ああ、わからない、わからない、わからない。散々頭を悩ませた挙句に、私は数日も徹夜して書いた文章を削除した。
小説家として生きることを心に決めて数年、極貧に堪えながらも文章を書くのも限界に達しようとしていた。
書いても書いても身にならぬ。慢性的な空腹が私から発想と思考を奪い取っていた。
金の枯渇は精神的な余裕をも奪い去っていく。焦燥がいっそう私から冷静さを失わせていた。
就職していた時代にかき集めていた貯金も、今や底を尽きようとしている。今月分の家賃の徴収すら乗り切れるかわからない。
もはや、これまでか。私は伸び放題の髪の毛を掻き毟り、嘆息した。目の前にある白紙のページが私を呑み込む怪物のようにも見えた。
学生の頃から小説家になりたかった。自分の文章が万人から好かれるような類のものではないことなど百も承知だった。
文章を書きたいという想いから仕事をやめて数年、書いてみるものの読んでくれる人すら少なく、毒にも薬にもならない文章ばかりが生み出されていく。
もう、見切りをつけなければならないのか。それは苦渋の決断だった。アルバイト、就職、それらが頭の中を駆け巡っている。
必要なのは選択だった。夢を追い続けるか、それとも、夢を断念してやりたくもない仕事に従事する人生を送るか。
小説の道を目指すと決めた時は何を捨て置いても道を成すつもりだった。そのためには何を犠牲にしても構わないほどの覚悟だった。
しかし、いざ赤貧を前にすると私の覚悟が如何に甘いものであったかを思い知らされる。住むことすら難しくなるというのは蛇に巻かれているような圧迫感があった。
欝々と雲がかっていく思考を晴らすため、私はコートを羽織って外に出る。突き抜けるような青空すらも憎らしく思えた。
無意識に、と言うべきか、私は日常の一環として特に思うこともなく本屋へと足を運んだ。書店員の声が寝不足の頭に響いてくる。
売れ筋のコーナーに並ぶ本を恨めし気に睨む。否が応にも嫉妬の錠が胸中にふつふつと湧き上がってくる。
思えば、私は文章術というのは独力で身につけたものであり、どこまでも我流の書き方しか知らない。
もしや、売れている本と私の文章の違いはそこにあるのでは。私が今までやってきたことは根本から間違えているのではないか。
私が悩みに悩みつつも本棚を睨みつけていると、とある一冊の本が視界に入った。私はその本を抜き取る。
それは『創作の極意と掟』という本である。作者は誰かと見てみて、驚いた。なんと筒井康隆先生である。
言わずと知れたSF作家の重鎮。『時をかける少女』などの名作もさることながら、時代を先駆けた実験的小説を数々出している先生だ。
もしや、ここに売れる文章の秘密が記されているのではないだろうか。私は微かな期待を込めて、その本を購入した。
値段は五百円を少し超えるほどである。いいや、構うまい。技術や知識が得られるならば、そんな額などはした金である。
縛られない芸術
筒井康隆先生は『日本沈没』などの小松左京先生、ショートショートの神様とまで呼ばれた星新一先生と並んで『SF御三家』と称されているSF作家である。
多くの作品を生み出してきた先生の著作でももっとも知られているのは、青春ジュブナイル小説『時をかける少女』であろう。
数々のリメイクが作られ、映画化やドラマ化もされた作品である。まさに時代を超えた名作と言えるだろう。
しかし、『時をかける少女』のような青春小説は先生の作品の中ではむしろ珍しい。シュールな作品やメタフィクションを駆使した手法が先生の真髄である。
たとえば、『虚航船団』。私はまだ読んだことがなく、聞き覚えの内容しか知らない。常々読んでみたいと切望している作品である。
文房具を擬人化した乗組員たちが乗る宇宙船の内実。イタチ族の惑星の長く続いてきた歴史。そして彼らの戦いの顛末と、なぜかそこから綴られる作者の独白。
あまりにも突飛な内容と常識破りな展開はまさに先生にしか書けないだろう。私は文房具船のことが記されている一章しか読んだことがないのだが。
そして、『パプリカ』。これは私が個人的に好きな作品である。サイコセラピー技術の発展から、夢と現実が混在していく作品だ。
今敏監督によってアニメ映画化されており、私はこちらから知った。原作とはいささか異なる展開であったが、どちらも素晴らしい傑作である。
また、先生は数々の実験を小説の中で実践している。その実験の末に生まれる前衛的な作品は、かつて読んだことがない斬新なものばかりだ。
『虚人たち』は小説の一ページを時間の区切りとして一切を省略せずにありのままを書いていった作品である。
たとえば、食事や排泄。そういった生活的なことまで事細かに書き綴っているのだ。本来ならば考えられない発想である。
しかし、その常識に囚われない先生だからこそ、今までにない名作を多く生み出してきたのであろう。
その先生の文章指南書ともなれば、私が期待してしまうのも無理はあるまい。そして、読んでみると、なるほど、これは教科書ではない。
それはいわば文章哲学のようなものである。そこにはたしかに先生の積み重ねてきた深い見識が見えるのだ。
売れるための技術を求めた私にとっては少し求めているものとは違っていた。しかし、私は後悔など感じてはいなかった。
むしろ、今までにないほど文章を書く気概が上がっているのである。触発されて書きたい内容が次々と頭の中に浮かんでくる。
私にとってのこの本は、到底お金で計れる価値ではないだろう。なにせ、これはネットにころがる有象無象の情報などではない、ひとりの作家の長きに及ぶ作家人生の集大成なのだから。
筒井康隆先生が自分の創作論を語るエッセイ
この文章は謂わば筆者の、作家としての遺言である。その対象とするのはプロの作家になろうとしている人、そしてプロの作家すべてだ。
これはいわゆる教科書でもなければ何なに読本の類いでもない。単なるエッセイだ。
新人や若い作家には、ご本人が気づいておられないらしいことに筆者が気づき、教えてあげたいがその機会がないことが多い。
ぜひともこの文章から何か役に立つことを得ていただくか、やるべきでないことを知っていただきたいものだ。
小説とは何をどのように書いてもよい文章芸術の唯一のジャンルである。だから作法など不要、というのが筆者の持論だった。
だからこれは、本来の意味での小説作法ではないことを知っておいていただきたい。内容も今までにあまり書かれることのなかった事柄を取り上げている。
筆者だって面白い小説は切実に読みたい。この小文によってどなたかの筆でより面白い短編や長編が生まれたならば、それは望外の喜びである。
筆者が恐れるのは、そんなことを言いながらそれではお前のこの作品はどうなのだ、言っていることと違うではないかと指摘されることである。
これだけはひとつ、ご勘弁願いたい。この文章は、そんな小説を書いてしまった自分への反省も籠めて書いているのだから。
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