謎が謎を呼ぶ江戸時代ミステリ―『当て屋の椿』川下寛次


「ああ、そうそう、あんた、知ってるかい、あの噂」

 

 

「噂? 噂って何だい?」

 

 

 話しかけてきたのは同じ長屋に住んでいる右近という浪人であった。かつては殿に使える立派な武士であったそうだが、今ではただの穀潰しである。

 

 

 彼は存外に情報通であった。日夜、大工の親父とどこぞに出かけている彼は、世に広まらぬ噂と膨らんでいく借金だけ持ち帰ってくることが多い。

 

 

「ほら、金物屋の旦那がいるだろう。あれの娘が数日前から帰ってこねぇってんで旦那が喚いてたろう」

 

 

 つい先日のことだ、その娘が見つかったんだってよ。川跨いでる橋の下に浮かんでたって話だぜ。彼は声をひそめてにやにやと笑う。

 

 

「そいつぁ穏やかじゃねぇなぁ」

 

 

 近頃はどうも物騒でいけねぇ。先月も美人で有名な三味線の先生が行方知れずになったばかりだった。その仏さんは数日後に見つかったらしいが。

 

 

「まったくだぜ。しかもよぉ、その娘、妙なことになってたんだってよ」

 

 

「妙なこと?」

 

 

 ああ、その娘、耳がなくなってたんだってよ。彼は自分の耳たぶを引っ張りながら言った。

 

 

「耳が? なんか、そんな話、数日前にも聞いたような」

 

 

「ああ、三味線の先生だろ。あれも仏さんから耳がなくなってたらしいじゃねぇか」

 

 

「ああ、なるほどな」

 

 

「町奉行の連中は同じ犯人の仕業だっつって考えてるみてぇだな。まあ、妥当なところだろうさ」

 

 

 なにせ、どっちも若い娘で、どっちも耳を盗られてたってんだからな。共通点が多いよなぁ。そうだろうなと頷いていると、彼は探るような目つきで覗き込んできた。

 

 

「それで?」

 

 

「それでってなぁ、どういうことだい?」

 

 

「いやなに、当長屋の誇る名探偵様はこの事件を聞いてどうすんのかって思ってな」

 

 

 おいおい、勘弁してくれよ。彼の目の前で手を振った。なんとも言いがたい謂れを得たもんだなぁと過去の自分を後悔せざるを得ない。

 

 

 江戸の町に起こった事件に、ひょんなことから関わることになってしまったのは四か月前のことである。

 

 

 その解決の折、それを解決したのが自分という風評になってしまったのが運の尽きであった。

 

 

 やむを得ない事情があったとはいえ、ただの絵師である自分がそんなことになってしまったのはなんとも納得がいかないものである。

 

 

 ましてや、それが本当は自分の手柄じゃない、なんてことならばなおのことであろう。

 

 

江戸の町に咲く謎

 

「やあ、遅かったね。待っていたよ」

 

 

 彼女はそう言って俺を迎え入れた。小さな身体に似つかわしくない老成した口調。その大きな目元は楽しげに歪む。

 

 

 いかにも幼い彼女は最近知り合ったばかりの、同じ長屋に住んでいる小娘であった。

 

 

 一見すれば、何の変哲もない娘であろう。俺とて初めての出会いがあれでなければそれを信じて疑わなかったろうに。

 

 

 四か月前に起きた怪事件。それを解決したのが俺、というのが、世の人の言う噂であるが、それは真実ではない。

 

 

 あの奉行すらも手も足も出なかった怪事件を解決したのは、実はこの娘なのである。

 

 

 俺はその時に彼女と関わりを持つことになった。以来、断ちたくとも断てぬままにずるずると仲良くしているというわけだ。

 

 

 俺が解決したという名誉を得ることになったのも、彼女自身が目立ちたくないからとたまたま関わった俺に手柄を押しつけたというのが正しい。

 

 

 結果として俺は絵師としての拍がつき、彼女も陰に隠れることができたために利害は一致しているのだが、それでも釈然としないのはどうにもならない。

 

 

「それで、今度もまた、奇妙な事件だね」

 

 

 にやにやと笑いながら、平然と言う。まるでさっきまでの右近との話を聞いていたかのような物言いである。

 

 

 容姿こそ愛らしく、育てば引く手数多の別嬪になるであろう娘であるのに、その口調と大人びた笑みがその印象をかき消している。

 

 

 見透かされたような態度と口調。初めて知り合った時から、年齢不相応な彼女の物言いにはどうにも振り回されっぱなしで気に食わない。

 

 

 だが、気づけば彼女と話している俺がいるのだ。さながら妖しげな怪異にでもかかっているかのように。

 

 

「さて、それじゃあ、教えてあげようかね」

 

 

 事件はすでに、解決編だ。彼女は笑みを崩さぬまま、瓦板をめくりながらそう言ったのだった。

 

 

当て屋の娘が真実を探し出すミステリ

 

 なんとも贅沢なことと言われる。男冥利だの弟子にしてくれとまで言う輩もいる。成程。綺羅を纏い、シャナリと歩けば女は美しい。

 

 

 だけど俺の筆の向こうには、爪を立て、歯を食いしばり、獣の如き咆哮で髪を振り乱す、鬼と変わらぬ形相の女がくねくねと揺れている。

 

 

 瑠璃丸は歌舞伎役者だ。ぶっちゃけ俺は好かないが、奴の春画はよく売れる。俺にとって本来春画は副業で、この時世どこかの流派に属さないと山水画だけでは食っていけない。

 

 

 よく男の女喰いというが、俺には女が男を喰っているようにしか見えない。だからなのか、俺は女が苦手なのだ。

 

 

 水屋にぼてふり、香具師に垢とり。人口百十一万人を超えるこの町に数多ある生業の中、こんなふざけた看板を掲げる者を、俺は他に知らない。

 

 

 当て屋。同じ長屋になんでも捜す者がいると聞いてきたけど、あからさまに胡散臭い。

 

 

 現れた当て屋は女であった。断ろうとするも、彼女の一言に引き込まれ、あれよあれよと依頼することになってしまう。

 

 

「あんた、人の生き死にに触れてきただろう」

 

 

 どうせ無理に決まっている。容易ではないんだ、コレは。

 

 

 今朝早く、カブキ役者の瑠璃丸が役人に捕まったと、春画の版元から知らせが来た。

 

 

 昨夜、瑠璃丸とともに手本をしていた悦が殺され、痴情のもつれだろうと瑠璃丸が捕らえられたのだ。

 

 

 気の強い娘だったが、大切にされてきたのだろう。大の男があんな風に泣くのを初めて見た。悦を親御の元へ帰してやりたい。それが依頼であった。

 

 

 発見された悦の身体からは、耳が切り取られていた。

 

 

「情か怨みか幻か。蒔かれたタネはちゃんと咲かせてやらなきゃね。どんな理屈が咲くのか、楽しみだねェ、先生」

 

 

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