けんど、光はある!『県庁おもてなし課』有川浩


 たまには、のんびり旅行するのもいいものだな。私はバスに乗りながらそう思った。

 

 

 窓からは青々とした若葉が覗いている。バスは山奥へと進んでいき、まるで別世界にでも迷い込む入り口であるかのようだった。

 

 

 見慣れた高層ビルの立ち並ぶ都会ではありえない、人の手の加わっていない大自然は見ていておのずと癒されていく。

 

 

 バスに乗っているのは二人だけ。私と、あとは通路を挟んだ反対側に座っているひとりの若い女性だけだった。

 

 

 私はふと思い立って挨拶をしてみる。普段ではしないことだが、旅行先という解放感が私の気を大きくしていた。

 

 

「こんにちは」

 

 

「ええ、こんにちは」

 

 

 彼女は最初こそ驚いていたようだったが、すぐににこやかに微笑んで挨拶を返してくれた。長い黒髪が彼女の顔の横で揺れている。

 

 

「地元の方ですか?」

 

 

 私がそう聞くと、彼女は首を横に振った。なるほど、たしかに彼女の抱えている旅行カバンはそれなりの大きさである。

 

 

「いいえ、京都から来たんです」

 

 

「京都からですか」

 

 

「ええ、そうです。母の実家が高知にありまして、久しぶりに余暇を利用して訪ねてみようかと」

 

 

 なるほど、通りでイントネーションがどことなく訛っているわけだ。しかし、京都特有の柔らかな抑揚が彼女の木漏れ日のように穏やかな雰囲気に調和していた。

 

 

「あなたは?」

 

 

「私は東京からですね」

 

 

「東京ですか! それはまた随分と遠いところからいらしたんですねぇ」

 

 

 彼女は感心したようにはあと息を吐いた。

 

 

「旅行ですか?」

 

 

「ええ、そうです」

 

 

「珍しいですね。旅行で高知まで来るなんて」

 

 

「ああ、それには理由がありまして、実はですね」

 

 

 私はカバンから一冊の本を取り出した。広大な青い空を自転車を持っている二人の男女が見つめている表紙が描かれている。

 

 

「あっ、有川浩先生の『県庁おもてなし課』じゃないですか!」

 

 

「ご存知でしたか」

 

 

「もちろんですよ! ほら」

 

 

 そう言って彼女が旅行カバンから『県庁おもてなし課』を取り出したものだから、私は驚いた。

 

 

「私が母の実家に行こうと思ったのも、実はこの本を読んだからなんです」

 

 

「実は私も、この本がきっかけで高知県に旅行しようと決めたんですよ」

 

 

「すごい偶然ですね」

 

 

「ええ、本当に」

 

 

 私と彼女は顔を見合わせてくすくすと笑った。バスは私たちを乗せて、さらに山奥へと進んでいく。

 

 

地元の魅力を見つけて

 

 いろいろなところを見て、写真を撮った後、私は小さな村の民宿で泊まることにした。

 

 

 まだ夜遅いわけでもないのにバスがない、というのは東京ではまずなかったことで、その不便さもまた新鮮に感じる。

 

 

 民宿で手続きを済ませて、入り口にある宿泊客が共同で利用できる大部屋で見知った姿を見かけて驚いた。

 

 

 相手も私を見て誰だか気づいたのだろう、目を大きく見開いて驚きを露わにしていた。

 

 

 それはバスで出会ったあの女性だったのである。

 

 

「すごい偶然、ですね」

 

 

「ええ、本当に」

 

 

 私たちはまたくすくす笑った。

 

 

「ここは私の母方の祖母が経営している民宿なんです。でも、少し行った先にもっと大きな民宿があるから、てっきりそちらへ行くものとばかり」

 

 

 だから、本当に驚きました、と彼女は笑う。どんなものを見てきたかを語り、撮ってきた写真も見せて、自然と話は共通の話題へと移っていく。

 

 

