まあ待ちたまえ。たしかに認めよう。ああ、認めるともさ。僕は君とは別の、女性とも付き合っていた。でも、二股じゃあない。五人。五股さ。そこを勘違いしないでほしいね。それを二股だなんて失礼だよ。
おっと、待って、待って。暴力はよくないよ、暴力は。まあ、聞いてくれ。とりあえず、な、僕の話をさ。ほら、そのフライパンなんて置いて、ね、ね。
伊坂幸太郎の作品にさ、ああ、うん、そう。君も好きだろ、伊坂幸太郎。彼の作品にさ、『バイバイ、ブラックバード』っていう作品があるんだ。僕はこの作品が大好きでね。
いやいや、待ちたまえ。待てってば。話を逸らそうとしているわけじゃないさ。だって、この物語の主人公である星野くんは、五股しているんだから。
『バイバイ、ブラックバード』はね、星野くんが、交際していた五人の女性に別れを告げに行くお話なのさ。太宰治の『グッド・バイ』をオマージュした作品らしいね。
星野くんの隣りにいるのは、身体も態度もでかい規格外の巨大な女性だ。繭美という名前の。なんと、星野くんは彼女と結婚するのだという。だから、別れてくれ、と。そういうわけだね。
でも、それは本当だろうか。星野くんの彼女に対する口調は、とても恋人に対するものとは思えないし、彼女も彼女で、星野くんには随分と辛辣だ。といっても、彼女は誰にでも辛辣なんだけど。
どうにもアヤシイ。いったい彼女は何者だろうか。そんな疑問を僕たちに味合わせながらも、星野くんと五人の恋人、いや、元恋人たちとの別れ話は進んでいくわけさ。
でさ、この作品の面白いところはね、星野くんは五人の女性と同時に付き合うような、君の言うところのクズだね。だけど、彼はとても優しくて、そしてひとりひとりの女性を心から愛していることが伝わってくるんだよ。
そして、五人の女性たちもまた、五股していたと告げられても、変な女と結婚するって突然言われても、最後にはそんな彼のことを受け入れて、彼との別れを思い出として飲み込むのさ。
僕は不思議だった。かつての僕は浮気する男なんて死んでしまえばいいとすら思っていたけれど、この作品を読んでいくとね、不思議と、星野くんも、五人の元恋人たちも、そして口も悪く態度も悪い繭美のことすらも愛らしくてたまらなくなってくるんだ。
でね、思ったんだよ。五人の女性に対して同時に、しかも深い愛を注いでいたらしい星野くん。同時にそれだけの女性と付き合えるということは、転じてそれだけ彼の器が大きいということなんじゃないか、とね。
つまり、それは不誠実ではなく、ひとりひとりに対して真剣な恋愛をしていたのだ、と。僕はそう感じたわけだ。そして、当時の僕は彼に憧れを抱いたんだ。彼のように器の大きな男になりたいってね。
だから、僕はもちろん、君と今まで真剣に交際してきたつもりだし、他の四人の女性に対してもそうだよ。真剣に向き合ってきた。それでも、君は僕をクズだと咎めるというのかい。
ん、どうした。あ、えっと、それはちょっとまずいんじゃないかな、うん。おすすめしないよ、いや、だって、そんなので殴ったら、僕、ほら、ね、君もさ、檻の中になんて入りたくはないだろ。
あ、待って、ちょっと待って。いや、一旦冷静になろう。そうだ、また一緒に本でも読もうよ。おすすめの本があるんだ。だからさ、ほら、ね。……あ。
五人の恋人との別れ
「あれも嘘だったわけね」廣瀬あかりは都内のマンションの一室で、髪を掻き毟らんばかりの様子だった。「あれって、どれのこと」と言いながらも僕は胸が痛い。
十二月の半ば、寒い日が続いているが、部屋のエアコンは稼働していなかった。僕の突然の訪問と、急な別れ話にかっかとし、寒さを感じる余裕がないのかもしれない。
とにかく僕は冬の休日に、カーペットに膝をつき、脛をつき、正座の体勢で、ほとんど土下座の準備段階という姿だった。
「まあ、この男が、女の前で喋っていることの九割は嘘だからな。どれも嘘だよ。そもそも、おまえとの出会いなんて嘘のかたまりだよ」繭美が気だるそうに言う。
「違う」慌てて、その言葉を否定する。「君と初めて会ったあの時の話は本当だ」
「『そして、君を愛していたのも本当だ』って言うよ、この男」繭美が長い腕を伸ばし、太い人差し指を向けてくる。
身体もでかければ、腕も脚も太く、何から何まで規格外で、おまけに態度も大きく肝も据わっている。僕には、彼女が別の生き物にしか見えなかった。
廣瀬あかりは居間をうろうろとしている。「急にこんな風にやってきて、君も驚いているだろうし、動揺しているとは思うけれど」そんなことしか言えない自分がもどかしかった。
おろおろしてみっともねえな、と繭美が舌打ちする。「あのな、いいか、動揺じゃなくてさ、怒ってるんだよ、この女は」
「怒ってるのよ」ほぼ同時に、廣瀬あかりが感情的な声で言った。
「二か月ぶりに連絡が取れたと思ったら、急にわたしの家に来て、しかもこんな女を連れてきて、『この女と結婚するから別れてくれ』って、これで怒らなければいつ怒るのよ」
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