以上の意味が込められているように感じた。
ごめん。裏切ってごめん。傷つけてしまってごめん。泣かせてごめん。やっぱり、それは謝っている言葉なんじゃないかと思う。
彼らが、彼女たちが、謝っているんじゃないか、と。
誰も相手にはっきりと謝ってはいない。けれど、彼女たちの行動には確かに、裏切りをしたことの後悔と、決して単純ではない錯綜した愛があった。
そして、「ごめん」のその言葉の後には、「いいの」と続くのだろう。相手の裏切りを認めて、そして許す言葉。
それは平行線でつながっている。だって、『東はごめん、西はいの』なのだから。終点はいつだって、「いいの」なのだ。
裏切りの短編集
トタン屋根を軽く叩いて通り過ぎていく雨に似た音を耳にして、陽菜子はうっすらと目を覚ました。
真っ白な天井が見える。見知らぬ部屋だ。自分が今どこにいるのかを思い出すのにしばらくかかった。
ゆっくりと上体を起こして、陽菜子は隣のベッドを見た。夫が眠っている。
頭には白いキャップが被さり、顔の三分の二は呼吸器に覆われている。身体には、無数の管が貼り付けられ、名も知らぬ液体がその中を満たしている。
廊下へ出て携帯の電源を入れた途端、着信音が鳴った。純一の母からだ。「もしもし」と応える声は無意識に沈んでしまった。
「陽菜子さん? あんたなんで電話に出ないの?」
「だって病院ですから」
あんたもう純一のとこ行ってるの? で、どうなの? 純一は。あんたが泊まってくれたなら、さぞ喜んだでしょう。しょっちゅう行方不明の奥さんが、そばにいてくれたんだから」
今までも会えば嫌味を言わずにはいられない性質の義母だったが、純一がこんな状態になってからはあらゆる嫌味をぶつけてくる。
「もしこのままあの子が目覚めなかったら、あんたを許しませんからね。あたしのたったひとりの息子を。あんたのせいで」
義母の声が震えている。陽菜子は無言のままで電話を切った。
純一が勤務先の建設現場で事故に巻き込まれ、意識不明の重体に陥ったその時、陽菜子は十歳年下の恋人、正哉とプーケット島のコテージにいた。
二十八歳で純一と結婚して、今年で十年になる。結婚して五年目に、陽菜子は初めて他の男と関係を持った。正哉は三人目の男だった。
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