「『県庁おもてなし課』って、本当に高知県に出かけたくなりますよね」

 

 

「日曜市とか、楽しそうですよね。私もこちらにいる間に行ってみようと考えています」

 

 

 明神山は行かないんですか、と聞くと、苦笑とともに首を横に振っていた。まあ、私もあそこに行くにはまだ度胸が足りない。

 

 

「それに、恋愛がとってもかわいらしくて。物語として読んでいても本当に面白いんですよね」

 

 

 私、有川浩先生の作品って、元々結構好きだったんですけれど。ほら、『図書館戦争』とか、『植物図鑑』とか。

 

 

「でも、一番好きなのは『県庁おもてなし課』なんですよね」

 

 

 彼女は別の宿泊客と談笑している老人をちらりと見た。彼女が祖母なのだろう。

 

 

「私、昔はここがあんまり好きではありませんでした。不便だし、何にもないし」

 

 

 長く帰ってこなかったのも、それが理由なんですけど。彼女は苦笑しながら語る。でも。

 

 

「『県庁おもてなし課』を読んで、不便であること、何にもないことの魅力が改めて魅力に思えたんです。東京とか、京都とか、都会では絶対にないからこそ、その感覚が懐かしく思えて」

 

 

 それ以来、私は高知県が大好きになりました。そう言った彼女の笑顔は本当にきれいだった。

 

 

「今では祖母の民宿も大好きで、その仕事を尊敬しています。これも、高知の『おもてなしマインド』だなあって思うと誇らしいんです」

 

 

 彼女の言葉に、私は頷いた。

 

 

「自分が住んでいるところの魅力って、身近だからこそ気づきにくいんですよね。それが普通になってしまっているから」

 

 

 でも、それって他の人たちから見たら、とっても魅力的なことなんです。きっと、そういったことって、高知県じゃなくてもいっぱいあるんですよね。

 

 

「きっと、私たちの地元も、見方を変えてみたら、隠れた魅力がたくさんあるんです。それに気がついていないだけで」

 

 

高知県の魅力を紹介! おもてなし課の奮闘

 

 その年、高知県庁観光部に「おもてなし課」が発足した。県の観光発展のために、独創性と積極性を持って企画を立案してほしい。知事からはそのような訓辞があった。

 

 

 しかし、おもてなし課に配属された職員は、よくも悪くも公務員であった。熱意がなかったわけではないが、観光における独創性と積極性とは何か、彼らにはわからなかった。

 

 

 おもてなし課の発足から一か月、入庁三年目の掛水史貴はネットからヒントを得た『観光特使』制度の導入を提案する。

 

 

 『観光特使』とは、県出身の有名人を観光特使に任命して県の魅力をPRしてもらう、というものである。

 

 

 しかし、すでに他の自治体で定番化している制度を取り入れ、応用しているだけのことに独創性がないことなど、彼らは気がつかなかった。

 

 

 そして、おもてなし課による観光特使制度は始動した。打診した著名人たちは快く特使を引き受けてくれた。

 

 

 しかし、県出身の作家にメールで打診した時、返された返信は企画の趣旨が理解しづらいから電話での説明を求める内容であった。

 

 

 彼は吉門喬介という作家である。数年前にデビューしてそれなりに名前が売れている作家だ。掛水が電話を掛けると、出てきたのは眠たげに嗄れた男の声だった。

 

 

 彼は観光特使による実効について聞いてきた。著名人が名刺を一枚一枚、手で配っていくのでは効率的ではないのではないか、と。

 

 

 彼の質問に掛水はひとつとして答えることができず、課内で盛り上がっていた意気は一気に下がることとなった。

 

 

 吉門への若干の反感が漂う中、再び彼から電話が鳴る。今度は、吉門からおもてなし課に対する提案だった。

 

 

 掛水が吉門への特使依頼を受け持ったのは、単なる偶然である。しかし、その偶然が運命を変えることになることを、今の掛水はまだ知らない。

 

 

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