一日一日を、大切に生きる『ライオンのおやつ』小川糸


 死ぬということについて考えたことは、誰しもあると思う。私が初めてそのことを考えるようになったのは、中学生の頃だった。

 

 

 まあ、よくある中二病じゃあないか。それが終わることもなく、二十も半ばになった今でも考えていることが、なんだか恥ずかしい。

 

 

 けれど、きっと私は、最後までずっと『死ぬ』ということについて考え続けるのだろう。漠然と、そんなことを思っている。

 

 

 小川糸先生の『ライオンのおやつ』という作品を読んだ。タイトルだけだと、お肉のことかな。なんて、思うけれど。

 

 

 海野雫は、人生の最期を穏やかに過ごすためにホスピスである「ライオンの家」に入居した。

 

 

 管理人のマドンナ。ブドウを育てているタヒチ。軟派なアワトリス氏。大切な存在になった犬の六花。コーヒーを淹れてくれたマスター。料理上手な姉妹のシマさんとマイさん。

 

 

 ライオンの家で出会った人たち。けれど、出会いがあれば、別れもある。「ライオンの家」は、そういうところ。

 

 

 そして、雫自身の身体にも、少しずつ病が進んでいく。『死』が近づいてくる中で、彼女は『生きる』ということを知る。

 

 

 「ライオンの家」では、もう一度食べたい思い出のおやつをリクエストできることになっている。人生の最後を飾る「おやつ」の時間。

 

 

 読み終わった私は、まずほうと深く息を吐いた。そうでもしないと、胸に溢れた感情の行き場がどこにもなかったから。

 

 

 透き通るような、きれいな物語だった。忙しい日常とは切り離された穏やかな時間が過ぎていく。潮風が海の香りを運んで、普段は気に留めない、木々や、鳥のさえずりまでも眩しく見えた。

 

 

 こんなにもやさしい時間の中で、『死』を迎え入れることができたら、どれだけいいだろう。そんなことすら思った。

 

 

 人は誰でも死ぬことを拒絶する。考えることさえ、タブーのように怖がっている。死にまつわる物語は、どれもおぞましく、鬱々としている。言うところの、バッドエンド。

 

 

 私もまた、そうだと考えていた。生きることは苦しくて、死の瞬間は苦痛で、死んだあとは何もなくなる。それが、私がずっと考えていた『死ぬ』ということだった。

 

 

 生きることに対する執着がなくなったのは、大学生の時だ。ある時、ふと、自分の過去に楽しかった思い出がひとつもないことに気が付いた。

 

 

 その時、人生はこんなにもつまらなくて、この先もずっとこのつまらない時間が続いていくのだろうと悟ってしまったのだ。

 

 

 その途端、私は生きる意味を見出せなくなった。そして、ひそやかに死ぬことを切望するようになった。

 

 

 誰もいない薄暗い部屋で、起き上がることもできず、苦痛に呻き、そのまま孤独に幕を下ろす。それが私の望む『死』の形だった。

 

 

 私は死にたいと願っている。けれど、きっと死にたくないのだろう。だからこそ、わたしが想像する最期は、あまりにも暗く、寂しいバッドエンドだ。

 

 

 けれど、この作品に描かれている『死』は、あまりにもきれいだった。まるで侵してはならない聖域のような清らかさが、この作品には、ある。

 

 

 生きたい、死にたくないという想いを受け入れると、心がずっと軽くなるのだという。雫は、最後まで人生を味わい尽くそうと決意していた。

 

 

 私が、その想いを素直な気持ちで受け入れられるのは、いつになるだろう。今はまだ、みっともなく足掻くだろうな、としか思えないけれど。

 

 

 私の思い出のおやつは、スイートポテト。幼い頃、母と作ったおやつ。あの頃は、ただ純粋に、何も考えず、人生を楽しんでいた気がする。

 

 

 なんだ、楽しい思い出、憶えていたみたい。

 

 

穏やかに過ぎていく、人生最後の時間

 

 船の窓から空を見上げると、飛行機が、青空に一本、真っ白い線を引いている。

 

 

 私はもう、どこかへ旅することはできないんだなぁ。そう思ったら、無邪気に旅を楽しめる人たちが羨ましくなった。明日が来ることを当たり前に信じられることは、本当は幸せなことなんだなぁ、と。

 

 

 そのことを知らずに生きていられる人たちは、なんて恵まれているのだろう。幸せというのは、平凡な毎日を送れることなのかもしれない。

 

 

 罫線だけが引かれた真っ白い便箋には、少し肩を丸めたような温かみのある文字が並んでいる。

 

 

 手紙にうんと顔を近づけて、文字の匂いを吸い上げた。そうすれば、マドンナの言葉がそのまま私の身体に入りそうな気がした。

 

 

 生まれて初めて目にする瀬戸内の海は、マドンナが書いていた通り、本当に穏やかだ。時間はかかるけれど、船を選んで正解だった。

 

 

 担当医から、自分の人生に残された時間というものを告げられた時、私がなんだか頭がぼんやりして、他人事のようで、うまくそのことを飲み込めなかった。

 

 

 父と最後に会ったのは、五年くらい前だろうか。私に病が見つかり、それが決して治ることのない段階であることが発覚したのは、父と数年ぶりに再会してしばらく経ってからだった。

 

 

 そして私は今、船に乗っている。これからライオンの家で人生最後の日々を過ごすことになることも、父には知らせていない。そんなことで、父の平穏な暮らしを乱したくなかった。

 

 

 到着したのは、なだらかで丘みたいな島だった。土地の人はこの島を、レモン島と呼んでいる。

 

 

 船着き場には、マドンナが待っていた。マドンナ、という名札を下げていたわけではないけれど、絶対に彼女がマドンナだとすぐにわかった。

 

 

「はじめまして、お世話になります」

 

 

 私がお辞儀をすると、マドンナも、さらに深く頭を下げる。そのせいで、左右のおさげの両端が地面につきそうになっていた。

 

 

「ようこそ、遠路はるばる、ライオンの家へいらっしゃいました」

 

 

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