扉を開けると、涼やかな鈴の音が私を迎えた。靴を脱いで、奥へと入っていく。
中華風とも和風とも言い切れない、アジアンテイストが織り交ざったような奇妙な屋敷だった。私は何かに導かれるように奥へと歩いていく。
人の家に勝手に入るなんて。そんな常識は頭の中ではわかっていた。わかっているはずなのに、私の脚は止まらない。
不思議な感覚だった。まるで身体だけ別の存在になったかのような。私の意思とはまったく違う何かが私の身体を動かしていた。
頭の中にある戸惑いなんてまるで意にも介さず、私の身体は躊躇なく歩みを進めて、屋敷の奥へ奥へと歩いていく。
最後に目の前にそびえたのは、通路の奥の行き着いたところにある両開きの巨大な扉だ。
私の手がドアの取っ手に触れると、押してもいないのに重たそうな扉がゆっくりと開いていく。
「やあ、いらっしゃい」
その扉の奥にいたのは、艶やかな着物を着こなした美しい女性だった。彼女は私を見てにやりと笑う。
その笑みを見て、ふと、私の意識が鮮明になった。思わず血の気が引く。まったく知らない人の家に勝手に入り込むなんて、自分はなんと常識外れのことをしたのだろう。
「す、すみません。勝手に入ってしまって。言い訳になるかもしれませんけれど、なぜか身体が勝手に動いて」
我ながら言い訳がましい。私が彼女ならふざけるなと一喝するだろう。けれど、本当にそうなのだから他に言いようがない。
怒られるかと思ったが、彼女は笑みを崩さなかった。それどころか、入りなさいなと私を部屋の中に招き入れた。私の背後で扉がひとりでに閉まる。
「構いませんよ。つまり、あなたには必要だったということでしょうから」
思わず首を傾げる。怒っていないことにはほっとしたが、どうも変わった女性らしい。美女ではあるが、どこか達観したような、不気味な雰囲気を醸している。
「それはどういう?」
「あなた、何に悩んでおられるのです?」
私の質問を流すように彼女から投げ枯れられた質問に、私は思わず硬直した。頭が真っ白になるような衝撃が私の脳裏に走る。
まさか、彼女は知っているのだろうか。いや、そんなはずはない。だって、私の秘密は誰にも知られていないのだから。誰にも知られてはいけないのだから。
隠し通そう。知らないふりをしよう。そうすれば、何とかなるはず。私はそう思って声を絞り出す。
「な、悩みですか。そ、そんなものは何も」
「いいえ、あなたは悩みを抱えているはずですよ。でなきゃ、ここには入れませんから」
しかし、彼女は首を振って悠然と言った。彼女の言葉は相変わらず謎めいているけれど、その言葉は確信を持っているようだった。私の背筋を冷たい汗が流れる。
「い、いったい、あなた、何なんですか。ここは、どこなんですか」
「ここはお店です。私は店主」
「何を売っているお店なんですか」
「あなたの悩みに対する答えを」
彼女はにっこりと蠱惑的な笑みを浮かべて、言う。
「ここはあなたの願いを叶えるお店です」
願いを叶える対価
彼女は私の友人だった。小学生の頃から一緒にいる、誰よりも大切な、私の親友だった。
長く艶やかな髪をなびかせる彼女は身体は弱いけれどかわいくて、女の私から見ても美しい少女だった。
私は彼女に憧れていた。彼女のように淑女らしくなれれば、母ももっと私を愛してくれたかもしれない。どちらかというと活発な私を、母は疎んでいた。
高校生の頃のことだ。私に、初めて好きな人ができた。彼は同じクラスの生徒で、どちらかというと目立たない、地味な青年だった。
けれど、サッカー部の練習を見た時、ボールを追いかける彼の凛々しさがかっこよく、気がつけば好きになっていた。
しかし、私は奥手で、自分から声なんてかけることはできない。私は自分の想いを彼女に打ち明けた。
彼女は驚いたようだったけれど、嬉しそうに笑って協力してくれると言ってくれた。
それなのに、私は彼女に裏切られたのだ。
彼女を抱きしめて愛おしそうにキスをする彼。そして、彼の腕の中で嬉しそうに笑っている彼女。偶然見かけたその光景が、私に真実を突き付けた。
涙が止まらなかった。ここまでの敵意を人に対して覚えたのは生まれて初めてのことだった。彼女への友情が、黒い感情に変わっていった。
だから、私は一緒に旅行に行って、そう、あの時、あの瞬間、忘れもしない、崖に立つ彼女を、私は、この手で。
あっという間だった。彼女は事故として処理された。それですべてが終わったはずだったのに。
「夢を、見るんです。恐ろしい夢を」
「夢、ですか」
「夢を、見なくなるようにしたいんです」
それが私の願い。その言葉を聞いた彼女は、なるほどと呟いた。
「できますか」
「ええ、できますよ。そういう店ですから」
「お願いします。お金なら、払うので」
私が言うと、けれど、彼女は首を横に振った。
「お金は結構です。けれど、対価はいただきます」
「対価、ですか」
「ええ、与えられたものには見合うだけの対価がないといけません。多すぎても、少なすぎてもいけないのです」
でないと、キズがつく。
「で、では、何を渡せば」
彼女は答える。
「あなたの大切なものを。あなたの魂を」
妖が見える少年は不思議なお店を訪れる
あやかしにまとわりつかれていた少年、四月一日君尋は、導かれるように一軒の奇妙な家に足を踏み入れた。
玄関で彼を迎えた二人の少女が、彼の手を掴み、奥の部屋へと引き入れる。彼は足が勝手に家の中に入っていったことを説明しようとするが、聞いてもらえない。
「それはアナタがここを訪れることがヒツゼンだったからよ」
奥の部屋にいたのは、着物を着た美女。彼女は壱原侑子と名乗った。彼女は彼に名前と誕生日を尋ねた。彼は戸惑うままに正直に答える。
すると、侑子は彼の悩みを看破してみせた。すなわち、あやかしを視るという悩みを。
彼の願いは、あやかしを視ないようにすることだった。あやかしが視えて、あやかしに好かれてしまう彼は、今まで多くの苦労を背負ってきたからだ。
「その願い、叶えましょう」
ここは願いが叶う店。対価となる魂、その人にとって大切なものを過不足なく引き換えに、願いを叶える。
「働きなさい、このミセで。その労働力がアナタの願いに見合った時、かなえましょう、アナタの願い」
こうして彼はその不思議な店で働くことになった。自分の願いを叶えるために。
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