私の身を羨む者もおりましょう。貧困に喘ぎながら決死の思いで日々を生き抜いている臣民たちからすれば、私の身などさぞや恨めしかろうと思うのです。
しかし、天上は決していいところではありません。そこは豪奢な装飾の施された牢も等しいのでございます。
俯く私の腰まで届く長い髪を城に仕えている侍女が整えていきます。鏡の中に佇む彼女を、私はされるがままに見つめておりました。
部屋から出ることを許されていない私にできることは多くありません。侍女が立ち去った後は寝台に腰かけて物思いに耽っておりました。
「邪魔するぞ」
「……よくぞいらっしゃいました。事前にお伝えいただければお迎えの準備を致しましたのに、いけずな方ですわ」
入ってきたのはこの国を治める皇帝陛下その人でありました。嫌悪の情が混ざらぬように私が言うと、彼は口元を吊り上げて笑ったのです。
「ふん、心に思ってもいないことをよくぬけぬけと言うものだ。相変わらずの女狐であるな」
私が女狐ならば、貴方様はいったい何なのでありましょうね。心中で呟きながら首を垂れる私の顎に手を当てて、陛下は無理やり視線を自分の方へと向けました。
麗しい魅力的な男の顔が視界に飛び込んできます。多くの女性から憧れられる極上の容姿。彼の内面が非道であることは一部の者しか知らないでしょう。
私のかつての愛する人は謀略によって命を奪われました。遺された私はその謀略を企てたその人に囚われたのです。
「ほう、面白そうな本を持っているな」
陛下は私の机の上に置かれていた一冊の書を手に取りました。
それは幼い頃、母が読み聞かせをしてくれたおとぎ話でございます。『竜王陛下の逆鱗サマ』という題名でありました。
十三の国をそれぞれの獣族が治める世界。最弱の種族である鼠族の姫、瑞英は竜王の妃候補として竜族領に出向くことになります。
しかし、彼女は最初から妃になれるとは思っておらず、竜族領にある書庫が目的なのでありました。
好奇心旺盛な瑞英は本が大好きだったのです。竜宮に辿り着いてからも、姫たちとの交流を避けて書庫へと忍び込む日々を送っておりました。
しかし、ある時、彼女は竜族の男に見つかってしまいます。その男はぞっとするほどの美しさを湛えておりました。
まさにその人こそ竜族の王だったのです。瑞英は竜族の王に見初められ、また、瑞英も彼を支えようと成長していく。
幼き頃の私は、この物語の甘々なやり取りに恍惚としました。頬を赤らめ、私も将来はこんな素敵な殿方と、などと夢想していたものでございます。
それがよもや、こんな男の妻になろうとは思いにもよりませんでしたが。容姿だけは竜王陛下のように極上ですが、彼の瞳には強欲しかないのです。
ページをめくり、内容を検めた陛下は本を閉じると、私の間近へと顔を寄せました。その表情には嫌な笑みが浮かべられております。
「こんなふうに甘くされるのが好みであるならば、そのようにしてやろうか」
ご冗談を。お戯れもいいかげんにしてくださいませ。私は陛下から身を引きました。陛下はつまらなさそうに眉をひそめます。
「……まあ、よい。いずれ、お前が堕ちる時を楽しみにしておくとしよう」
陛下が立ち去り、静けさが再度訪れた部屋で私はほうと息を吐き出しました。激しく叫ぶ胸の動悸を必死に手で押さえつけながら。
竜王と姫
私は読んでいた本を閉じました。私は寝台に倒れるように横たわり、口からはほうとため息が零れます。
私は甘いのが好きかと問われればまさにその通りで、幼い頃から私の好みは変わっておりません。
私のかつて愛した人はそういった甘い言葉は得意ではありませんでした。しかし、彼の不器用な愛はたしかに私を癒してくれていたのです。
そんな彼は謀略によって陥れられ、この世を去りました。彼に謀略を仕掛けた本人のともに、私は側妃として嫁いでいます。
「その憂いに満ちた顔もまた美しいものだ。一生眺めていたいくらいだ」
陛下はあの人とは違うのです。砂糖を吐きそうなほど甘い言葉も平気な顔して口にします。
彼の言葉に優しさはありません。彼はただ、私を力づくで支配しようとしているのです。
天上人である彼に逆らうことは決して許されることはありません。ですが、これが愛する人を奪われた私が彼に対して向けられる唯一の贖罪でありました。
「お前がいくら俺を嫌おうとも構わない。どうせお前は俺から逃げられないのだからな」
だから存分に俺を嫌え。お前の心の中にいる忌まわしい男への一途な愛すらも、この俺が愛してやろう。陛下は私の耳元でささやきます。
彼の胸に抱かれて、私は瞳を閉じます。私の心を激しく叩く鼓動から目をそらすように。
鼠族の姫と竜族の王の恋愛ファンタジー
その国の名を十三支国という。十三の獣族によって十三の地域が統治されるその国では、長らく竜族がその頂点に君臨していた。
竜族の住む竜宮に十三支族中の獣姫たちが集まっていた。彼女たちの目的はただ一つ。竜王の嫁となることである。
鼠族の姫である瑞英もまた、そのひとりであった。しかし、彼女の目的は竜王に見初められることではない。
彼女の目的は竜族の所有する獣族最大規模の書庫であった。
鼠族は元来知識欲が強い種族であったが、その中でも瑞英は突出していた。姫として行動が制限される鬱屈を、彼女は本を読んで満たしてきた。
しかし、鼠族の書庫の本をすべて読み終え、彼女は干からびてしまわんばかりであった。その欲を満たすため、竜族に赴くことにしたのである。
侍女の藍藍を言葉で煙に巻いて、念願の書庫を訪れる日々も四日目になろうとしていた。
しかし、書を探していたところに、扉の開く音がした。瑞英は慌てて見つけておいた隠れ場所に身をひそめた。
部屋の燭台に明かりが灯る。ゆっくりと足音が近づいてきた。それは瑞英の目の前で止まった。
影は瑞英の方へと手を伸ばす。為すがままに抱き上げられた彼女は竜族の男と目が合った。瑞英の目から見ても美しい見目をしていた。
「ようやく見つけたぞ」
瑞英は顎を持ち上げられ、そっと口づけをされていた。
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