怪異譚を話しに来る奇妙な家族『逢魔宿り』三津田信三


ウウン……怖い話、ですか。怪談の季節には少しばかり遅くないですかね。ハァ……まあ、ないわけではないですよ、ハイ。ええ、話すのは構いません。ただ、約束通り、私の名前は伏せていただきますよう、お願いしますよ、ぜひに、ぜひに……。

 

あの日は、雨の日でしたね。今日みたいなゲリラ豪雨なんかじゃなくて、真っ当な雨。しとしとと降るような、静かな雨でした。私は二年ぶりに友人と会ったんです。突然、彼から連絡が来たんですよね。

 

彼は、私の記憶に残っていた彼とは、大きく変わっていました。頬はやつれて、髪は伸び放題。身ぎれいな奴だったはずなんですけれど。

 

久しぶりに会った友人ですから、今の状況を聞くのは、まあ、自然なことですよね。彼と最後に会ったのはコロナウイルスの流行前です。もう、遠い昔みたいな気分ですよ。

 

本を読んでいる、と、彼は答えました。ええ、私の質問とは、ちょっと答えがずれていますよね。でも、もともとそんな奴だったので、私は、ああ、変わっていないな、と思うくらいでした。彼は本が好きだったから。

 

今はこれを読んでいるんだ、と。彼はカバンから本を取り出して、私に手渡してくれたんです。三津田信三という人が書いた、『逢魔宿り』という表題でした。

 

聞いてみたところ、内容は、ホラー作家である「僕」が、小説のネタ集めとして知り合いから奇妙な話を聞く、という連作の短編集、らしいです。

 

いくつかの短編が収録されているんですが、彼からの話を聞くだけでも結構気味が悪くて怖かったですよ。特に、『某施設の夜警』という短編が不気味でお気に入りでした。

 

私が興味を惹かれたのがわかったんでしょうね。おもしろそうだろ。貸してあげるよ。彼はそう言ったんです。え、でも、読んでる途中なんじゃ……。私が聞くと、彼はこう答えました。いや、いいよ。何度も読んでいるから。

 

彼は本を私の目の前に置いて、じゃあ、僕はこの辺で、読み終わったら連絡してくれと言って、帰っていきました。今にして思えば、彼、傘を持っていなかったですね。雨の中を、平然と歩いていきましたよ。

 

と、まあ、話はここで終わりです。ははは、大した話ではないでしょう。……アア、怖い要素が何もないじゃないか、って。やっぱり必要ですか、そういうの。

 

そうですね……たとえば、その友人とはそれ以来連絡がつながっていないとか。もしくは、その友人が一年前に新型コロナウイルスに罹患して亡くなっていたとか。そんな感じですか。

 

それは本当か、ですって。アハハ、どっちでしょうね……。ただ、友人とそれ以来連絡を取っていないのは確かですよ。だから、ホラ、話に出てきた『逢魔宿り』もここに。

 

エェ、何度か読みました。おもしろかったですよ。それとも、お貸ししましょうか。イヤイヤ、又貸しなんてお気になさらずに。彼は何度も読んだって言ってたし、私も何度も読んだんですよね。

 

ああ、ちょっと時間が……。すみませんね、これで失礼させてもらいます。雨も少し、小降りになってきましたしね。まあまあ、遠慮なさらず、読み終わった時に連絡をいただければ。

 

ウン? 私の死因、ですか。事故ですよ、三年前に。何のおもしろみもない……。エェ、ひどく雨が降っている日でした。道端に咲いている紫陽花、きれいだったなァ……。

 

 

語られる奇妙な話

 

今年の二月初旬、「小説 野生時代」三月号が出た直後に、KADOKAWAの担当編集者Sからメールが届いた。松尾という大阪の装幀家が、僕に連絡を取りたがっている。もう三十年以上も前になるが、僕と一緒に仕事をしていた。ということらしい。

 

なんか怪しいので、断ってもらうか。一時はそう思った。しかし、本当に昔お世話になった人だったら……と少しでも考えると、そう邪険にもできない。

 

そこで僕が仕事を依頼した書籍の名称を挙げてほしいと、先方に頼んでもらうことにした。すると松尾は、複数の署名をSへメールしてきた。その転送されたタイトルを目にした瞬間、朧ながらも僕の脳裏に蘇って驚いた。

 

当時の僕は、京都のD出版社の新米編集者だった。きっとベテランのデザイナーである彼から、色々と教わったに違いない。

 

メールには僕がほぼ三ヶ月に一度の頻度で発表している連作怪奇短編を読んだことが記され、これらの作品に関して一度できれば会って話したい旨が書かれていた。

 

幸い二月下旬に故郷の奈良で、佐保小学校の同窓会が行われる予定があった。その翌日に大阪へ行けば、松尾と会うことができる。そういう提案をすると、松尾も都合がつくという。そこでデザイン事務所への行き方を教えてもらい、訪ねる時間を決めた。

 

発表した連作怪奇短編は四編ある。「お籠りの家」「予告画」「某施設の夜警」「よびにくるもの」。念のために断っておくと、これらの四作には何の繋がりもない。どの短編にも共通して言えるのは、僕が他人から聞いた体験談を基に小説化している、という体裁だけである。

 

そのため一作だけを取り上げて、松尾が内容に関する話をするつもりなら、まだわからなくもない。だが、そうではないらしい。あくまでも四作すべてを、彼は対象にしていた。

 

いったいどんな話があるのか。期待と不安が相半ばした。前者については、何らかの怪異に纏わる話が聞けるのではないか……という望みである。そして後者は、その怪異譚が思わぬ障りを齎すのではないか……という懼れだった。

 

 

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