わたしは本に恋をしている『言葉は静かに踊る』柳美里


『自殺の国』を読んだ時は、衝撃だった。集団での決行を仄めかす掲示板を眺める女子高生。重いテーマにもかかわらず、読後感は美しかった。

 

わたしの中で、柳美里先生のイメージはといえば、どうしてだか「電車」がある。そして次に「音」がくる。先生の作品で私が読んだのが、『自殺の国』と『JR上野駅公園口』だったからかもしれない。

 

どちらの作品でも、私の印象に残ったのは、雑踏の中で聞こえる無数の音だった。学生同士の会話。サラリーマンの電話。駅のアナウンス。

 

私たちの世界は、こんなにも騒がしく、音に溢れているのか、と、改めて驚かされた。断片的に綴られる何の意味もないような音のパズルのピースは、けれど、どこか不安にさせる形が紛れ込んでいる。

 

私はそのふたつの作品が好きなのだけれど、柳先生の作品でいちばんよく知られているのは、先生の処女作である『石に泳ぐ魚』だろう。私も、タイトルだけは知っていた。

 

どうして有名なのか、というと、処女作だから、というわけでもなくて、哀しいかな、その作品はいわゆる「問題作」として取り上げられてしまったからである。

 

実在の女性をモデルにしたことでプライバシーの侵害に当たるとして、出版が差し止められてしまったのだ。とはいえ、表現の自由を侵害する一例でもあるから、「石に泳ぐ魚」問題は今でも社会的な議論の的となっている。

 

柳先生は、いつだって低い立場の、苦しむ人間たちを描いているように思える。『自殺の国』の女子高生は仲間たちからいじめに遭い、『JR上野駅公園口』の男は家族と家を失ったホームレス、『石に泳ぐ魚』は顔に障害を持つ女性。

 

読んでいないから『石に泳ぐ魚』はわからないけれど、『自殺の国』も『JR上野駅公園口』も、幸せな結末に辿り着いた、とは言いがたい。

 

相変わらず女子高生はいじめられているし、ホームレスが家族と家を取り戻すわけでもなかった。事態が良い方向に向かう、という御都合主義なんて、そこには存在しなかった。

 

にもかかわらず、読後感はとてもすっきりしている。というのも、彼らの現実こそ変わっていなくても、作中でいろいろな経験を経て、彼らの心は前向きに成長できているのが感じられるからだった。

 

そこには、柳先生の「ありのままを受け入れる」という姿勢があるように思える。変わらなくてもいい。ありのままのあなたでいいんだ、と。

 

『言葉は静かに踊る』は、柳先生が読んできた本の感想と解説を教えてくれる読書エッセイである。わたしは本に恋をしている」という言葉は、ありふれたものながらも、不思議と私の心を突いた。

 

柳先生は、いったいどんな人生を歩んできたのだろう。その答えが今、私の手中にある。より正確に言うのなら、私の手中にあるファイルにある。

 

読書は人間をつくるという。本を読むことで人格は育ち、単純な頭のよさではない、生涯役立つような自分になることができるかもしれない。

 

人を知るならば、本棚を見るがよい。そこにある本の並び方を見れば、その人がどんな人か、すぐにわかる。かといって柳先生の本棚を見るわけにもいかない。

 

だが、この『言葉は静かに踊る』は、言うあれば本棚に等しい。薄くて、軽くて、持ち運べる本棚だ。そこには、柳先生の人生が、きっといっぱい詰まっているに違いない。

 

私も、これらの本を読めば、先生のようになれるだろうか。いや、無理だろう。まずは、この世界の音を静かに聞くことを、目指していけばいいのかもしれないね。

 

 

離れれば離れるほどに

 

わたしには息子がいる。母ひとり子ひとりの生活だ。育てる。書く。このふたつで一日がはじまり、一日が終わる。子どもを生んで、できなくなったことがある。いちばん淋しいのは読書がままならなくなったことだ。

 

読みたくて読めない本が積もっていく。出産するまでは眠る前の時間を読書にあてていた。おもしろい本に出逢うと、眠らずに夜を徹して読んだ。風呂にもトイレにも本を持ち込んでいたし、電車の中でもかならず文庫本を開いていた。

 

息子は暗闇の中で腕枕をし「揺籃の歌」を歌いながら背中を撫でてやらないと眠ってくれない。ゆっくりと体を離して寝室から脱出するのだが、わたしを捜して布団から這い出てしまう。最近ではあきらめていっしょに眠ることにしている。

 

息子が一番好きな遊びは棚から本を抜き取ることだ。ひと月前までは抜き取って落とすだけで満足していたのだが、いまはカバーをはずして投げるので、カバーはカバーで重ねてある。

 

そのうち頁を破くことに喜びを見出すのではないか、破かれたらさすがのわたしも平静ではいられまい、と息子と本を見比べてため息をついている。

 

息子がひとりで眠れるようになるまであと何年かかるだろう。小学校に上がる頃までかかるとしたら、あと五年。

 

わたしは小学校の図書室に足を踏み入れるたびに、死ぬまでのあいだにいったい何冊の本を読めるだろうか、と憧れと哀しみで息が詰まり泣きそうになった。そのときの気持ちに似ている。

 

離れれば離れるほど募る思いもある。逢えないひとに恋心を抱き続けるように、わたしは本に恋をしている。

 

 

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