「おおロミオ! どうしてあなたはロミオなの!」
舞台装置の、屋敷のバルコニーに見立てた高台に立っている美しいドレスの女性が高らかに言う。下には、藪に隠れて、若い青年が身を潜めて彼女を見上げていた。その表情は、愛おしそうで、どこか切ない。
「……素晴らしい」
『ロミオとジュリエット』の中でも有名な見せ場のひとつであるこの場面。ジュリエットがロミオへの好意を夜の空に向かって言う。それを、ロミオその人が隠れて聞いている、というシーンだ。
ジュリエットは声に情感を込めて演じることになるが、何よりもこの場面で難しいのはロミオ役だと私は思っている。
何せ、ロミオは隠れているから声を発することができない。大きなスポットライトはジュリエットに当たり、ロミオには薄く暗い色のライトが当たるばかりである。
だが、その間も、セリフがないからと気を抜いてはいけない。ジュリエットの好意を聴きながら、言葉を発せないロミオは表情で語るのだ。これが難しいのである。
今日のロミオ役は当たりだな。私は心を満たす満足に、ほっと息を吐く。前回のロミオ役はひどいものだった。この告白を聞く時のロミオの態度は、実はもっとも重要であるのに。
チェックしておこう。ロミオ役の青年は見たことがない、無名の役者だが、演技力には目を瞠るものがある。感情を必死に抑えようとしている表情は見事なものだった。
シェイクスピアは、私が好きな作家のひとりである。悲劇を書かせたら、彼の右に出る者はいない。もはや彼の代表作のひとつとなった『ロミオとジュリエット』はもちろんだが、どちらかというと、私が好きなのは『リヤ王』だった。
ラムの『シェイクスピア物語』が手に入ったのは僥倖だった。かねてから読みたいと思っていたシェイクスピアが、ようやく私の手元に来たのだ。
『シェイクスピア物語』は、シェイクスピアの研究者であるラムが、読みやすいよう、演劇を小説の形へと変えて書き直したものである。
『マクベス』『テンペスト』『真夏の夜の夢』といった名作から、聞き覚えのないような作品まで、幅広く収録されている。
だが、どうにも私は、シェイクスピアの悲劇はともかく、喜劇はどうしても好きになれない。最後になると、どうしてもご都合主義的なものにしか見えないのだ。
『ハムレット』『オセロー』をはじめ、シェイクスピアの悲劇は数多い。いずれも悲しい結末ばかりだ。『ロミオとジュリエット』は恋人たち二人が亡くなり、『ハムレット』では復讐の代償として全員命を落とした。『オセロー』では無実の妻が殺害される。
だが、そんないかにもドラマチックな作品群と比べ、『リヤ王』の終わり方はなんとも呆気ない。それが意外であり、だからこそ印象に強く残った。
『リヤ王』は、二人の娘、リガンとゴネリルの嘘にまみれたおだて言葉にのせられて王位を譲ってしまったリヤ王が、彼女たちから散々いたぶられるという話。
彼は一番末の、唯一嘘をつかず、父親を愛していた娘、コオデリアのもとへと身を寄せる。彼女は父親をおだてなかったことで怒りを買い、国を半ば追い出される形で出たのだが、父親を温かく迎え入れるのだ。
この作品の結末は、実に悲しく、そして味気ない。リヤ王は寿命で亡くなり、リガンとゴネリルは仲違いの末に命を落とし、コオデリアは戦争の敗者として独房で静かに生涯を終える。
放蕩の限りを尽くした悪い娘たちも、孝行の心を示した純真な娘も、愚かに耄碌した狂王も、彼に最期まで付き従った忠臣も、等しくみな死の上にいる。
そのある意味での平等な虚無感が、この『シェイクスピア物語』の中でも際立って私の目には映ったのだった。
シェイクスピアの喜劇と悲劇
このシェイクスピア物語の原作者はメイリイ・ラムとチャールス・ラムの姉弟です。その前書きに――私たちはこれを少年少女のシェイクスピア研究の助けにしたいと希望して書き始めた――とあります。
ラム姉弟はシェイクスピアの数多い劇の中から二十編だけ選んで若い読者に向くように書きましたが、決して筋のおもしろさだけを追って書いたのではありません。
これを書くにあたって注目すべき二つの点に非情な努力が払われています。その市は劇のセリフに用いられている言葉をそのまま物語の中に織り込むことと、その二は近代語を用いないように注意したことです。
私はこの訳本の読者が、他日英語を勉強してこの原書を読み、古風な用語で書かれた文章の美しさを味わい、やがてシェイクスピア劇を楽しまれるように希望します。
原書にはニ十編おさめられていて、喜劇は姉のメイリイが担当し、悲劇の方は弟のチャールスが書いたということです。
チャールス・ラムは十九世紀初期の英文壇に随筆家として名をのこしました。彼は姉メイリイのために一生独身で送りました。
チャールスは精神疾患を持った姉に同情して結婚もせず、姉弟だけの家庭を築いたのです。幸い姉も文学趣味が豊かでしたから、ともに読書したり、文学を語り合ったりして、貧しいうちにも平和に暮らしていました。
そういう姉と弟が協力して書いたのがこの不朽の名作シェイクスピア物語なのです。
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