古書に込められた想いを読み解いていく『ビブリア古書堂の事件手帖』三上延


 私には高校生の頃から夢がある。無数の本に潰されて最期を迎えたいという夢である。

 

 

 もちろん、誰にも理解されることはない。誰も私が本気でそう願っていることなど信じてはくれなかった。

 

 

 まあ、それでもよい。あくまでもささやかな夢として胸のうちに抱えているだけでよかろう。

 

 

 一度、自分の部屋を掃除した時、本棚から引っ張り出した本の数に気が遠くなった覚えがある。

 

 

 これならば、夢を叶えることもできるのではないかと錯覚したほどだ。今にして思えばまだまだ遠いが。

 

 

 そもそも、私が実家に置いてある本の多くは漫画である。漫画と小説もともに優れた芸術であるという考え方を持っているが、漫画に潰されるというのはなんだか嫌だった。

 

 

 というわけで、漫画を滅法買わなくなり、小説を買い漁るようになったのは大学生の頃であった。

 

 

 とはいえ、思うがままに買い漁っては金なんぞすぐに枯渇する。バイトもしていない苦学生にそんな豪遊ができるはずがない。

 

 

 で、あるならば、図書館はどうか。無料で本が読めるうえ、蔵書は無数にあろう。

 

 

 だが待て、しかし。図書館の本はやがて返さなければなるまい。私は図書館警察の世話になりたくないのだ。

 

 

 それでは家に本など積もっていくはずがない。ならば、私が求めるのは図書館にはないのだ。

 

 

 では、古書店はどうか。本の有無にはむらがあれど、一冊の値段は新品よりも格段に安い。まさに苦学生の味方である。

 

 

 ううむ。私は唸った。これは個人的な好みになるのだが、私はどうしてだか古書店に苦手意識を持っていた。

 

 

 本を買うならば、いつも新作であった。古書店の方が安く済むことは知っていたが、どうしても行く気が起きなかったのだ。

 

 

 しかし、私は今日、古書店へと足を向かわせる。気が進まずとも、行かねばならぬ時はあるのだ。

 

 

 本への魅力に貴賤はない。古書店の本も、新作の本も、等しく優れた本なのである。

 

 

 本を買うには金がいる。しかし、それには大きな課題があった。それは、私が働いていないということである。

 

 

 つまるところ、私は今、新品の本を買う金がないのだ。だから、私は古書店に行くのである。

 

 

古本の物語

 

 私がどうして古書を苦手としているか。それは、以前の持ち主を思わせるからである。

 

 

 本に限らず、ゲームであっても、中古品というのは時として以前の持ち主の痕跡が残っていることがある。

 

 

 私はそれが苦手だった。どことなく、空恐ろしくなるのだ。

 

 

 自分ではない人が、顔も見えないのっぺらぼうが、今私が手に取っている本のページをめくり、読んでいる。

 

 

 指先の油脂が本のページに残り、ページは色褪せていく。それは降り積もったその本自身の物語である。

 

 

 古書を読むと、否が応にもその顔も名も知らぬ誰かの存在が感じられて、それが何より怖ろしかった。

 

 

 まるで私がその本を読んでいるところを誰かに見られているような、そんな感じがするのである。

 

 

 もちろん、そんなわけもなく、それはただの私の思い込みでしかないのだろうが。

 

 

 『ビブリア古書堂の事件手帖』という作品を思い出す。古書の内容ではなく、古書の持ち主や本自身の物語を描いたミステリである。

 

 

 『本そのものにも物語がある』とは、作中の言葉だったか。いわば、その作品は本の記憶を辿っていく物語なのだ。

 

 

 私はその軌跡が恐ろしい。その先にあるのは間違いなく、本に記された優しい物語なんかではない、残酷な現実の結末なのかもしれないのだから。

 

 

古書堂に持ち込まれる奇妙な依頼

 

 六年前のその日、北鎌倉の坂を下りきった俺は、線路沿いの細い路地をだらだら歩いていた。

 

 

 俺は山の中腹にある県立高校に通う二年生だった。その日は日曜だったが、置き忘れていた教科書を学校まで取りに行き、家に帰るところだった。

 

 

 左手には古い家々が並んでいる。存在を知っていても意識する者は少ないと思うが、この通りには一軒の古本屋がある。

 

 

 年季の入った木造の建物には店名すら表示されていない。軒先には古い立て看板が出ていて、「古書買取・誠実査定」の文字が踊っている。

 

 

 その名称不明の店の前を、俺が通り過ぎようとしていた時だった。木枠の引き戸ががらがらと開いて、若い女が店の中から出てきたのだ。

 

 

 俺より少し年上だろう。思わず足を止めるほどきれいな人だったが、澄ました感じはない。

 

 

 彼女は古い木造の平屋から小さなワゴンを引っ張り出している。どうやら彼女は古本屋の従業員で、開店の準備をしているらしい。

 

 

 彼女は店の中に戻りかけて、立て看板に目を留めた。スチールの板を手のひらで押す。

 

 

「ビブリア古書堂」

 

 

 しばらく考えてから、それが店名だと思い当たった。彼女は弾むような足取りで店の中へ引っ込んでしまった。

 

 

 俺はふらふらと「ビブリア古書堂」に近づいていき、引き戸にはまったガラス越しに薄暗い店内を覗き込む。本の山と山の間から座っている彼女の姿が見えた。

 

 

 俺は引き戸に手をかけて、結局だらりと力を抜いた。読書なんて俺には縁がない。そういう「体質」なのだ。俺は店の前から離れ、駅に向かってのろのろ歩き出した。

 

 

 あの時。店に入って彼女と仲良くなることができていたら、一体どうなっていたことかと。

 

 

 これは何冊かの古い本の話だ。古い本とそれをめぐる人間の話だ。人の手を渡った古い本には、中身だけではなく本そのものにも物語がある。

 

 

 俺の名前は五浦大輔。今年で二十三歳になる。俺に関係している古い本――それはもちろん『漱石全集』だ。まずはその話から始めることにする。

 

 

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