「ねえ、差別ってどうしてなくならないの?」
息子が純粋な瞳で私を見つめている。しかし、その幼い口から放たれた質問はなんとも答えにくいもので、私は思わず言葉に詰まった。
「どうしたの、急に」
「今日、学校で差別はいけませんって先生が言っていたの。でも、じゃあどうして今も差別があるの?」
私は学校の先生に内心で理不尽に文句を言った。教えてくれるんなら、いっそのこと、それらしい理由もつけて教えてくれたらいいのに。
しかし、息子は純粋な好奇心から質問している。その根底にあるのは「いけないことならやめればいいのに、どうしてなくならないのか」という疑問だろう。
できるならば答えてあげたいけれど、下手なことを答えると教育上よろしくないのではないかと思うと、なかなか答えが出ない。
純粋さからくる無邪気な正義感は汚く賢くなってしまった私からすると、そのきれいな眩しさは微笑ましい。
大人になっていくにつれて次第に学んでいくものだけれど、せめて幼い頃はきれいのままでいさせてあげたかった。
しかし、子どもの疑問はしばしば大人には答えづらいものがある。それはすべて大人が都合よくエゴで歪めているような。
苦し紛れに視線をそらした私は、不意に目に入ったものを手に取って息子に見せた。息子はきょとんとした表情をしている。そりゃあ、そうだろうね。
「それ、なに?」
私が手に取ったのは一冊の本だった。
「これは『転生王子と軍国の至宝』っていう物語なの。ちょっとこの話をしながら説明するね」
私はページを開く。さて、どうしたものかな。聞かせるように読みながら、私はどう教えたものかなと考えていた。
違いって何?
「この『転生王子と軍国の至宝』では、獣人族っていう種族が差別されてるね」
うん。息子は頷く。
「どうしてその人は悪いことなんて何もしていないのに差別されてるの?」
「それはね、彼が自分たちと姿が違うからだよ」
ほら、私の背中に翼はある? ないでしょ。じゃあ、あなたは? ないよね。彼は私たちと違うところがある。だから、差別されてるの。
「でもね、本当に、それは正しいのかな」
たとえば、私とあなたは違うでしょ。親子だから似ているかもしれないけれど、髪の長さも違うし、体の大きさも違う。
「違うって当たり前のことなの。むしろ、まったく同じ顔の子がいたら怖いでしょ」
だから、違うっていうのは悪いことじゃないの。私がそう言うと、息子は首を傾げた。
「じゃあ、やっぱり差別って良くないよね。でも、どうしてやめないの」
「不安なんだよ、みんな。だから、差別するの」
たとえば、前に遊びに来ていた子、勉強が良くできるんだってね。あなたはあの子に対してどう思う?
息子は少し考えてから、すごいと思うと答えた。
「うん、すごいよね。みんながそう思えたら差別はなくなるのかもね。でも、中には彼みたいに勉強が良くできるようになりたいって思う子もいる」
そういった子が頑張れば勉強が良くできるようになるけど、頑張るって大変だよね。だから、ほとんどの人は頑張らないで嫉妬するの。
「嫉妬?」
「そう。だって、そっちの方が頑張るよりもずっと簡単だから」
それで、嫉妬した相手のことを、あの人は自分とは違うって思うの。そうして、差別が始まるんだよ。
肌の色、言葉、人種。今でも差別はいろんなところにあって、それでもなくならない。
「じゃあ、どうやって差別ってなくなるの?」
私は少し悲しげに目を伏せる息子を愛おしげに撫でた。
「みんながあなたみたいに差別をなくしたいって思えば、いずれはなくなるかもね」
それはきっと無理だろう。私はついそう考えてしまうけれど、口には出さない。
子どもみたいな無邪気な正義感をみんながいつまでも持っていれば、その時に初めて差別はなくなるだろう。
