ある朝、私が目を覚ますと、見覚えのない部屋にいた。自分の身体を見下ろして驚く。
白いランニングシャツに、下着だけ。薄い服から伸びた手や足は、筋肉質で、日に焼けていた。
胸がある。俺は自分の身体を見下ろして、まず目に飛び込んできたそれに呼吸が止まる。
自分の身体についたそれを見下ろすのは初めてのことだった。身にまとっているピンクのパジャマは、着た記憶どころか見覚えすらない。
私は悲鳴を呑み込んだまま、立ち上がる。棚の上に立てかけた鏡を見つけた。私は身をかがめてその中に映りこむ。今度こそ、私は息を呑んだ。
俺はベッドから降りて、部屋の隅にある大きな全身鏡の前に立つ。そこに映りこんだ顔を見て、俺は、いや、鏡に映った人物は目を見開いた。
小さな鏡を覗き込んで愕然としているのは、見覚えのない少年だった。私と同い年くらいの、いかにもチャラそうな男である。
全身鏡の中から俺を見返してくるのは、長い黒髪を垂らした女子だった。彼女は呆然とした表情をしていた。
何が起こっているんだろう。私は枕の脇にあった携帯を開いてみる。セキュリティロックは指紋だった。親指を押し当てると、難なく開く。
どうやら、寝る直前まで友達とメッセージのやりとりをしていたらしい。幼稚な下ネタで盛り上がっていたようだった。はあ、もう、最悪。これだから男って。
何が起こったんだ。俺は携帯を開いてみる。なんと、ロックされていない。不用心だな。誰だか知らないが、勝手に覗かれても知らないぞ。俺が言うなって話だが。
どうやら、この女は友人がほとんどいないらしい。寂しいやつ。それにしても見づらい。視界がぼやけているのは、あ、メガネか。俺は机の上に置かれていたメガネをかける。
私は夢を見ているのだろう。私はそう考えた。自分が男の子になった夢。まるで生まれ変わったかのようで、どこか嬉しいような自分がいることに気がついた。
俺は夢を見ている。きっと、そうだ。俺は楽しくなってきた。女になれるなんて、そうそうない。それなら、せめて楽しまないとな。
それにしても、どうしてこんな夢を見たんだろう。どうしてこんな夢を見ているのか。私は、俺は、昨日の記憶を辿ってみる。
昨日は、そう、本を読んだのだった。寝る直前まで。最近、買ったばかりの本で、少し前に話題になった作品だ。
昨日は、そう、友だちと話していた。この前、ロードショーでやっていた作品について、ふざけながら話していたんだ。
私は携帯のメッセージを見てみる。彼らは映画について話しているようだった。けれど、私はそれを見た瞬間、不思議と納得したのだった。
どうやら、この女も、その作品が好きらしい。それとも、俺がそういう妄想をしているだけか。枕元には、一冊の本が置かれていた。
新海誠監督の『君の名は』。瀧くんと三葉のように、私と俺は、どうやら入れ替わっているらしい。
世界のどこかに
俺は目を覚ました。はっとして、思わず自分の身体を見下ろす。胸がない。シャツと下着だけのそれは、紛れもない俺自身の身体だった。
私は目を覚ました。見慣れた天井。着ているのは、お気に入りのピンクのパジャマ。胸も、きちんとある。
どうやら、戻ったらしい。ため息を吐いた。短い夢だったはずなのに、長い夢を見たような余韻が残っていた。
俺は頭をガリガリとかきながら、ベッドから起き上がる。思わず大きな欠伸が零れた。
変な夢。内容はもうずいぶんと記憶から薄れているけれど、女の身体になったことは覚えている。
現実味がないのに、どこか鮮明でリアルな夢だった気がする。俺は携帯を開いて、「すまん、寝落ちしてた」とメッセージを返す。
私はベッドから身体を起こす。大きく伸びをすると、背中に微かな心地よい痛みが響いた。
変な夢だった。あまり覚えていないけれど、男の子になった夢を見ていた記憶がある。
夢にしては生々しかった。自分の身体に触れた時の、筋肉質な腕の感触をまだ覚えているような気さえする。
それにしても、すぐに目を覚ましたのはもったいなかったかな、と思う。せっかく男の子になったのなら、いろいろとやってみたかった。
くそぅ、見れるものならもう一度見たい。けれど、もう二度とあんな夢は見れないのだろうという予感が俺の中にあった。
あれは誰だったのだろうか。ほんのわずかな時間だけ私になっていた彼は、はたして本当に存在しているのだろうか。
もしも、彼女が本当に存在していたのなら、おもしろいなとは思う。それこそ、『君の名は。』みたいじゃあないか。
まるでSFだ。でも、きっと、このことは珍しいことでもないのではないだろうか。
世の中に不思議なことはたしかにあって、けれど、誰もが気付かなくて、あるいは覚えていないだけなのかもしれない。
彼女ともしも会えたなら、俺はなんと言うだろうか。彼ともしも会えたなら、私はなんて言うのかな。
寝る時の格好でも言ってみようか。お前、ピンクのパジャマがお気に入りだろうってな。そうしたら、たぶん、おもしろいぞ。
言ってあげようか。ちょっと長めの茶髪。正直似合ってないよって。想像したら、愉快だった。
俺は制服を着る。私は髪を整えて。朝ご飯を食べて家を出る。そうして日常に戻っていくのだ。かすかなファンタジーなんて忘れ去って。
まだ会ったことがない君を探している
懐かしい声と匂い、愛おしい光と温度。私は誰かと隙間なくぴったりとくっついている。分かちがたく結びついている。
ふと、目を開く。天井。部屋、朝。ひとり。東京。――そうか。夢を見ていたんだ。私はベッドから身を起こす。
朝、目が覚めるとなぜか泣いている。こういうことが私には、時々ある。
そして、見ていたはずの夢は、いつも思い出せない。俺は涙を拭った右手を、じっと見る。
とても大切なものが、かつて。この手に。――わからない。俺は諦めてベッドから降り、部屋を出て洗面所に向かう。
私は鏡を見つめながら髪を結う。俺はようやく結び慣れてきたネクタイを締め、スーツを着る。
私はアパートのドアを開け、俺はマンションのドアを閉める。目の前には、ようやく見慣れてきた、東京の風景が私の前に広がっている。
俺は込み合った駅の改札を抜け、通勤電車に、私は乗る。気付けばいつものように、その街を眺めながら、俺は、私は、だれかひとりを、ひとりだけを、探している。
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