「君がそんな冗談を言うなんて、明日は槍でも降るかもしれないね」
彼女はからかうようににやにやと笑いながら、そんなことを言った。私は思わず顔をしかめる。
この状況においては、私よりも彼女の言葉こそが笑い事でもなければ、冗談でもないものだ。少なくとも、笑っているのは彼女しかいない。
槍が降る、というのは昔からある慣用句でしかなくて、珍しいことがあることを皮肉ったものでしかないが、今だけはそれすらも起こりそうで恐ろしい。
「おや、今だけと言ったかな。ところが、ね。本来は降ってくることなどないものが空から降ってくる、なんてことは、遥か昔から世界中で事例があるんだよ」
それはファフロツキーズ、かつての日本では怪雨と呼ばれている現象だ。竜巻説や鳥説などの原因が唱えられているが、未だに解答は明確ではない。
「1876年、アメリカのケンタッキー州で獣の肉片が降り注いだ。2001年、インドのケーララに赤い雨が降る。赤い成分は生物由来のものだった。2009年、石川県で多数のオタマジャクシが降った」
オタマジャクシの騒動はたしかにあった気がする。私はおぼろげながら思い出していた。でも、あれはたしか鳥のせいだとしてまとまったのではなかったか。
「じゃあ、今回の依頼も、そのファフロツキーズとかいう現象ですか」
「いいや、違うね。奇妙なものが降ってくるのがファフロツキーズだが、これは降ってくるのがおかしなものというわけでもないだろう」
いや、おかしなことだろうと思うのだが。普通はありえないことじゃないか。人の身体のパーツだけが降ってくるなんて。
数日前に探偵事務所に持ち込まれた依頼、それは『人の身体が降っている事態を止めてほしい』というものだった。
なんでも、彼女の姉が行方不明になっているらしい。そして、彼女は最近降ってきている身体は姉のものではないかと疑っているようなのだ。
私はそう断定するのもおかしなことではないかと思うのだが、依頼人はほぼ確信しているらしい。ともあれ、事務所所長が受けてしまったのならば、下っ端に口をはさむことはできない。
人の身体が降るという異常な事象はすでに話題になっているらしく、ニュースでも取り沙汰されているほどだ。専門家もお手上げらしい。
「人が落ちてくるなんて珍しいことじゃないよ。問題なのは、それがバラバラになって落ちてきていることだ」
「そこが一番の問題じゃないか」
彼女は悠々としているが、はたしてこの奇怪な現象の謎が解けているかは怪しいところだ。彼女はむしろ、止めるどころか楽しんで眺めているような人間だろう。
「なら、君に『B.A.D』という作品をすすめてあげよう。似たような事件が書かれているよ。とはいえ、今回の依頼とはちょっと違うけれどね」
その小説は残酷で切ないミステリなのだという。だが、ミステリというにはファンタジー色が強く、事件も後味の悪い終わり方が多い。
なるほど、いかにも彼女が好きそうな内容の作品だ。きっと君も気に入るよ、なんて言われても、私はそうは思わないが。
「じゃあ、事件の謎はもうわかっているんですか」
私が聞くと、彼女は相変わらずつかみどころのない、悪戯げな笑みを浮かべて肩を竦めた。
「さあ、ね」
不思議の奥底
「世の中には奇妙なことなんていくらでも起こっているんだよ」
それは彼女がいつも言っていることだった。彼女はオカルトや超常的なことが好きで、そういった噂を好んで集める蒐集家の一面を持っている。
「科学で実証できないことなんてないだろう」
これは私の言葉だったと思う。当時、まだ多くの怪事件と出会う前の私は、科学を信奉し、科学を盲信していた。
「人は昔、理解できないものを超常的なものとして解釈した。いわゆる、霊魂だとか、神だとかね。その現象に理由を見出したのが科学だよ」
つまるところ、現代の科学というのは、昔で言うところの神の代替品でしかないのさ。朗々と当然のように語る彼女に、当時の私は反感を覚えていた。
「でも、探偵なんて科学を利用する最たるものじゃないか」
事件に理由を見つけ、方法を紐づけるのが探偵の仕事だ。私はそう思っていた。もっとも、彼女は事件を紐解こうとする探偵ではないことを知ったのは後のことだったが。
「すべての物事には理由がある。けれど、科学を通してしか物事を見ることができない人たちには見えないものも、そこにはあるんだよ」
私はその言葉の意味がよくわからなかった。けれど、今ならば、少しはその意味がわかるような気がするのだ。
残酷で切なく、醜悪で美しいミステリアス・ファンタジー
事件現場で待ち合わせとは趣味が悪すぎる。ふらつく足を無理やり進めると、紅色が目に飛び込む。
紅い唐傘を差し、ゴシックロリータをまとった少女が立っていた。彼女――繭墨は僕に向かってチョコレートを差し出した。
持ち主不明の内臓が、廃ビルの谷間に落下する。断続的に続いている怪現象だった。そして、真相を知っているという女性に僕は会った。
姉は一か月前に飛び下りました。救急搬送されたとき、姉はまだ生きていましたが、助かるのは絶望的でした。
問題は、姉が消えてしまったことです。姉の消失からしばらくして、彼女の飛び下りた廃ビルから、内臓が落ちてきました。
私にはすぐにわかりました。あれは、姉の内臓です。姉の身体は病室から逃げ出して、少しずつ落ちてきているんです。
愛知県奈午市。この大都市の片隅に、このマンションはある。一部屋をのぞき入居者はいない。唯一使用されている部屋には、妙なプレートが飾られていた。
『繭墨霊能探偵事務所』
自分自身が従業員でさえなければ、指を差して爆笑したくなる看板だった。
B.A.D. 1 繭墨は今日もチョコレートを食べる【電子書籍】[ 綾里 けいし ] 価格:704円 |
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