1969年。かつて、活力溢れるこの年は、果たしてどんな出来事が起こったのだろうか。
チェコスロバキアが昨年のプラハの春を受けて自治権を要求し、連邦制が導入されて、チェコ社会主義共和国とスロバキア社会主義共和国が誕生した。
後に大人気番組として成長していく『クイズタイムショック』が放送開始した。
アメリカ合衆国初の実用高速列車であるメトロライナーが営業運転し始めた。
東大安田講堂攻防戦によって東京大学の入試が中止された。
1969年は国家情勢が不安定であったことから学生運動が活発であった。東大安田講堂攻防戦もまた、そうした情勢のもとで起こった事件のひとつである。
当時の学校は今よりももっと厳しくて、今は禁止されている体罰なんてのも指導として普通に行われていた。
旧態然とした形態を保持する学校側と、その体制に反発する学生との争いが激化して、とうとう拳を伴うまでに発展したのだ。
「わしらの年であそこらの学生運動を知らぬものはおるまいよ。あの頃は若かったものだ」
すでに年老いた彼は、どこか懐かしむように穏やかな瞳でそんなことを静かに呟いた。
その頃の話は、私からしてみれば到底そんな子どもの頃にカブトムシを取ったかのような瞳で語られるような穏やかな話だとはとても思えなかった。
しかし、彼にとってはどうやら違うようだ。あの頃の思い出は、今の彼にとっては輝かしい思い出の宝物のひとつなのだろう。
私がどうしてその1969年に興味を抱いたか。それは村上龍先生の『69 sixty nine』を読んだからである。
私の印象では1969年は熱狂の時代だった。しかし、同時に社会そのものが崩れかけの土台の上に立っているような危うさを感じた。
まるで火薬庫である。それが炸裂したひとつが東京大学の入試中止という結果を招いたのだろうと思う。
今の時代でも、社会への疑問や不満は誰だって抱えている。しかし、将来への不安や親のことを考えると、それを表立っていう人は少ない。
その安定にすらも疑心を抱いたのが学生運動の時代だったのだろう。あの頃は先生や親の言うことを聞くよりも、学校に逆らうことが英雄とされた。
彼の話を聞いてると、まるで私もその場にいて、フェスティバルのような熱狂に巻かれているように思えるのだから不思議なものである。
熱狂の時代
多くの人は昔はよかったと自分の過去を懐かしみ、自分たちの青春を愛らしく思うものである。
話に聞く1969年は誰しもが全力で生きている熱狂的な時代だった。教師は教育に熱を注ぎ、学生は政治や文化に対して真剣に向き合う。
しかし、それ以降の世代は、まさしく牙が抜けてしまった獣そのもので、政治どころか何もかもの興味を失ってしまった。
かつての学生をよく知る教師陣からすれば、なんと拍子抜けであろう。逆に学生側からすれば、かつての先輩たちは随分と無謀だったなと思うばかりである。
現代の若者は大人の指示を待つばかりで、学生運動の頃のように自分から行動を起こすような度胸も信念もない。
何よりも体裁を気にして、社会を踏み外すようなこともせず、他人からどう見えるかということを重んじる。
しかし、集団の中で同調して生きるためには、自分の個性は何よりも邪魔なものになる。その結果として、私たちは自分を心の奥底に押し込めた。
チャップリンの『モダン・タイムス』をご存知だろうか。歯車の間を修理しながらシステムの一部と化したチャップリンの姿を。
現代の若者はまさにそのものだ。表情のない顔つきで、楽しみもなく、ただ黙々と金槌を振るっている。
『69』のケンやアダマを見たまえ。実に人生を楽しんでいるではないか。停学されようが、怒られようが、彼らはただケラケラ笑って、やりたいことをやるのだ。
彼らを見ていると男子高校生のバカさ加減がよくわかる。楽しいことと、女の子のことしか考えていない。
対して、現代の若者はどうだ。賢い頭でいろいろなことを考えて、考えて、考えた挙句に、考えすぎてパンクしてしまう。
本当は、もっと単純でもいいのではないだろうか。
『69』は村上龍先生の自伝である。先生は、かつて学生運動に参加して停学処分を受けている。
しかし、それでも先生は優れた作家のひとりとして、社会に勇名を轟かせている。
社会に歯向かったところで命がなくなるわけではないし、二度と社会で真っ当な生活が送れないわけではない。
だから、もっと自分を大切にしてもいいのではないだろうかと私は思う。
慌ただしく過ぎていく熱狂的な青春
1969年、この年、東京大学は入試を中止した。1969年はそんな年で、僕は高校の二年から三年に進級した。
九州の西の端の、基地の町の、進学普通高校である。理系進学クラスだったので、女子は七人しかいなかった。
その女子のひとりは永田洋子という美少女で、幼稚園の頃、彼女と一緒にオルガンを習っていた幸福な男がいて、そいつは名前を山田正といった。
その男は、国立大学の医学部を志望する秀才であり、また他校にも名前を轟かせたハンサムでもあった。
当時、僕らの間では、「アダマ」と呼ばれていた。フランスの歌手、アダモに似ていたからだ。
僕の名前は矢崎剣介、みんなからはケンと呼ばれるのが好きで、親しくなった奴にはなるだけケンと呼んでもらうようにしていた。
1969年の、春だった。その日、三年になって最初の一斉テストが終わった。僕の、テストの出来は最悪だった。
この頃は、受験勉強をする奴は資本家の手先だ、という便利な風潮があったのも事実である。
何かが変わるかもしれない、という安易な期待があった。その変化に対応するためには、大学などを目指してはだめだというムードがあった。
僕の後ろの席に、アダマが座っていた。テストが全部終わり、ホームルームと清掃をさぼろうと思っていた僕は、アダマを道連れにしようとしていた。
僕はアダマにランボーの詩を見せた。アダマは声を出して読んでしまった。今にして思えばその瞬間にアダマの運命は大きく変わってしまったのである。
三十分後に僕とアダマは学校から遠く離れた市立動植物園のテナガザルの檻の前にいた。
僕は校内で有名だった。新聞部に籍を置いて先生の検閲なしに新聞を出して発禁回収されたり、三流系全学連を劇にして三年生さようなら会をやろうとして先生に潰されたりしたから、である。
僕がやろうとしていたのは、フェスティバルだった。演劇や映画やロックバンド、様々な催し物、いろいろな人が集まってくるだろう。
当時、北高内の反体制分子は三流に分かれていた。軟派、ロック派、政治派の三つである。僕はいずれにも属してはいなかったが、連中とは平和的に付き合っていた。
新聞部には岩瀬という小間物屋の息子がいて、いかにも小間物屋の息子という男だったが、仲間だった。
岩瀬といつもフェスティバルについて夢を語り合った。僕も岩瀬もロックフェスやハプニング主体のフェスティバルに憧れていた。
そんなある日、岩瀬がフェスティバルの実現のためにはアダマを仲間にした方がいいと言ったのだ。
アダマは学校をさぼる快感を味わっている。詩集をもう一度見せてくれ、と言った。
今までの三十二年間の僕の人生の中で、三番目に面白かった1969年はそのようにして始まった。僕たちは、十七歳だった。
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