読み終わったら子どもが欲しくなる『うさぎドロップ』宇仁田ゆみ


 子どもを育てることに、昔から憧れていた。でも、憧れと現実が違うということを知ったのは、夢が叶ってすぐのことだった。

 

 

「お先に失礼します」

 

 

 まだ誰も帰る人がいない中、誰よりも早く帰る私に、おつかれさまですと声がかけられる。

 

 

 けれど、表にあからさまにはないけれど、その言葉の影に潜む「この忙しいときに」という嫌な感じはうっすらと感じ取れた。

 

 

 同僚から好ましく思われていないことは知っている。いないときに陰口を叩かれていることも。けれど、自分の子どもを放っておくわけにはいかない。

 

 

「ダメって言っているでしょ! 早くしなさい!」

 

 

 私の怒鳴り声に、娘はびくっと身を縮めて目をつぶった。目尻から涙が溢れてくる。

 

 

 ああ、違うのに。こんなことを言いたいんじゃないのに。そう思っても、私の身体は止まってくれない。

 

 

 娘のことを愛おしいと思っているのに、怒鳴ってしまう。傷つけてしまう。その言葉だけは、私の口からすらすらと流れるように吐き出されていた。

 

 

 娘は涙を流しながら、ぎゅっと目をつぶっていた。私はその姿を見て、はっとする。身を縮めて目をつぶるその姿は、まるで身を守っているようだった。

 

 

 私の脳裏に昨日の記憶がよみがえる。今日と同じように、娘に怒鳴っていた昨日の私。

 

 

 気がついた時、私の手のひらに痛みがあった。けれど、頬をぶたれた娘の方が痛かっただろう。娘に手を上げたのは、初めてのことだった。

 

 

 どうして。頭の中で、昔の、子どもが欲しかった頃の私が問いかけてくる。あるいは、頬を押さえて呆然と私を見る娘が問いかけたのかもしれない。

 

 

 私は「反省しなさい!」と怒鳴ると、逃げるように背を向けて、扉を閉めた。途端に、私の目から涙が零れる。

 

 

 違う、違うの。こんなはずじゃなかった。私が憧れた母親は、こんなんじゃなかったはずなのに。

 

 

 優しい母親でありたかった。それなのに。身を守ろうとする娘の姿がよみがえる。彼女にとって私は、自分を傷つける敵なのかもしれない。

 

 

 愛しているのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。私は思わず顔を覆って泣き崩れた。

 

 

あるべき親の姿

 

 少し、ひとりになりたい。娘を実家の母と父に預けて、私はふらふらと歩いていた。

 

 

 娘を預けたことで、ほっと息を吐く。思わず自嘲した。娘を置いてきてほっとするなんて、私はひどい母親だね。

 

 

 ふと、顔を上げると、そこにあったのは本屋だった。懐かしい。昔はよく来たものだった。私は思わず入ってみる。

 

 

 品ぞろえは決して多くはない。けれど、本に囲まれていると、心を落ち着かせることができた。田舎ならではの静けさが、私を包み込む。

 

 

 そのタイトルが目に入ってきたのは偶然だった。けれど、私は思わずその本を手に取る。

 

 

 『うさぎドロップ』。タイトルを聞いたのは初めてじゃなかった。たしか、松山ケンイチさんが主演、芦田愛菜ちゃんが出演している映画があったはず。

 

 

 それは衝動的だった。私は十巻まであるその本を一気に買って、家に持って帰ることにした。

 

 

 三十路になるダイキチは祖父の葬式で出会った”りん”という少女を引き取ることになる。

 

 

 子育てが初めてだったダイキチは何をすればいいかもわからず、会社の人や、りんの友だちの親や、いろんな人に相談しながら懸命にりんを育てていく。

 

 

 ダイキチはりんの本当の父親じゃない。でも、二人の姿は本当の親子そのもので、心が温かくなるような物語だった。

 

 

 読み終わって、ほっと息を吐く。私の目からぽろりと涙が零れるのを感じた。けれど、止めようとは思わなかった。

 

 

 ダイキチはたしかに本当の父親じゃない。けれど、わからないことでも試行錯誤しながらりんと向き合おうとする彼は、私よりもよほど立派な親だった。

 

 

 子どもと同じ目線で、本人の意見も決して子どもだからと蔑ろにせず、いつだってりんのことを考えている。

 

 

 思えば、私はこんな親になりたかったと散々悲しんできたけれど、私は本当に娘と向き合っているのだろうか。

 

 

 それは私の憧れに、娘を勝手に付き合わせているのと同じじゃないのか。私の思い描いた理想に、あの子は存在していたのだろうか。

 

 

 やり直そう。今からでも、きっと間に合う。怯えた表情をした娘が頭によぎる。彼女に怖がられる親じゃなくて、本当の親子になりたい。

 

 

 娘じゃなくて、あの子自身を見よう。しっかりと向き合って、二人で手をつないで歩いていく。それこそが、家族だろう。

 

 

 子どもは大人が考えている以上にしっかりしていて、いろんなことを考えている。あの子だって、親のものじゃない、ひとりの人間なんだ。

 

 

 変われるよね。だって、私のあの子への愛は、ダイキチのりんを想う気持ちにだって負けないんだから。

 

 

一歩一歩進んでいく六歳の少女との生活

 

 ある晴れた秋の日、俺はじいさんの訃報を聞き、有休取って荷物をまとめて駆けつけた。すると、そこには、見知らぬ女の子がいた。

 

 

 聞いてみると、なんとじいさんの隠し子らしい。どうやら、ひとり暮らしだったはずの享年七十九歳のじいさんにはナイショで愛人がいて、子どもまでこさえてたらしかった。

 

 

 仮に父ちゃんに愛人だの隠し子だのってことになったら、正直俺も引いてただろうけど、じじいがやったこととなると、むしろよくぞやってくれたって感じだな。

 

 

 俺の叔母にあたるらしいその女の子の名前は”りん”といって、ほとんど人と口をきかず、いつも庭でぼーっとしているか、あやとりをしているか、俺のあとをついてくるかだった。

 

 

 自分が女コドモに好かれるような顔じゃないのは三十路男の経験上よくわかってるから、この子がなんでついてくるのか、すげぇ謎だった。

 

 

 が、理由はすぐにわかった。どうやら、俺はじいさんの若い頃とそっくりらしかった。顔から背格好までおそろしいほどにすべてが。

 

 

 それから、りんがあまり望まれていない存在だってこともすぐにわかった。葬儀でてんやわんやなのは差し引いても、ほっとかれていた。

 

 

 じいさんとのお別れも済ませて、葬儀の後片付けもそこそこに、近親者の話し合いが始まった。りんの今後についてだ。

 

 

 親戚連中の全てが嫌ってわけじゃないけれど、昔の人にありがちな無神経な物言いには、時々ひどく嫌な気持ちにさせられる。

 

 

 話し合いとかいって白々しいセリフを並べ立ててはいるけど、着地点は、この連中のハラは、最初から決まっていた。

 

 

 もう少し現実を見ろ? 現実……? 意味がわからん。じゃあ、りんの現実はどうなるというのか。もう我慢はできなかった。

 

 

「りん! こんなろくでもねートコ、子どもがいるトコじゃねーぞォ。おれんち、来るかァ?」

 

 

 俺、勢い余ったか!? と、気づいた時には、もう引き下がれなくなっていた。

 

 

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