ひとりひとりが優しくなればいいのだ。けれど、そんな簡単なことが、きっと私たちにはいつまでもできない。
平和になった王国に新たな争乱の兆し
グレイシス王国の城下町は豊穣祭を二週間後に控え、賑わっている。祭りの準備を進めている人たちの笑顔は、しかし祭りへの楽しみだけではない。
グレイシス王国は周辺諸国から『憂いの大国』と呼ばれていた。国王は傀儡となり、貴族たちが政治を専横し、国民たちは圧政に耐えるのみだった。
しかし、『憂いの大国』と呼ばれていたのはすでに過去である。
第七王子によって国の闇が晴らされたのだ。この国はいい方向に変わる、そう誰もが思い笑顔が自然と零れた。
天高く澄みきった秋の青空が窓の外に広がり、その窓を現実逃避するかのように眺める幼子がいた。グレイシス王国第七王子ハーシェリク・グレイシス。七歳の王子である。
ハーシェリクは前世、早川涼子という名のオタクな女で、日本という国のとある上場企業の本社勤めの事務員だった。
彼は国の改革直後の溜まりに溜まった事務仕事を前世のスキルを活かして処理していた。
今日は朝から書類とにらめっこをしていた。予定だった書類は精査済みの目印にハーシェリクの署名を残してある。今日の分は終わっている。
ハーシェリクは銀古美の懐中時計を懐から取り出すと時間を確認する。時刻は午後三時よりも前だった。ハーシェリクはにやりと笑うと、ソファから飛び降りた。
それからしばらくして入室したのはハーシェリクの筆頭執事であるシュヴァルツ・ツヴァイクである。
その手には幼き主のために用意した茶器とお茶請けが持たれていたが、肝心の主の姿は部屋に見る影もなかった。
豊穣祭を控え準備に賑わう城下町の中、フード付きポンチョを着て人混みを縫うように進む小柄な影があった。
その人物こそ城を抜け出し城下町に姿を現したハーシェリクだった。
途中でお菓子屋の奥方からもらったクッキーを頬張りながら、ハーシェリクは見知った果物屋に向かう。
果物屋の夫婦とはハーシェリクがお忍びで城下町を訪れていた頃からの仲である。そこで奥さんのルイから旦那から相談があると告げられた。
心当たりを探すハーシェリクの思考を中断するかのように彼女の旦那が現れる。彼は木箱を二つ、軽々と運んでいる大男が近づいてくるところだった。
ハーシェリクが彼に駆け寄ると、彼の後ろに見慣れない旅人のような出で立ちの人物たちがいたため足を止める。
ひとりは長身の瑠璃色の瞳を持つ男性だった。薄汚れた外套を羽織っており、背中にはなにか背負っているのか不自然なふくらみがある。
もうひとりは女性だった。フード付きの薄汚れた外套を頭から深くかぶっているため、顔はわからないが、フードから零れたひと房の髪の紅い色がハーシェリクの目を引いた。
旦那さんの相談とは彼らについてことだろう。ハーシェリクは察してついてくるように言うと、三人を連れて歩き出す。
ハーシェリクは三人を引き連れて花街にやってきた。そして辿り着いたのは最上級の店『宵闇の蝶』である。
店の一番奥にある部屋は誰にも聞かれたくない話をするにはもってこいの場所だった。ソファに腰かけて三人にも座るよう促すが、自分以外は座ろうとしなかった。
「彼らを助けてほしい」
旦那はハーシェリクにそう言った。その意味を問いかける。
旦那が視線を送ると、青年が小さくため息を漏らして外套を脱いだ。現れたのは鍛えられた体躯、そして背中には人間には存在しない、髪と同色の一対の翼だった。
ハーシェリクはそれを見て一目で事情を理解し、心の中で頭を抱えた。
グレイシス王国は獣人族の入国を一切禁じている国である。王国の法に照らせば、果物屋の主人も、彼ら二人も、そして自分も有罪になるのだ。
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